読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

「ホーム・ライフ」と北尾鐐之助と1930年代モダン都市。

土曜日は早起きして、「今日も暑うなるぞ」とソワソワと外出し、シンと静まりかえる閲覧室で、「ホーム・ライフ」の復刻版を何度も何度も眺めていた。昭和10年8月創刊、昭和15年12月終刊のグラフ誌。大阪毎日新聞社の写真部長、北尾鐐之助が一貫して編集にあたっていたフォト・マガジン。




「ホーム・ライフ」創刊号、昭和10年8月号。表紙:高岡徳太郎。創刊からほぼ1年間、翌11年8月号まで高岡徳太郎が表紙を担当、ついで、昭和11年9月号から翌12年7月号まで藤田嗣治、ついで8月号から昭和12年12月号まで野間仁根が表紙画を描く(翌13年は鈴木信太郎と海老原喜之助)。B4サイズの大判のグラフ誌なので、表紙全体が一枚のキャンバスのよう。「ホーム・ライフ」美術館とも呼びたいような感じ。同時代の「スヰート」の表紙と同様に、同時代の美術界ないし挿絵界のありよう、書物との関連としての美術のありようが伺えて、たいへん興味深い。



先日(id:foujita:20080629)、図書館でふらりと、津金澤聰廣監修『写真でよむ昭和モダンの風景 1935年―1940年』柏書房(asin:4760129146)を借り出して、嬉々と繰ったことで初めて、大阪毎日新聞社の写真部長、北尾鐐之助が編集長だったグラフ誌「ホーム・ライフ」(大阪毎日新聞社・東京日日新聞社、昭和10年8月-昭和15年12月)のことをくっきりと心に刻んだのだったけれども、同じ柏書房からつい最近、今年の1月と2月、「ホーム・ライフ」の復刻版が刊行されていることを教えてくださった方があって、「まあ!」と大喜びだった。


であるので、土曜日は急遽、予定変更して、張り切って早起きして、図書館へ出かけ、柏書房より今年1月と2月に刊行の「ホーム・ライフ」復刻版のうち、前半の8冊(創刊号の昭和10年8月号から昭和12年12月号まで)を閲覧したのだけれども、ひとたびページを繰ると、いつまでも胸の高まりがおさまらず、時間を忘れて夢中になって、気がつくと午後になっていた。というわけで、後半の9冊(昭和13年1月から終刊号の昭和15年12月号まで)は後日のたのしみになってしまったけれども、それにしても「ホーム・ライフ」は、1930年代の「モダン都市文化」あれこれを追っている身(自称)には、たまらないものがあった。


そもそものきっかけだった、「ホーム・ライフ」に掲載の写真をトピック別に紹介した写真集、津金澤聰廣監修『写真でよむ昭和モダンの風景 1935年―1940年』柏書房(asin:4760129146)では、「上流階級」感が強調される印象だったけれども、実際に「ホーム・ライフ」の誌面にあたってみると、「モダン都市時代」の日常を広く紹介したグラフ誌という印象が鮮烈で、復刻版に付された解説で津金澤聰廣さんがその特色として最初に挙げている、

いわゆる大事件ニュースに即せず、雑誌の大衆ジャーナリズムからもなるべく距離をとるという姿勢である。新聞紙面に現れた大事件よりも、むしろ没になった小さな社会事象をとおして、ニュース記録ではなくて、現代社会を描くようなものでありたい、という志向である。

というくだりのとおり、「ホーム・ライフ」に掲載の数々の写真が体現する、モダン都市の人々の日常、といったものが広く紹介されているという感じ。「日常」というのは常に新しい。このような誌面を美しい写真、洒落たレイアウトで作り出した北尾鐐之助その人にますます親近感がわいて、なんだか嬉しくなってくる。「ホーム・ライフ」全体を見通すうちに(今回はまだ前半しか見ていないけど)、「北尾鐐之助、あなたはすばらしい!」というような心境になって、ますます嬉しくなってくる。




「ホーム・ライフ」昭和12年2月号掲載記事、『新聞小説の挿絵』より、高岡徳太郎「『達磨町七番地』の挿絵について」。当時の新聞小説の挿絵画家が顔を揃えて短文を寄せ、その挿絵が上のようにチラリと紹介されている。北尾鐐之助はこの号の編集後記で、

本号には、現代の新聞さし絵をあつめてみた。下図をお願いしたのであるが、そういうわけにも行かなかった。これは時代別によって、もっと総合的な研究にするといろいろと面白い発見をするだろうがそれは本誌のする仕事でもなかろうとおもう、各作家に意見を書いて貰ったから、次号にもつづけたいとおもっている

というふうに書いているのだけれども、この号だけでなくて、「ホーム・ライフ」では一貫して、挿絵画家が数多く誌面で活躍していて、そんなところも琴線に触れるのだった。たとえば、創刊第2号の昭和10年9月号でさっそく、「挿絵のモデル」というページが設けられ、岩田専太郎が「答ふべきすべを知らず」、小村雪岱が「個性なき女性を描いて」という一文をそれぞれ寄せていたりしている。圧巻は、昭和12年の4月号と5月号の二号にわたって掲載の、「さしえ倶楽部合作」の『東京新風景』というページ。石井鶴三と木村荘八が銀座について短文を寄せスケッチを合作、新宿は富永謙太郎と蕗谷虹児、有楽町は岩田専太郎と林唯一、人形町は小村雪岱と小林秀恒……以下略、というふうな、なんとも豪華な顔ぶれ! こういった挿絵への目配りをみると、北尾鐐之助は根っからのジャーナリストだなと思う。そんな北尾鐐之助のジャーナリスティックなセンスが「ホーム・ライフ」全体に行き渡っていて、実際に誌面を目の当たりにすると、「いいな、いいな」の言いどおしで、共感大なのだった。


ちなみに、「ホーム・ライフ」の表紙画家にして、北尾鐐之助の『近代大阪』の装幀者で、昭和5年まで長堀橋の高島屋で宣伝部図案主任をしていた高岡徳太郎の名前を、わたしが初めて知ったのは、獅子文六に夢中の折に、古本屋で買った『達磨町七番地』(白水社、昭和12年6月)の装幀者として。装幀も中の挿絵もとびっきりチャーミングで、一目見て大好きだった。わたしはむしろ戦前の獅子文六の方が好きで、それを高岡徳太郎の装幀が見事に視覚化している。と言いつつも、今となっては、獅子文六の本はすべて古本屋に売ってしまって、本棚に残っていない(岩田豊雄名義のものは2冊かろうじて残っている)。『達磨町七番地』だけでもとっておけばよかった……。と、それはさておき、北尾鐐之助や高岡徳太郎がますます気になり、ますます「関西モダニズム」に興味津々で、ちょっと収拾がつかなくなっている。



北尾鐐之助のジャーナリスティックなセンスというと、上の『新聞小説の挿絵』とほぼ同時の、昭和12年3月号より「映画月旦」というページが始まっている。飯島正の映画評を添えたスティールを数枚並べた誌面のレイアウトが素敵にかっこよい。この号の編集後記に北尾鐐之助は、

本号からグラヴュアページに映画をとり入れることとし、解釈的な新しい映画の月旦を当分いちばん適任な人だとおもう飯島正氏にお願いした、映画はもう近代人の生活からとり去ることが出来ないと同時に、別な意味から、カメラ技巧のみをみるのにも役立つと思う

というふうに書いている。と、こんなところも琴線に触れるのだった。北尾鐐之助が好きだ! とますます思う。




「ホーム・ライフ」昭和12年7月1日発行号掲載、「明治チョコレート」広告。……などと、結局、話は戦前の明治製菓宣伝部に戻るのだったが、「ホーム・ライフ」にはかなりの頻度で明治製菓の広告も掲載されていて、そんなところも琴線に触れるのだった。「ホーム・ライフ」に明治製菓の広告が初めて掲載されたのは、一周年記念の昭和11年8月号。のみならず、この号では明治製菓宣伝部長、内田誠が初登場! 「面白かった映画」として『影なき男』のことを随筆に書いている。以後、ちょくちょく誌面に登場する内田誠。戦前の明治製菓宣伝部探求者(←わたしのこと)にとっては、これは見逃せない事実。ただでさえ興奮しているので、ますます「ホーム・ライフ」に興奮してしまい、とどまるところを知らないのだった。「スヰート」と同時代の「モダン都市」の雑誌文化ないし広告文化あれこれは無尽蔵だなあと、目がランラン。ますます収拾がつかない。