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浅草のドトールで「昭和の東京」文献。浅草松屋で古本ショッピング。

正午過ぎ、外出。銀座線に乗り換えて、田原町で下車。ドトールでコーヒーを飲んで、ほっとひと息つく。図書館をさぼったおかげで今日は時間がたっぷり、しばらくのんびり持参の本を繰るとしようと、まずは、刊行と同時に入手した、路上観察学会『昭和の東京 路上観察者の記録』ビジネス社(asin:482841472X)を眺める。先日見物に出かけた江戸東京たてもの園にて余生を送る建物と一木努コレクションの《建物のカケラ》展の余韻にひたっている真っ最中に繰ってみると、ひときわ格別なものがあった。この感覚をずっと心に留めておきたいなあと思う。




路上観察学会『昭和の東京 路上観察者の記録』ビジネス社(asin:482841472X)。ブックデザイン:南伸坊。おなじみ路上観察学会による、よりぬき「東京」スクラップ・ブックという趣きの、オールカラーの写真集。南伸坊『のんき図画』青林工藝舎(asin:4883792676)愛好者の身としては、南画伯の表紙だけでも頬が緩むことこの上ないのだった。いいなア……。



さらに、浅草でじっくりと眺めてみたら、本全体に横溢する路地裏感にそこはかとなく臨場感を感じて、ページを繰るうちに心がスイング。浅草でコーヒーを飲みながら(ドトールだけど)、眺めるのにぴったりな本! といつのまにかハイになっている。動物装飾のページに日本橋横山町の建物が紹介されているのを見て、先月にこの地に散歩に出かけたことを思い出して、ほんの先月のことなのに急に懐かしくなる。江戸の小間物街の名残が現在も濃厚に残っているのを目の当たりにして、ずいぶん心躍ったものだった。というふうに、個々の写真でいろいろなことを思う。




南伸坊のカヴァーの折り返し部分に、「オリエンタルカレー」のホーロー看板が描かれていて、眺めているうちに歌舞伎座の3階のオリエンタル坊やを思い出すのだった。あんまり食指が動かず今月の歌舞伎座のチケットを取り損ねてしまったが、来月は夜の部にだけ非常に食指がうごいた。一か月遅れの自分内初芝居、というわけで、3階B席のわが座席までゼエゼエと階段をのぼったあとのオリエンタル坊やとすれ違う瞬間がたのしみである(カレーは食べたことがないが)。



路上観察学会の新刊をひととおり繰ったところで、次は、古本屋からの到着品をじっくりと眺めるとしようと、「婦人画報」昭和15年8月号をおもむろに取り出す。先月ホクホクと再読した徳田一穂『受難の芸術』(豊国社、昭和16年9月)で心に残った、「江東風景」の初出誌(id:foujita:20081205)。




「婦人画報」昭和15年8月号。表紙:中村敬。




吉田謙吉描く、昭和15年6月の勝鬨橋。『受難の芸術』に「江東風景」として収められた徳田一穂のエッセイは、初出では「江東そぞろ歩き」というタイトルで、「文学的盛り場案内記」という記事の一篇として書かれたものだった。「文学的盛り場案内記」は他に、高見順が「身勝手な浅草案内記」、菊岡久利が「箱車紀行」と題して新宿のムーラン・ルージュについてのエッセイを寄せており、以上3篇それぞれに吉田謙吉が精密な挿絵を施しているという、いざ初出誌を目の当たりにしたら、実にすばらしいものだった。吉田謙吉というのもたまらないし、3人が3人ともなかなかわたくし好みの見事な並び。



「婦人画報」の徳田一穂を目当てに出かけた先月の閲覧室では、ついで眺めた他の号も文芸記事やグラビアページ(亀倉雄策が活躍)など、この時期の「婦人画報」には心惹かれる記事とかムードがあり、夢中で閲覧することとなって、大収穫だった(女性誌における戦時体制のありようも非常に興味深かった)。この時期の「婦人画報」、というのは具体的には昭和12年12月号から昭和16年2月号までの、編集長が中村正利の時期のことで、中村正利といえば、十返肇との関連で前々から気になる人物だったので、「おっ」ととにかくも大収穫だった。これからドシドシ古書展で(安く)発掘してゆきたいものだと、メラメラと新年の抱負。



とかなんとか、届いたばかりの戦時下の「婦人画報」をわざわざ持参したのは、浅草でコーヒーを飲みながら(ドトールだけど)読むのがぴったり! と、高見順の「身勝手な浅草案内記」の熟読が目当てだった。

 私たちは観音様の裏に行きました。左に噴水、右に浅草神社。團十郎の「暫」の銅像を眺めて、被官稲荷の方へそれました。その中途に、お坊さんのアパートの前に、いろいろ面白い石碑が並んでいます。「書案の記」の碑には、山東京伝の文章と「耳もそこねあしもくしけてもろともに世にふる机なりも老たり」という歌が表に刻んであり裏に蜀山太田南畝の筆蹟があります。中原耕張の筆塚。並木五瓶の碑。菅沼伊賀守定敬の碑。竹本津賀太夫の碑。その前に、蕊雲の碑があります。蕊雲は吉原の妓だといいますが、人丸の歌を万葉仮名で書いたのが碑に刻まれています。これらの碑は、――ここは子供の遊び場所になっているのか、いずれも子供の悪戯書きがしてあって、無慙に傷つけられているのが残念です。

というようなくだりに急に鼓舞されて、松屋の古本市のあとに散歩に繰り出すとするかなとワクワク。





高見順「身勝手な浅草案内記」に掲載の、吉田謙吉による挿絵のうちの1つ。

 食事をすませて、私たちは楽天地へ行きました。花屋敷の跡を須田町食堂で買って、遊園地にしたものです。(中略)そこのショウのプロデューサーは毛利幸尚氏。座員は今のところ、古い順で書くと男は、水上昇、三浦八郎、川路光男、槇浩二、女は南陽子、入江澄子、清水好子、水保夢子(南陽子の妹)、草香芳子の総員九名。南陽子君は常盤座、オペラ館などにいた古い浅草の踊り子さんで、楽天地創立以来いるのですが、前述の井上光君のもと細君であった関係から私も創立以来ここの楽屋へは絶えず遊びにきているのです。そんなことから文芸部の有吉光也君が「如何なる星の下に」をレヴイウ化してここにかけたいという話が出て、私も喜んで原作を提供しました。



年に二度のおたのしみ、浅草松屋の古本まつり。目録での事前注文の当落を確認してみると、注文品は2冊とも当選していて、この2冊で早くも本日の予算はだいぶオーバーしているのだった。という次第で、年に二度のおたのしみだというのに、覇気なく会場をめぐることになってしまった。覇気なく巡っただけあって、「おっ」というものには遭遇できず。しかし、目録注文品だけではつまらない。ビニールでパリッとコーティングされている戦時下の「婦人之友」のうち、裏表紙が森永製菓のものをウンウン唸った挙句に2冊を選出して、とりあえず買ってみることにする。いつのまにか、戦前の明治製菓もしくは森永製菓の広告をなにかしら入手することが古書展行きのわがノルマと化しているのだった。昭和15年の「婦人画報」が届いたばかりだったので、戦時下の女性雑誌をほかにも見たくなったところだったので、ちょうどよかった(ということにしておく)。




「婦人之友」昭和12年4月号(第31巻第4号)の裏表紙の「森永の食品」。《食卓の簡易化と栄養の経済化に》。



「婦人之友」昭和14年2月号(第33巻第2号)の裏表紙の「森永ドライミルク」。《健全発育の乳児基礎食品》。以上、特になんということのない広告だけれども、昭和10年代の森永製菓の広告は十返肇の森永製菓在籍期間にあたるので、蒐集のたびにそこはかとなく嬉しい。



予算がだいぶオーバーしてしまった……とヨロヨロとお会計を済ませて、じっと手を見たあと、へなへなと階段をあがって屋上へとゆく。閑散とした屋上風景が味わい深い。寒空の下、パリッとビニールコーティングされている「婦人之友」、森永だけを目当てに買ってしまったけれども、はたして中味はどうなのだろうとバリッと乱暴に梱包を引き裂いて、おそるおそる様子をうかがってみる。結果、「ウム、悪くない、悪くない」とちょっとだけ気持ちが上向きになる。




「婦人之友」昭和12年4月号の目次カットに小村雪岱の意匠が使われていて、にっこり。



しばし、「婦人之友」を眺めているうちに、いいかげん寒くなってきたのでひとまず屋内に入ることにする。東武線の高架下にひっそりとドトールがあったことを思い出し、そうだ、買った本をじっくりと偵察すべく、あのドトールへ行こうと、ズンズンと階段をくだってゆく。階段に施されたちょっとした意匠がなんだか面白くて、路上観察の真似ごとをしているうちに、あっという間に1階にたどりついた。


高架下のドトールでコーヒーを飲みながら、買ったばかりの、岩佐東一郎『茶煙閑語』(文藝汎論社、昭和12年4月)とサトウ・ハチロー『僕の東京地図』(有恒社、昭和13年10月第3版=昭和11年8月初版発行)、以上2冊をテーブルに積み上げる。まずは初めて読む『茶煙閑語』、なんとはなしに集めている岩佐東一郎の本を買うのは1年ぶりくらい。ひさしぶりに読んでみると、まあ、こんなによかったなんて! と、とたんに心がスウィング。ページを繰る指がとまらない。部屋でまたじっくり読むときがたのしみである。部屋ではぜひとも、龜鳴屋(http://www.spacelan.ne.jp/~kamenaku/index.htm)の外村彰編『高祖保書簡集 井上多喜三郎宛』と一緒に読みたいなあと思う。……と、ひととおりはしゃいだところで、次はサトウ・ハチローの『僕の東京地図』。こちらはだいぶ前に、図書館の閲覧室でホクホクと繰って以来の念願の本だった。ひさしぶりに繰ってみると、まあ、こんなにまで面白かったとは! と、またもや心がスイング、ページを繰る指がとまらない。これまた、まさしく浅草でコーヒーを飲みながら(ドトールだけど)、読むのがぴったりな本! であった。




サトウ・ハチロー『僕の東京地図』(有恒社、昭和13年10月第3版=昭和11年8月初版発行)。装幀・挿絵:横山隆一。




《映画になった「僕の東京地図」》なる口絵がある。この画像では見にくいけれども、左端がサトウ・ハチローで、右から順番に、吉田一子、星玲子、神戸光、小林重四郎、山本禮三郎、松本秀太郎、吉谷久雄、村田宏壽。とりわけ、山本礼三郎がうれしい。



などと、古本市で買った2冊の本ですっかりハイになり、予算超過がもたらしたふさぎの虫はすっかり消えた。ドトールで本を繰っているうちに日が暮れてしまったので、肝心の浅草散歩は後日にまわることにして、ひさびさに近所のワインバーへ出かけるとしようと、ドトールの外に出て、東武線の高架下を早々に去り、イソイソと地下鉄に乗り込む。せっかく浅草に来たというのに、書物の浅草ばかりにひたっていた一日だった。





『大東京観光アルバム』(東京地形社、昭和12年4月5日発行)より、「浅草松屋」。屋上の娯楽設備がしっかり写っていて、特に好きな写真。というか、浅草松屋が写っている写真はいつも胸踊る。《吾妻橋畔にある浅草松屋。東武本線の発着ホームを店内に持ち、屋上のケーブルカー、スポーツランド等小児娯楽設備の完備して居るので有名な百貨店》という解説が添えられてある。古本市のあと屋上に出たときに、P.C.L. 第2回作品の『純情の都』(昭和8年11月封切)のロケに使われていた「スポーツランド」のことを思い出したばかりだった。その直後にドトールで繰ったサトウ・ハチローの『僕の東京地図』に「スポーツ・ランド」の詳細が書いてあるのを目の当たりにして、感激だった。




ついでに、『大東京百景版画集』(日本風景版画会発行、昭和7年10月)より、小林徳三郎による《隅田公園(浅草区)》。画家は《セメントの言問橋と東武電車の鉄橋が水の上の風流をも消し飛ばそうとしている》として、かつての隅田川の風情を愛惜している。