砧町までバスにのって山口薫展。向井潤吉のアトリエに向かって歩く。

正午前。渋谷から成城学園行きのバスにのりこむ。このバスに乗るのは、晩春の日曜日の午後、清川泰次記念ギャラリーに出かけて以来(id:foujita:20080416)。砧撮影所の東宝プロデューサー会議に出席のため、昭和31年から砧に通うようになった戸板康二が乗っていたバスということで、ながらく乗ってみたい路線だったので、大はしゃぎだった。これからもたまにでも乗りたいものだと、ふつふつと思ったところで、ふと心にとまったのは、「砧町」の停留所で下車すれば世田谷美術館まで徒歩十分だということ。今度この路線に乗るのは世田谷美術館行きのときになるかしらと思って、当時ワクワクしたものだった。


そんなこんなで、季節はめぐって、本日も絵に描いたような秋日和……と言いたいところだったけれども、どんよりと曇天の三連休の最終日。成城学園行きのバスは、世田谷通りに入るとどんどん乗客が増えてゆき、「農大前」を通り過ぎると、今度は少しずつ減ってゆく。東京農大は文化祭であるところの「収穫祭」のまったださかで大賑わい。以前出かけた「収穫祭」のたのしき追憶(自家製ワイン!)にひたっていたら、車内アナウンスが砧町の停留所を告げていることに気づく。あわてて降車ボタンを押す。世田谷卸売市場と清掃工場に挟まれた殺風景な道をしばし直進するうちに、砧公園の世田谷美術館の建物が見えてきた。無事にたどりついて、ほっと安心。曇天のした、持参の弁当をつかう。デザートのみかんでかわいたのどをうるおす。



午後1時過ぎ。世田谷美術館の企画展示室にて、《山口薫展 都市と田園のはざまで》を見物。


山口薫は1907年現高崎市に生まれ、1925円に上京、東京美術学校に入学。1930年渡仏し、1933年6月に帰国。一人の画家の回顧展を見るということは、その時代背景と都市風景に思いを馳せるということでもある。まずはその点でたいへん胸がワクワク、《動物園の風景》(1928年)を見て、これも「東京風景史」のひとつだなあと一昨日に出かけた上野のことを思い出したり、鈴木信太郎による同時代の静物画を彷彿とさせるツヤツヤとした色彩と造形の面白さに見とれたり、導入部からさっそく、絵を見るたのしみにウキウキ。戦後になると、創作にますます脂がのって、彼独自の表現を深めてゆく、その過程が実にすばらしいのだった。一枚一枚の作品をひたすら見つめる。作品を時系列に展示しつつ、「構図から」と題したコーナーや小品と水彩を集めた小特集が挿入するというシンプルな展示構成がたいへん好ましかった。


展覧会全体をふりかえってみると、ただ単純に山口薫の造形と色彩が好きだなあと、一枚一枚の絵に見とれてばかりだった。最後の一枚の絵を見たあとも、順路を逆行して何度か行きつ戻りつして、展覧会の空間の稀有なひとときを身体にしみこませる。ソファで手にした図録の巻頭の酒井忠康館長の文章に、「静寂な雰囲気の漂う感覚のさわやかさ」、「1930年代から1960年代のモダーンな造型感覚のおもむくままに」というくだりがあって、そうそうとうなずくことしきり。山口薫の絵を見ている時間は、なにがしかの好きな詩の言葉のひとつひとつ、およびその連なりに身をまかせている感覚のようだ。……というようなことも結局のところ、山口薫の絵を見ているうちにどうでもよくなってくるのが爽快なのだった。ただ絵を見ているだけでいい。最後はストンと、ここに絵があるだけでいい、という気持ちになる。




山口薫《かすみ草》(1947年)、洲之内徹『帰りたい風景』(新潮社、昭和55年11月30日)口絵より。「中野坂上のこおろぎ」という文章で、洲之内徹がこの絵を示して、《絵というものはこういうものなのだ、描くということは以外に何の目的も成心もない、こういうふうに描くことが絵を描くということだ、絵に必要なのは絵だけ、それ以外はすべて有害無益の雑音みたいに過ぎない》というふうに言いたかった、というくだりがある。そして、《「かすみ草」を見ていると、私はふしぎに、いま自分はひとりだという気がする。いい絵はみなそうなのかもしれない》というふうに結んでいる。




世田谷美術館(http://www.setagayaartmuseum.or.jp/)で11月3日から12月23日まで開催の、《山口薫展 都市と田園のはざまで》のチラシには、死に際して描かれた《おぼろ月に輪舞する子供達》(1968年)が使われている。今回の展覧会の最後に見ることになる絵。何必館・京都現代美術館(http://www.kahitsukan.or.jp/frame.html)へ次回の京都行きの際に出かけようと思っているところ。



昼下がり。次は、向井潤吉アトリエ館を見物すべく、弦巻界隈へ出かける計画だった。行程はどうしようかしらと持参の区分地図を参照すると、歩いて1時間ほどで行けそう。せっかくの曇天なので(紫外線が軽減)、歩いてゆくとするかと、砧公園を通り抜けて、環八を横断して、テクテクとひたすら歩き続ける。このあたりの道を歩くのは初めて。道路沿いの郊外の殺風景な町並みがそこはかとなく心寂しいのだったが、桜新町にさしかかると、前から知っている町なので、なんとなく気持ちが明るくなる。桜新町に入ると、急に町並みが洒落てくるのだった。ちょいと疲れたので、通りがかりのドトールでひと休み。


黒糖くるみをかじってコーヒーをすすりながら、昨日のささま書店で840円で買った、海野弘『室内の都市 36の部屋の物語』住まい学大系028(住まいの図書館出版局、1990年4月20日)を繰る。海野弘コレクション3『歩いて、見て、書いて―私の100冊の本の旅』右文書院(asin:4842100656)を刊行直後にホクホクと読んだとき初めて知った本で、さっそく読んでみたいと心に刻んだ本のひとつだった。ほとんど忘れかけていたところで、昨日ささまでひょいと手にした次第だった。ジョン・ゴールズワージーが1917年に書いた小説、『人生の小春日和』を引きながら、《書斎に飾った絵を見ながら、考えごとをするというのは、書斎における絵のある役割を語っているのかもしれない》云々というくだりで、ふと先ほどの展覧会で見た山口薫の小品を思い出して、しばし放心する。個人の空間に飾られた絵のこと、展覧会場の絵とは違う普段着の作家を髣髴とさせる小品のこと。《柿の秋》という絵のことを思い出す。



そんなこんなで、今日もドトールに長居してしまった。「ヴィヨン」でお土産のバームクーヘンを買って、ふたたび弦巻に向かって、テクテク歩いて、ようやく次なる目的地、向井潤吉アトリエ館にたどりついた。


世田谷美術館は砧公園の「本館」とともに、宮本三郎記念美術館(http://www.miyamotosaburo-annex.jp/)、清川泰次記念ギャラリー(http://www.kiyokawataiji-annex.jp/)、向井潤吉アトリエ館(http://www.mukaijunkichi-annex.jp/)として、3つの「分館」を有している。いずれも画家の旧居(宮本三郎は跡地)がそのまま世田谷区に寄贈されたもので、宮本三郎と清川泰次はいずれも以前出かけた折、ささやかながらもしばしの満ち足りた時間を過ごすことができたので、最後の1つ、向井潤吉にも出かけたいものだと思っていたのだったが、なかなか機会がめぐってこなかった。一貫して古民家を描いていたことで知られる画家で、絵そのものにあんまり共感がわかなかったということがあったのだけれども、今秋は《書籍の仕事 向井潤吉の場合》と題した展覧会が催されるというので、「おっ」と懸案の向井潤吉アトリエ館に出かける絶好の機会だと大いによろこんだ次第であった。


というようなわけで、向井潤吉のアトリエへやってきたのだったが、その敷地全体がなかなか稀有な空間となっていて、門から入口の扉への数歩からしてすばらしかった。ギイッと扉を押して入場料200円を払って、アトリエに入る。清川泰次記念ギャラリーとおんなじように、アトリエの空間がいかにも画家その人を髣髴とさせる感じで、空間に居合わせるだけで満ち足りた気持ち。ああ、来てよかったとふつふつと嬉しいのだった。展示そのものも期待どおりに満喫。空間、展示両方を大いにたのしんだ。


美術家と本ないし出版との関連を見るのは、いつもそれだけで興味深い。展示は戦後が主で、向井潤吉の場合も敗戦後の雑誌ジャーナリズムの盛り上がりとともに仕事を増やして言ったサマが伺えて、その展示物をあれこれ凝視。昭和22年の「婦人朝日」にある、《街に見る髪かたち》というカットが素敵だった。河出新書の上林暁『入社試験』(昭和30年)を見て、ムラムラと物欲が刺激される。本の展覧会のたびに物欲でソワソワしてしまうのは困ったものだ(でも欲しい!)。2階に挿絵の展示があり、詳しい説明はなかったのだけれど、あ、この絵は道頓堀の松竹座を描いたものかしらと、一目見て心奪われた絵があった。確認すると、『大番』の挿絵だという。「週刊朝日」の『大番』については、5年以上も前に山本為三郎の『上方今と昔』を買った折、なにかと胸躍らせていたものだったと懐かしい(当時のわが記録:http://www.ne.jp/asahi/foujita/kanako/days/image/2003-01_28.html ←いずれもすでにわが書棚には残っていない。遠い目……)。「婦人朝日」ともども昭和30年代までの雑誌ジャーナリズムあれこれについて、いろいろと刺激を受けたのもたのしいことだった。1階のロビーに腰かけて、庭を眺めるひとときもなかなかのものだった。




わが書架にあるたぶん唯一の向井潤吉の装幀本。平田禿木『シェイクスピア物語』(文寿堂出版部、昭和22年4月30日)。数ヶ月前の五反田古書展でどうしても買いたいものが見つからず、無理やり買った本(300円)。今回の展覧会では、「岩波少年少女世界文学全集」のラム/野上弥生子訳『シェイクスピア物語』が展示されていて、この本のことを思い出した。こちらはラムの翻訳ではなくて、平田禿木自身が少年少女用に物語になおしたもの。



向井潤吉アトリエ館ですっかり満ち足りた気持ちになって、もと来た道を戻ってバス通りに出る。当初の予定では、このまま直進して世田谷通りまで出て祖母の眠るお寺でお墓参りをしたあと世田谷線、という予定でいたのだけれども、ちょうど渋谷行きのバスがやってくるのが視界に入った。バスにのって、本日の出発地、渋谷に戻ってみると、日没までにはまだだいぶ時間があった。