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昼下がり、荻窪からバスにのって、茂田井武展へゆく。


昨日飲んだワインはたいそうおいしかった。と、連休最終日は予想通りずいぶん朝寝をしてしまい、正午前にモソモソと外出。中央線に乗り換えて、荻窪で下車し、まずは、ささま書店へゆく。店頭の105円棚をザザザッと見通し、とりあえず文庫本を2冊手に取ったところで、いざ店内へ。くまなく偵察し、あれこれ眺めたあげく、最終的には本日のお買い物は計210円とあいなった。次回に期待したい。気を取り直して、意気揚々と線路沿いをズンズンと歩く。荻窪駅のホームの端っこの階段の建物がずいぶん古くて、なかなか風情があって、いい眺めだなと思う(子供の頃からさんざん見ているはずなのに今日初めて気づいた)。このごろオレンジ色一色の中央線をとんと見なくなった気がする。


「森茉莉街道をゆく(http://blog.livedoor.jp/chiwami403/)」のちわみさん経由で知り、こうしてはいられないと、イソイソと出かけて以来、荻窪にやって来るといつも昼食はかならずブルーベルでオムライス。というか、近頃はオムライスを食べたくなると荻窪へ、そのついでにささま書店、と言った方が適切なくらい。実のところ、今日も荻窪来訪のお目当ては、ブルーベルであった。であるからして、ズンズンと線路沿いをブルーベルに向かって直進した次第であったが、ああ、なんということだろう、いざたどりついてみたら、ブルーベルは「本日休業」。今日は日曜日ではなくて月曜日であった。がっくりと肩を落とす。未練がましくしばしお店の前で立ちすくんでいると、店内を一心不乱に清掃中のマスターのうしろ姿が視界に入った。近日中にぜひとも再訪する所存でござる、ついでに今度はささま書店でもわんさと本を買えるといいなあと願い奉る所存でござる……云々と、心のなかでマスターの背中に語りかけているうちに、すっかり気持ちが上向きになった。もと来た道を戻るべく、クルッと回れ右をする。


昼下がり、バスにのる前に、ドトールでコーヒーを飲んでひと休み。ささま書店で買ったばかりの、江藤淳『荷風散策 紅茶のあとさき』(新潮文庫、1999年7月)を繰る。荷風を強化しているまっ最中に文庫化されて読んで以来の再読。もう10年になる。先日、存在を思い出して文庫本棚を探索したものの発見ならず、いつのまにか散逸してしまったようだとがっかりしていたところだったので、105円で再入手できてタイミングがよかった。『おかめ笹』に富士見町の花柳街の様子がことこまかく描写されている、というくだりを読んで、野口冨士男の『風の系譜』(青木書店、昭和15年7月)を読み返したくてたまらなくなる。野口冨士男の前にそびえたつ存在としての徳田秋声と永井荷風、ということをあらためてしみじみ思う。野口冨士男をもっと深く読むために、これからなおいっそう秋声と荷風を読みこんでいきたいものだと背筋が伸びたところで、最初の章がおしまいのページになった。今日のところはここでいったん切り上げることにし、105円で買ったもう1冊の文庫本であるところの、モーム/瀧口直太郎訳『劇場』(新潮文庫)を取り出し、さっそく読み始める。さっそくクイクイとページを繰る指がとまらない。今月の岩波文庫の新刊、『アシェンデン』を手にするまではこれを読んでいるとしようと、大いにはしゃぐ。……などなど、105円の文庫本2冊とドトールのコーヒー200円とで、安上がりな道楽なのだった。


と、ひととおり、本を繰ったところで、石神井公園行きの西武バスにのって、上井草駅入口の停留所で下車し、ちひろ美術館(http://www.chihiro.jp/tokyo/)へ向かう。開催を知って以来、たいへんたのしみにしていた《茂田井武展》をいよいよ見られると思うと、気がせいてしかたがない。


ちひろ美術館は初めて(昨年冬に開催していた初山滋展を見逃したのは痛恨であった)。窓辺のカフェスペースに近隣の人々が気ままにティータイムを過ごしているさまがとても感じがよく、入口でさっそくいい気分になる。いよいよ茂田井武展だーと展示室へ思わず小走りして、まっさきに目にすることになったのは、1930年、シベリア鉄道でたどり着いた巴里での画帳。ああ、もうなんてすばらしいのだろう! とさっそく全身とろけそうな気分になって、一枚一枚を凝視。茂田井武は久生十蘭と同時期に巴里に滞在していたのだなあと、頭のなかは一気に、十蘭の『十字街』だった。それにしても、なんてすばらしいのだろうと、なかなか展示室から離れがたかった。




茂田井武《いつも道路を眺めている子犬》、画帳『ton paris』(1903-33年)より。



茂田井武《ルナのとなりカフェ 主人マルセルはギャングなり》、画帳『ton paris』(1903-33年)より。閲覧用においてあった、画帳『ton paris』を翻刻した、『トン・パリ 茂田井武画集』(トレヴィル、1994年5月)を繰って、展示室のソファでしばし物欲の塊と化していた。今日のところは、ミュージアムショップに『ton paris』のポストカードが計10枚売っていて、わーいわーいと根こそぎ購入。これらはすべて大川美術館の所蔵。桐生にて再会する日が来るといいなと願うばかり。



身も心もとろけそうになって、2階の展示室を出る。展示会場は1階にもあるというのが、素朴に嬉しい。まだ展示が続くのが嬉しい。と、1階では敗戦後の茂田井武のありようが、雑誌ジャーナリズムの盛り上がりとリンクしているのが見てとれて、たいへん興味深かった。仕事場を再現したコーナーがあるのも嬉しい。ガラス越しに積んである本をメラメラと観察(創元文庫が積んであった)。


と、そんなこんなで、1階でもずいぶん長居をする。ふと、ガラスケースのなかの、小川未明/茂田井武画『月夜のめがね』(新潮社、1954年)が目にとまった。小川未明といえば、戦前の明治製菓の PR 誌「スヰート」に毎号、童話を寄稿していたなあと、いきなり明治製菓のことを思い出し、かねてより明治製菓宣伝部探索する者(本人自称)として、茂田井武挿絵のこの本が今とっても欲しい! と、本日幾度目かの物欲の塊と化したところで、ふと、閲覧用に置かれある、茂田井武挿絵の『野ばら 小川未明童話集』(童心社、1982年12月)という本が目にとまったので繰ってみた。巻末に山本夏彦による「同じ東京の人 茂田井武のこと」と題された解説がある。なんとはなしに読みすすめてゆくと、

 私には東京人の律儀なところはほとんどないが、武には色濃く残っていた。何より義理を重んじるところがあった。(中略)
 それは随筆家内田誠を最後まで見舞っていることによって偶然私は知った。水牛亭(ママ、正しくは「水中亭」)内田誠は内田嘉吉の子息で、内田嘉吉は明治大正時代のえらいお役人で、のちに台湾総督になったから、たぶんその縁で誠は明治製菓に勤めて重んじられていた。
 戦後武は内田の推挙で明治製菓のポスターをかいた。まだ焼跡だらけのころこのポスターは人目を奪った。巨大な画面いっぱいに五十人、六十人、いや百人にあまる子供がひしめいているポスターで、それが一々ちがった表情をしている。
 駅頭にはられたポスターを、私は飽かずながめたおぼえがある。大人の私でさえ一人ずつ見て立ち去りかねたから、子供たちならさぞかしと思われる。
 明治製菓の仕事を何年していたか知らない。そのうち絵画の仕事がいそがしくなって、引っぱりだこになったころ、内田誠は老いて病を大磯で養うようになった。その内田をながく武は見舞っていた。すでに武も病気である。武の病気は宿痾のぜんそくとそれが嵩じた肺病だったが、それをおして大磯通いをしていたのである。

というようなくだりがあるので、大興奮。うーむ、茂田井武は前々から大好きだったけれども、明治製菓宣伝部、しかも内田誠との関係は不覚にも今までまったく知らなんだ。前からまったく別なところで好きだったものが思わぬところでつながったときはいつもとても嬉しい。「えー!」といつまでもクルクルとよろめいてしまうほどに興奮がおさまらず、とにかくも嬉しくってたまらなかった。展示品のなかに、講談社の雑誌、『幼年クラブ』昭和26年1月号に明治製菓の広告があるので「おっ」となっていたのだけれども(本誌の目次のカットに茂田井武の名前がクレジットされている)、広告の方もこれも茂田井武なのかな、まあ、なんてチャーミング! などと、展示会場を二巡三巡して手帳にあれこれメモ。とりあえずは、戦前からの小川未明と明治製菓との関係を思ううえでも、茂田井武とのコラボレートを思ううえでも、ガラスケースのなかに展示してあるいかにも入手困難な雰囲気のただよう、『月夜とめがね』(新潮社、昭和29年)が欲しい! と、『月夜とめがね』の書名も手帳にメモ。いろいろと手帳にメモして、後ろ髪をひかれる思いで展示室をあとにするのだった。


茂田井武美術館 記憶ノカケラ
ミュージアムショップでは、図録として販売されている『茂田井武美術館 記憶ノカケラ』(講談社、2008年9月)をまっさきに手に取る。まったく迷うことなく図録を買ってしまうような展覧会に出会うのは、そのたびにとても嬉しい(しみったれなので、めったに図録は買わない……のを宗旨変えする機会は実のところ、結構少ない)。




山口卓三編『キャラメルぼおや』もたいたけし文庫1(トムズボックス、1996年10月10日初版、2008年10月10日八刷)。図録に続いて、上掲のポストカードを根こそぎ手にとり安心したところで、この小冊子に遭遇して、感激のあまり涙目になってしまいそうな勢いだった。《昭和二十七〜二十九年、デザイン史に残るような楽しいイラストのポスターや新聞・雑誌の広告を明治製菓の嘱託として独りでいっぱい描きました。朝日新聞の夕刊小説の端の突出し広告のマンガ「キャラメルぼおや」を毎土曜日楽しみにしていた子どもたちがいっぱいいたことでしょう》とは、編者の山口卓三さんによる「もたいたけし文庫ノート・一」の一節。




山口卓三編『じぷしい繪日記』もたいたけし文庫5(トムズボックス、1998年5月5日初版、2008年4月4日七刷)。「ton paris」のポストカード同様、根こそぎ購入したい衝動に駆られた「もたいたけし文庫」、今回はあともう1冊だけ、『じぷしい繪日記』を買った。山口卓三さんによる「もたいたけし文庫ノート・五」の、《パリのセルクル・ジャポネで皿洗い兼ボーイをしながらもたい流の絵画修業をしていたヨーロッパ放浪の三年間の絵日記の作者が、奇しくも『放浪記』で有名な林芙美子女史にワインを注いだという特ネタもお教えいたしましょう》という一説をみて、あらためてこの時期の滞欧日本人群像をおもう。「ton paris」のポストカード同様、根こそぎ購入した衝動に駆られた、トムズボックス(http://www.tomsbox.co.jp/index.html)の「もたいたけし文庫」(http://www.tomsbox.co.jp/books/ebunko.html)は全16冊。吉祥寺に出かけるたびに少しずつ入手していけたらと思う。





壁面に据えられてある紹介パネルに掲載の、茂田井武の年譜を凝視して、展覧会の余韻にひたる。2階の巴里滞在のくだりで、久生十蘭のことを思い出していたのだったけれども、茂田井武は『魔都』(新太陽社、昭和23年)の装幀者だったということを初めて知った。




伊馬春部『東京テレビィ娘』(東成社、昭和27年11月)が茂田井武の装幀だったことも初めて知る。現在北九州市立文学館では伊馬春部展が開催中(http://www.city.kitakyushu.jp/pcp_portal/PortalServlet;jsessionid=4DD30435F82FB046E6E27FFF0A606702?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=16153)。「ワオ!」とさっそく取り寄せた図録「生誕一〇〇年記念 伊馬春部展」(北九州市立文学館、平成20年9月27日)では、《昭和27年7月30日〜8月12日、柳家金語楼、暁テル子、宮城まり子、三木のり平ほか出演で上演された同名作品の小説化》とある『東京テレビィ娘』をはじめとして、「キャー、チャーミング!」とあちらこちらで物欲を刺激されて、困ったことであった。『東京テレビィ娘』が茂田井武の装幀だったと知り、キャー、ますます欲しい!




徳川夢声『こんにゃく随想録』(鱒書房、昭和31年2月1日)。あちこちで物欲の塊と化してしまい、くたびれた。帰宅後、気持ちを落ち着けるべく本棚整理をしてみたら、茂田井武装幀本を発見して、大いによろこぶ。同年11月2日、茂田井武は48歳で他界。





「スイート」第5号(昭和27年9月20日発行)の扉ページに掲載の、茂田井武『スイート・コンクール』。明治製菓の広報誌は、戦前は「スヰート」表記だったけれども、戦後復活した際は「スイート」表記となった。 手持ちの数冊の「スイート」の最初期の号に茂田井武が登場していた(手持ちの号では、次の号となる第8号にはもう登場していない)。この冊子を初めて入手した当時、まっさきに「あ、茂田井武」と思ったことを、今日まですっかり忘れていた。当時ちょっとだけ突っ込んでみれば、すぐに明治製菓との関連を知ることができたであろうに、もったいないことをしてしまった。明治製菓と茂田井武については、銀貨社のサイト(http://www.mars.dti.ne.jp/~ginka/index02.html)の「茂田井武の世界(http://www.mars.dti.ne.jp/~ginka/motai/motai02.html)」に掲載されているのを今回初めて知り(http://www.mars.dti.ne.jp/~ginka/motai/MO_Gall01/MO_GAL01.html)、茂田井武の感激は帰宅後の夜ふけまで続いて、三連休は終わるのだった。




こちらは、大橋正による明治製菓のポスター(昭和29年ころ)。茂田井武が昭和25年から30年まで明治製菓宣伝部の嘱託だった一方で、大橋正は昭和27年に日宣美展に明治ミルクチョコレートのポスターを出品したのを機に、明治製菓の広告を手がけるようになり、以後約10年にわたって、明治製菓の広告に携わっていた。《この当時は、将来絵本作家になりたいと思っていた。お菓子の広告なら子どもの絵が描けると考え》たとのこと。この画像は、図録『暮らしを彩ったグラフィックデザイナーの60年 大橋正展』(松戸市教育委員会、2002年8月31日発行)より転載。たいへんすばらしい図録で、入手したときはたいそう感激したものだった(発行元で定価1500円で入手可:http://www.city.matsudo.chiba.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020000&WIT_oid=icityv2::Contents::3771)。大橋正を機に、戦前だけでなく戦後の明治製菓宣伝部にも心が行くようになったのだったけれども、茂田井武でさらに拍車がかかっている。