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里見とんと戦前グラフ誌「ホーム・ライフ」に心躍らす、雨の日曜日。

朝。窓の外は雨がザアザア降っている。ラジオのスイッチを入れると、今週の「音楽の泉」はピリスのモーツァルト。日頃からの愛聴ディスクをひょんとラジオで耳にするのもなかなかよいのだった。先週に引き続き、今週も雨降りの日曜日。出かけたい展覧会がいくつかあったのだけれども、モーツァルトを聴いているうちに、すっかり出かける気がなくなり、先週に引き続き、今週も出不精の日曜日。



午前。部屋の隅で、読みさしだった里見とん『おせっかい』(新潮社、大正12年7月)をズンズン読む。ちょうど2年前(id:foujita:200606)に読んだ、中戸川吉二『北村十吉』(叢文閣、大正11年12月)で描かれた、里見とんに文学の指導を受けていた二人、中戸川吉二と目白の女学生の恋愛事件を、「S・T」氏であるとのことの里見とんの側から綴った中篇小説。『高見順日記 第三巻 末期の記録 昭和二〇年一月〜四月』(勁草書房、昭和39年11月)に、《楽屋小説――大正時代をしのばせる言葉だ。昭和になっても楽屋小説はなくはなかったが、大正時代のような隆盛はすでに見られない。大正時代の小説の主流は、楽屋小説にあったといっても誹謗にはならないだろう》というくだりがある。のちに『昭和文学盛衰史』を著わすことになる高見順の大正小説読みに際しての片言隻句を読むのはゾクゾクするくらいおもしろくて、そのあおりで、2年ぶりに中戸川吉二とその周辺への思いが再燃してしまった(あらためて宇野浩二の『文学の三十年』に酔いしれた)。


2年前に読んだ『北村十吉』における中戸川吉二の駄々っ子ぶり(うんざりしながら読んでいても、時々光る繊細な心理描写がたまらなくいいのでやめられないのが中戸川読みの醍醐味)をあれこれ思い出すと同時に、高見順言うところの、「楽屋小説」におけるモデルへの興味、といったものの独特のおもしろさにウキウキ、大正文士の交流ぶりとその舞台としての東京や保養地のささやかな描写を実感的に読めるのが格別なのだった(中戸川が逢引する上野の待合は武者小路実篤が以前に使っていた所だった、というところに笑ったり)。『北村十吉』でもその律儀な人となりに和んだ三宅周太郎の描写に、『おせっかい』でもつい注目だった。描かれる時期は、新富座で里見とんの『新樹』が上演されたころ、すなわち大正10年6月頃。中戸川の自筆年譜(『友情』新潮社・大正10年4月刊の巻末に所収)に、《新潮社より「イボタの虫」を出版す。「新思潮」を廃刊す。その頃より文壇人と多く知る。久米、田中、菊池、吉井、芥川、久保田等以前より知りし先輩の外、南部修太郎、三宅周太郎と親密になる》とある時期を思って(『イボタの蟲』は大正8年8月刊)、このあたりの文学と演劇や雑誌、文壇ないし劇壇について、これからも折に触れ追求していきたいッ、そして、自分のなかで大正15年4月創刊の第二期「三田文学」へとつなげたいッとハリきって、ますます気持ちがウキウキしたところで、里見とん『おせっかい』読了。中戸川吉二のあとに読んでみると、やはり里見とんの端整さが際立つ。



午後。あいかわらず雨がザアザア降っている。傘をさして近所の図書館へ本を返しにゆき、また同じ冊数借りて、通りがかりのコーヒーショップに寄り道して、借りたばかりの本を次から次へと繰って、最後の1冊は、津金澤聰廣監修『写真でよむ昭和モダンの風景 1935年―1940年』柏書房(asin:4760129146)。タイトルに惹かれて深い考えもなく、よいしょと借りてきたのだったけれども、この本は、戦前の高級グラフ雑誌「ホーム・ライフ」(大阪毎日新聞社・東京日日新聞社発行、1935年10月―1940年11月)に掲載の写真をジャンルごとに紹介したもので、昭和前期のいわゆる「上流階級」の家庭生活の各トピック、「令嬢」とか「乗り物」、「ペット」とか「子ども」、「書斎」や「建築」、「勉強」や「おもちゃ」といった分類で紹介している。いざ繰ってみると、そのモダンさが戦前松竹の都会映画を見ているのとよく似た感覚で、ウキウキとページを繰る指がとまらないのだった。



津金澤聰廣監修『写真でよむ昭和モダンの風景 1935年―1940年』(柏書房、2006年5月)より、「ホーム・ライフ」昭和14年7月号掲載の写真(半田義士撮影)。《時局を反映して、着物の袖の長さを制限して無駄を省け、という議論が出ていたが、昭和14年7月時点では、まだまだ着物の袖は長かった》とある。こんなちょっとした女性写真で、好きな写真が多かった。



ついでに、「ホーム・ライフ」昭和13年1月号掲載の《愛犬(マルチーズ)と戯れる歌舞伎俳優・市村羽左衛門》。ここは明舟町の自宅かな?


「ホーム・ライフ」のことをはっきりと認識したのは今回が初めてかも。冒頭の紹介によると、「ホーム・ライフ」は昭和10年8月創刊のフォト・マガジンで、編集長は当時大阪毎日新聞社写真部長の北尾鐐之助……と、ここでいきなり『近代大阪』でおなじみの北尾鐐之助が登場するものだから、キャー! とますます大はしゃぎ(心のなかで)。編集後記はすべて北尾自らが執筆していたのだそうで、その編集プランは一貫して「写真的に美しくかつすぐれたもの」を掲載、さらに北尾は「今日の日本の文化的なものは京阪神地方、もしくは京阪神地方人から教えられることが多い」として、全体的には誌面はかなり関西色が強くなっているという。そして、ここで見ることができる数々の写真は、その北尾の言葉を十分裏付けている。


というわけで、昨日の国会図書館での『写真心斎橋』に引き続いて、立て続けに「関西モダニズム」の写真に見とれることとなった。「ホーム・ライフ」の表紙を担当した画家がまた錚錚たる顔ぶれで、藤田嗣治や小穴隆一、鈴木信太郎とともに、高岡徳太郎の名前も挙がっていた。高岡徳太郎といえば、北尾鐐之助『近代大阪』(昭和7年刊)の装釘者! 「ホーム・ライフ」ではどういう表紙画を描いているのだろう。高岡徳太郎といえば、鍋井克之が織田作之助の第一印象として《すぐにこの人は高岡徳太郎に似ていると思った》と書いていた(「大阪特異型の芸術家」、『閑中忙人』所収)のが妙に印象に残っている。




『写真でよむ昭和モダンの風景』の「社会進出と女性」の項はまさしく戦前松竹の女性映画を見ている気分。銀行のタイピスト、デパートガール、バスの車掌さんとかはたまた女性初の弁護士とか。で、この写真は、「ホーム・ライフ」昭和10年11月号掲載、《大阪・鐘紡サーヴィスステーションで働く服飾家(男爵・松井慶四郎令嬢。夫は子爵・田中阿歌麿令息)》。




大阪のカネボウといえば、心斎橋! ということで、橋爪節也著『モダン心斎橋コレクション』国書刊行会(asin:433604726X)より、「鐘紡サービスステーション」。《巨大なカネボウ入口の照明。形は客を待ちかまえる蜘蛛の巣かドリームキャッチャー、古いラジオのスピーカーのようである。大阪出身の考古学者・坪井清足先生に『写真心斎橋』をお見せしたら「この入口の形が印象的でよく覚えている」と話された。カネボウ製品のアンテナショップで、田中千代がデザイナーとして在籍した店》とある。『写真心斎橋』をもう一度閲覧したくなって、ウズウズしてしまう!




心斎橋のカネボウが明治製菓売店に隣接していた一方で、銀座のカネボウは明治製菓売店の向かいにあった。と、ここで頭のなかは一気に、「心斎橋モダン」から「銀座のモダニズム」へと向かう。昨日、国会図書館で『写真心斎橋』を眺めていたときとまったくおなじように。……というわけで、銀座文化研究別冊『震災復興〈大銀座〉の街並みから』(銀座文化史学会、1995年12月)より、「カネボウ銀座サービス店」外観(昭和11年2月19日撮影)。この建物は、昭和10年11月30日施工、昭和51年頃解体。左隣りは十字屋だった。



そして、こちらが「カネボウ銀座サービス店」内部。あっと驚く、モダーンな内装。心斎橋と同じように吹き抜けになっている。島津保次郎『婚約三羽烏』(昭和12年7月封切、松竹大船)のロケ地として使われて、鐘紡の大きなPRとなったという。まあ、そうだったのね! 2002年5月の三百人劇場における《清水宏と島津保次郎》はわたしのなかでは一番のエポックメインキングな特集で、今でもよい思い出。『婚約三羽烏』も当時ウキウキと見たものだった。もう一度見たい!



夜。里見とんの短篇集、『次代恐怖症』(新小説社、昭和9年2月)を読み始める。読み始めたとたん、こういうのが大好きだーと、何年ぶりかで里見とん読みの悦びに打ちひしがれる。「こういうの」というのは何かというと、たとえば、小津安二郎の『淑女は何を忘れたか』における桑野通子と斉藤達雄の応酬やら栗島すみ子と吉川満子と飯田蝶子の有閑トークとか、そんな感じ。『次代恐怖症』は、武藤康史の「里見とんと小津安二郎」(「東京人」1997年9月号、『文学鶴亀』所収)で知ったのが最初だった。「ホーム・ライフ」に引き続いて、戦前松竹映画を思い出して、日曜日が終わるのだった。