読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

昼下がり、五反田から歩いて、庭園美術館で「1930年代東京」展。

6時ちょうどに目が覚めてみると、昨夜はあんなにワインをガブガブ飲んだにもかかわらず、二日酔いの諸症状をほとんど感知することなく、体調はふだんとほとんど変わらないようであった。あとさき考えずにいつものとおりに好き放題飲んだ上に翌朝はいつものような二日酔いにはならない、これほどよろこばしいことが他にあるだろうかと歓喜にむせんでいるうちにうっかり寝入ってしまい、目を覚ましてみると今度は正午前。おっとこうしてはいられない、モソモソと起きて、イソイソと身支度。電車にのって、まずは五反田へゆく。




織田一磨《画集東京近郊八景の内 五反田》(1932年)、『織田一磨展図録』(町田市立国際版画美術館、2000年9月30日発行)より。五反田駅の池上線の高架は今日思う以上にいわゆるモダン都市時代の当時の画家の絵ごころを刺激した、というわけで、古書展目当てがもっぱらの五反田行きのたびに池上線の高架の眺めをいつもそこはかとなく楽しんでいる。古書展のあと時間があったら大崎広小路近くのドトールでひと休みするのがおたのしみ。古書展のあとのうららかな昼下がり洗足池へ行楽に行きたいなあと前々から思っているけれども、なかなか機会がめぐってこない(いざ当日になると荷物が重たいのと古書展で疲れてしまうのとでやる気がなくなる)。



本日の五反田古書会館は半年に一度のおたのしみ、「本の散歩展」なり。日頃からファンの古本屋さんが多く出品していることもあってか、単なる偶然なのか、目録でも当日の会場でもふらりといつもいいものを買っているような気がする。会場をくまなくめぐり、結果、500円と1000円を1冊ずつ、2000円1組を買うこととなり、今回も大満足。目録で注文していた2冊と合わせて無事お会計が済んで、ホクホクと外に出る。




本日のお買い物より、「映画之友」昭和15年4月号(第18巻第4号)の裏表紙の「パピリオ」の広告。1930年代の「映画之友」の誌面は閲覧の機会があるたびに心躍るばかり。寄せられている広告も興味深い(残念ながら明治製菓は見かけない)。この時期の「映画之友」はそもそも森永製菓の広告を裏表紙でよく見るということで注目するようになった(id:foujita:20080522)。いざ誌面を目の当たりにすると、当時の新井静一郎の日記そのまんまの、映画人や文壇人、広告人が交錯している誌面がたいへんわたくし好みなのだった。十返肇(当時は本名の「十返一」名義)がほぼ毎号寄せている文藝時評的コラムがたいへん秀逸で、十返肇は天才である、との確信をもつにいたった。



重たい荷物もなんのその、曇天の下、池田山の閑静な邸宅街を白金方面へ向かって、適当に歩く。木々がそよぐ、静かな休日の昼下がり、ちょっと近辺がにぎやかになってきたかなというころ、目黒通りにさしかかり、計画どおり、ものの見事に庭園美術館のまん前に出た。庭園美術館に来るのは、春先に《建築の記憶 写真と建築の近現代》展というのを見物して以来(id:foujita:20080309)。当時、《1930年代・東京 アール・デコの館(朝香宮邸)が生れた時代》展なんているのが開催されるなんて、秋が待ち遠しいと思っていたものだったけれども、季節はめぐり、もうあっという間に秋になっているのだった。


「1930年代・東京」といえば、数年来の最大の関心事項なので、それだけで胸躍る展覧会、と、しょっぱなでさっそく目にすることになったのが、長谷川利行《地下鉄ストアー》(1932年)。まあ! と、この絵を目の当たりにするだけでも、ここに来てよかったと、さっそくウルウルとなる。このあと、鈴木信太郎や木村荘八、松本竣介といったおなじみの画家たちが登場し、海野弘の『都市風景の発見』が立体化したようで、好きな絵にあらためて再会するひとときを心ゆくまで満喫、2年前の鈴木信太郎展以来の再会となる、《東京の空の下》(1931年)では、日動ビルのアド・バルーンの「しかも彼等は行く」の文字、溝口健二の映画タイトルのアド・バルーンを間近に見て、あらためてふつふつと嬉しい。「東京パック」の展示では、森永製菓のポスターを描いてもいた池田永治の表紙原画が嬉しかった。小野佐世男ともども、かもし出す雰囲気は、新宿の「ムーラン・ルージュ」に通じるものがあるなあと、なんとはなしに伊馬春部のことを思い出して、上機嫌はいつまでも続く。





伊馬鵜平『募金女学校 かげろふは春のけむりです』現代ユーモア小説全集第11巻(アトリヱ社、昭和11年3月20日)。装釘・挿絵:志村和夫。北九州の伊馬春部展に行かれない腹いせに、先日、前々から欲しかったこの本をえいっと買ったところだった。「1930年代」を体現するかのような現代ユーモア小説全集。



なにしろ日頃からの最大の関心テーマであるので、ここに展示されている「1930年代・東京」諸々はどうしても「既知との遭遇」に終始してしまいがちで、それはいたしかたないのだけれども、それでも日頃から好きなあれこれがギュッと詰まっているので、次々に目に映るものに頬を緩ませながら、くつろいで会場をめぐるというひととき。次々に目に映るものが単純に嬉しい、肉眼で改めて対面できるのが素朴に嬉しい。「1930年代・東京」というテーマに惹かれて庭園美術館を訪れる人びとが、それぞれに異なる「1930年代・東京」を胸に秘めているのだろうと思う。それぞれの内なる「1930年代・東京」をキュッと刺激する、単純に「目の歓び」の一語に尽きてしまうような、さまざまな「目の歓び」に彩られた空間だった。


『建築の東京』など近代建築あれこれ、桑原甲子雄など東京写真、広告文献などなど、ホクホクとめぐる。皇室関係の展示はさらっと流して、最後は2階の広間のソファでのんびりする(このひとときが庭園美術館の毎度のおたのしみ)。閲覧用においてある図録の巻頭にある、海野弘の文章を読んでむやみに嬉しくなり、わたしのなかの「1930年代・東京」をこれからもっと深めてゆこうと静かにハリきる。戦前の明治製菓宣伝部をめぐるあれこれを緩慢に追って幾年月、わたしのなかの「1930年代・東京」は明治製菓宣伝部を中心にまわっている。さらに、野口冨士男が文学活動を開始したのがちょうど昭和5年、この頃とりわけ戦前の野口冨士男とその周辺を追うのに夢中なので、わたしのなかの「1930年代・東京」はますます収拾がつきそうにない。




過日うっかり買ってしまった、富田森三『和洋菓子・茶舗広告図案集』営業別広告図案選集(誠文堂、昭和5年9月20日)のなかのとある1ページ。同シリーズの山名文夫による『カフェバー喫茶店広告図案集』が展示してあって「ワオ!」と大喜びだった。《営業別広告図案選集》は1930年に刊行の全12冊の図案集、「広告界」の誠文堂が発行元になっている。「広告界」は「広告と陳列」を解題して1926年3月に創刊され、渡欧する1935年4月まで室田庫造が編集長をつとめていた(1941年12月の終刊までの編集長は宮山峻)。ちょっと垣間見ただけでたいへん胸躍る誌面の「広告界」、いつの日かまとめて閲覧せねばと思い続けて今日まできてしまった。



展覧会のあとは、いつものように庭園をゆっくりと歩いて、のんびり。日本庭園の木立の匂いがとても気持ちよかった。なんとはなしに、京都嵐山の大河内山荘の庭園を歩いているときのことを思い出した(規模が全然違うが)。たしか3年前のこの季節に出かけたのだった。次回の大河内山荘行きがたのしみである。名取春仙の伝次郎に蝿がたかっている大河内山荘。と、追憶にひたりつつ、目黒駅前へ歩いて、コーヒーを飲んでひとやすみ。五反田で買った本を次から次へと繰ってはしゃぐ……のもつかの間、買ったばかりの「映画之友」が狙ったかのように十返肇のページが1枚だけ破られているという事態に直面し、一気に奈落の底に落ちる。心境はまさしく「ムンクの叫び」であった。落ち度は買う前に確認しなかった己れにある、こんな目に合うのは日頃の行いが悪いせいに違いないと、がっくりと肩を落とす。とっくりと反省しようと、目黒川方面へと散歩に繰り出し、目黒不動の近くを通りかかったところで、日が暮れた。線路が地下になったために空き地状態になっている元の線路の跡地をたどって歩くのがなんだかちょっとおもしろかった。駅が近づくと街灯が明るくなり、離れるとすぐに道が暗くなる。やけになって洗足まで歩いて、駅前のピザ屋でサンペレグリノをグビグビ飲んで(ワインは自粛)、南北線直通の目黒線に乗って、家に帰る。





今回の庭園美術館でたくさんあった嬉しかったことのひとつが、小泉癸巳男がまとめて展示されていたこと。上の画像は、小泉癸巳男『版画 東京百景』(講談社、昭和53年3月)より、《第二十七景 戸越銀座》(昭和15年7月作)と《第九十四景 洗足池雨情》(昭和12年7月作)。次回の五反田行きのときは、池上線沿線に出かけたいなあという願いをこめて。