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五反田で、戦前東宝映画『街』をおもう。大辻司郎の「漫談や」。

正午過ぎ。晴れていたら古書展のあとは池上線にのって遊覧に出かけたかったけれども、あいにくの曇天で、遊覧気分はとんと盛り上がらぬ、古書展のあとは大学図書館に寄るとするかな……などと思いながら五反田駅前に降り立ち、イソイソと古書展会場へゆく。




山本薩夫『街』(東宝・昭和14年8月封切)より、冒頭に映る五反田風景。初夏、CS で長年の念願だった『純情の都』(P.C.L. 、昭和8年11月封切)に引き続いて、今度は『街』が放映されると知った。またもやさる方より、DVD をちょうだいして、なんという親切であることだろう! と涙滂沱になってさっそく視聴してみると、薬剤師大日向伝が上京して薬屋に住み込みで奉公するのが映画のはじまり(列車のなかで若き経済学者の北澤彪と知り合う)、大日方伝が住み込む、未亡人水町庸子が切り盛りする零落の一途をたどる老舗の薬屋は五反田の駅前商店街にあるのだった。しょっぱなから高架を走る池上線が映って嬉しかった。昔の日本映画における「銀幕の東京」探索は毎回それだけで無類にたのしい道楽。




明治製菓の戦前の宣伝誌「スヰート」昭和14年9月6日発行号グラビアより。山本薩夫の『街』のグラビアが当時の「スヰート」誌面にある。大日方伝の自転車に「明治メリーミルク」の袋。映画本編では、薬屋の小僧の着る仕事着になぜか「明治製菓」の文字が書かれているくらいで、気をつけてみれば町中の看板等が目につくものの全体的にはタイアップ画像はだいぶ控えめだった。





山本薩夫『街』より、深川の貧民街の薬屋の頑固主人徳川夢声。背景が小泉癸巳男の版画のよう。夢声の薬屋は深川界隈でロケされ、瓦斯タンクと鉄塔が映し出されるところなんて、『建築の東京』の実写版といったおもむき。徳川夢声『あかるみ十五年』(世界社、昭和23年5月15日)には、《ロケは砂町の瓦斯タンクの向うへ行き、その裏町の小さな角店を借り、そこを小さな貧乏薬局に仕立てて撮った》、《ゴミゴミした裏店、腐り切った下水、樹木らしい樹木もない殺風景なところ、斯んな所にも東京の市民が住んでいるかと、私は考えさせられた》というふうに書いてある。




山本薩夫『街』より、若き経済学者北澤彪と霧立のぼる。北澤彪のいるアパートメントの屋上より見下ろす、水道橋とお茶の水の遠景にうっとりだった。夢声がいる「貧民街」的なロケ地、深川と対極にあるような、ブルジョワ経済学者のモダーンな山の手アパートメントの描写がおもしろかった。このアパートはどこだろうと気になってムズムズ、ほどなくして、「お茶の水文化アパート」とみて間違いないようだ、との確信にいたった。「東京人」2004年3月号《特集・東京からなくなったもの》に、柏木博さんが「旧お茶の水文化アパート」を挙げて、

中央線の上り電車が御茶ノ水駅に入る直前、神田川の向こう側にいつも「日本学生会館」という看板の付いたビルが見えた。それがある日消え、ノーマン・フォスター設計のセンチュリータワーという香港上海銀行風のビルに変わってしまった。消えたビルは、森本厚吉の計画で、ヴォーリスの設計でつくられた、日本最初の洋式アパート「お茶の水文化アパート」(一九二五年)であった。いつか写真を撮ろうと思っているうちに消えてしまった。

というふうに書いている。本当にもう、昔の日本映画における「銀幕の東京」探索、「消えたモダン都市」探索は無類にたのしい道楽だなあと、しょうこりもなくウキウキだった。




植田正治《水道橋風景》(昭和7年)、「昭和写真・全仕事SERIES・10」『植田正治』(朝日新聞社、1983年6月1日)より。《水道橋の坂の上から電車がワーと下りてくるところを撮った。ちょうど東京にいる時に日本光画協会展があったので、出品したら特選になったが、展覧会は見に行けなかった》とのこと。大好きな写真。金子さんの「新・読前読後(id:kanetaku)」にて、植田正治のこの写真が「お茶の水文化アパート」を写したものと知ったときは興奮だった(id:kanetaku:20080206)。




阿部知二『街』(新潮社、昭和14年1月10日)。装釘:脇田和。いただきもの DVD でもって、『純情の都』に引き続いて、「1930年代東京」に一通り盛り上がった直後に出かけた小川町の古書会館で、阿部知二の原作を200円だか300円だかで見つけて、ガバッと買った。買ったのは昭和15年11月10日発行の84刷なので、当時よく読まれていたとわかる。さっそく読んでみると、映画は原作にまったく忠実なもので、最後のとってつけたような戦意高揚的展開も原作通りだった。十返肇(当時は本名の「十返一」名義)による「映画之友」昭和14年4月号掲載の月評は、《「街」は最近寵児の阿部氏最初の新聞小説であるが美事とはいい難い。信州の僻地から上京した若い薬剤師の都会における活躍の記録であるが阿部氏の所謂「知性」に疑問を持ちたくなるほど人物は性格化されず無味乾燥》と手厳しい。阿部知二『街』は「都新聞」に昭和13年6月17日から同年11月29日まで連載された。




阿部知二『街』の物語が始まったばかりのころ、上京したばかりの主人公が薬局の未亡人に東京宝塚劇場に連れていってもらうシーンの、脇田和による挿絵。この時代の風俗小説は、登場する固有名詞を概観するだけで、実感的な「モダン東京」資料になるという面が多々あるのが嬉しい。が、阿部知二の『街』はモダン都市固有名詞の描写はそんなに多くはなく、薬屋のある「街」が五反田であることをはじめとして、深川、水道橋といったロケ地はすべて映画のオリジナルだった。反対に東京宝塚劇場のシーンは映画にはなかった。小説では途中、「M製菓の売店」というのが二度ほど出てきたのがたいへん気になった。これは「明治製菓売店」だろうか、それとも「森永キャンデーストア」だろうか。いずれにせよ、「明治」なり「森永」なり、明記してもらいたかった!



山本薩夫の『街』は映画そのものは特になんということもないのだろうけれども、「銀幕の東京」という点で、戦前の明治製菓タイアップ映画という点で、昭和十年代文学の映画化……等々という点で、目下最大の関心事項、「1930年代東京」あれこれが芋づる式につながって、尽きないたのしみがあった。五反田の大崎広小路ではじまる1939年東宝映画。戸板康二が明治製菓宣伝部に入った昭和14年の東京を記録している映画。森永製菓宣伝部にいた十返肇が鋭利な文藝時評を書きまくっていた時期の映画。その十返肇を媒介に、「文学」と「映画」と「東京」を概観するのにうってつけの映画。





古書展にて。目録で注文していた本はあえなく落選だったわいと、うなだれながら会場を練り歩いていると、『人物写真の狙い方・写し方』という本が視界に入り、なんとはなしに手にとる。いかにも1930年代写真本という感じの造本が嬉しい。写真の撮り方の実用本なのだけれど、お手本の写真がそれだけでモダン都市資料となってしまうのが1930年代写真本のおたのしみ……などと、ホクホクと立ち読みしていると、大辻司郎の似顔絵が描かれているのれんの写る写真を見つけて、「キャー!」と大興奮。こ、これは、古川緑波の日記でおなじみの、大辻司郎が銀座で経営していた甘味喫茶「漫談や」ではありますまいか!




眞継不二夫『人物写真の狙い方・写し方』写真実技大講座第3巻(玄光社、昭和12年7月17日)より、《銀座街頭の夜店に、ビーチパラソルを本城として、画を鬻ぐ似顔絵師の肖像ですが、次頁の花菱の紋と同じ効果を示しているのがバックの漫画で、一見強過ぎるこの画があってこそ、画面にユーモア味を漂わすことが出来得たのです》。



人物写真の「画面にユーモア味を漂わすことが出来得た」という「バックの漫画」が大辻司郎の似顔絵であるということは、この本には特に明記されてはいない、が、




大辻司郎『漫談集』(千倉書房、昭和5年10月15日)。大辻司郎の似顔絵は、一度見たら忘れられないインパクトのこの表紙画でおなじみだった。画像は本体の表紙。函にもおんなじ絵が描いてあり、のみならず、背表紙にも同じ絵があり、ひとたびこの本を手にしたら、これでもかと大辻司郎の顔面が迫ってきて、ひとたび手にしたら、つい買ってしまいたくなる本なのだった。《漫談という言葉は私が初めて日本の国で使い始めました。今日此の頃では世間の流行り言葉になりました。猫も杓子も、落ちた代議士も、気のきいた猿芝居のスターや、かみ床の親爺だって使って居ます。》



……とかなんとか、大辻司郎が経営していた銀座の甘味喫茶ののれんが写っているというただそれだけの理由で、『人物写真の狙い方・写し方』が猛烈に欲しくなってしまい、一度手にとったらもう離さない、迷わず購入なのだった(まあ、500円だし)。大辻司郎が戦前銀座で経営していた「漫談や」なる甘味喫茶について知ったのは、ロッパ日記が最初だったかな。帰宅後の夜ふけ、ひさしぶりに『古川ロッパ昭和日記』の「戦前篇」をランランと繰る。


大辻司郎の名前は、昭和9年6月に登場してから3年後、昭和12年9月7日、有楽座公演がハネた11時過ぎに、《大辻が待っていて、話があると言う。どうも此奴とつきあうのは嫌だから丁度来た山野も誘い、金兵衛で酒なしで食う。大辻は、漫談に見切りをつけておしるこやを開業するそうである。情けないこと》という文面でひさしぶりに登場。その2ヶ月後、11月13日には《大辻司郎来訪、しるこや繁盛の由、あいかわらずのことばかり言っている》、この年昭和12年の大みそか、緑波は《大辻のしるこやへ寄って、フランス雑煮と栗ぜんざい》を食べたあと、円タクで明治神宮、招聘社を参拝している。


と、「おしるこやを開業するそうである」というのが昭和12年9月7日のこと、上の大辻司郎の似顔絵のある『人物写真の狙い方・写し方』の刊行は同年7月なので、あれ? ロッパ日記に登場していたときはすでに開業していた? はたまた「人物写真」におけるのれんは「漫談や」とは違うお店? とかなんとか、一抹の疑問がないでもないが、まあ、「漫談や」の正確な開業年月日等については追々解明してゆきたい。




「日曜日」増刊(第2巻第4号)、「銀座読本」(雄鶏社、昭和27年3月1日発行)。表紙:野口久光。「昭和27年2月1日現在」の「銀座新地図」に「漫談や」が掲載されている。西5丁目1番地、現在のソニービルの裏手あたり。同年4月飛行機事故で他界したあと、いつまで営業されていたのかな。これについても追々解明してゆきたい。




「映画之友」昭和15年3月号掲載の、桑野通子経営の「銀座乃店」広告。1階は甘味喫茶で2階は「桑野の健康美容室」。銀座松屋向い富士アイス横入文祥堂隣り。今回の五反田では、1階で戦前の「映画之友」を200円で買ったのも嬉しかったこと。あちこちのグラビアが切り抜きだらけだけど、十返肇のコラムや南川潤による吉村公三郎『暖流』についてのエッセイ等々、活字は無傷でうれしかった。ホクホクと繰っていたら、桑野通子経営の甘味喫茶の広告が目に入り、大辻司郎と合わせて、戦前銀座のスタア経営のお店、をおもって、いつまでもウキウキ。「永遠の桑野通子(http://haru04sherry.hp.infoseek.co.jp/)」の「資料彼是(http://haru04sherry.hp.infoseek.co.jp/scrp/shiryo.html)」に「ミッチーの副業」の画像があって、大感激だった。すばらしい。