京阪神遊覧日記・その1 モダン心斎橋の明治製菓売店


先週一週間は毎日、朝の喫茶店でコーヒー片手に本を繰りながらも、つい何度も「でっか字まっぶ 大阪24区 昭文社」というのを眺めてしまってソワソワ、肝心の本読みがあまり進まなかった。と、そんなこんなで、先週末はふらふらっと新幹線にのって、関西へ遊覧に出かけた。


わーいわーいと、土曜日は新大阪に降り立ったとたん、御堂筋線のホームへ突進して、梅田へ。ちょうど時分どきだったので、大阪駅前ビル地下の通りがかりのお店でうどんを食べた。大阪駅前ビルの地下街がなんだか好きだ。堂島に出て、生あたたかい曇り空の下、朝日新聞の社屋の向かいの建物の屋上の「朝日新聞」の鉄塔(参照:http://www.geocities.jp/matrixakio/kenbutsu/abc.htm ←感激)が見えるといつも、「ああ、大阪に来たなア!」とふつふつと嬉しくなる。わーいわーいと足早に歩を進めて、中之島界隈に出る。いつもの休日みたいに図書館でのんびり本を見る、ということをしたいのだけれど、観光客なので時間がない。中之島公会堂の地下で喫茶、というのが長年の夢なのだけれど、通りかかったのは喫茶タイム開始時刻(午後2時)の1時間前で、今回も断念せざるを得ない。淀屋橋にあった電光掲示板には「30度」というふうに気温が表示してあったのだけれど、中之島の川沿いの風が頬に心地よく、木陰の下を歩くのがとても気持ちよかった。中之島に来ると、いつも「ああ、大阪にきたなア!」とふつふつと嬉しい(いつまでも、しつこく嬉しい)。


そんなこんなで北浜に出て、ここから堺筋をズンズンと直進したのだけれども、この堺筋をただ直進する、というのが、たいへんたのしかった。さっそく、あら、素敵なビルヂングが洋菓子店になっているわ! と、吸い込まれるように中に入り、適当に焼き菓子をみつくろったりも(「五感(http://www.patisserie-gokan.co.jp/)」というお店。帰宅後のお茶菓子となった。とてもおいしかった)。とかなんとか、次々に目に映るモダン建築や古い木造建築に「ワオ!」と観光客のよろこび全開、あの古い建物はなんだろう、と堺筋を何度もジグザグに横断してしまうのだった。境筋をしばらく歩いて道修町になると、製薬会社が林立、どこかのウィンドウを見て、中戸川吉二の『イボタの蟲』をなぜだか急に思い出して、にんまり。生駒時計店(http://www.ikoma.ne.jp/)のビルの1階で凍ったコーヒーをすすって、ひとやすみしたのもたのしかった。


先週一週間、「でっか字まっぷ 大阪24区 昭文社」というのを眺めているうちに、「心斎橋筋を歩きたいッ」ということで、頭のなかがいっぱいになってしまった。というわけで、いよいよ実行に移すべく、境筋本町のところで右折し、しばらく歩いて左折、「せんば心斎橋筋商店街」に入った。去年4月に天神橋筋商店街を歩いたとき(id:foujita:20070402)とおんなじように、商店街を歩く、それだけのことがこんなに楽しいなんて! と大はしゃぎだった。「三木楽器」の古い建物に見とれてつつ、ちょっと横道に入ると、「喫茶ラヴ」という名(だったかな)の古めかしい喫茶店が味わい深かったり、木造の古めかしい店構えの商品札の専門店に「おっ」となったり、などなど、あれこれ反応しては、興奮だった。


「南久宝寺繊維問屋街」というところをわたると、商店街の名称は「心斎橋筋商店街」となり、長堀通を渡るといよいよ、そごうと大丸のモダーン百貨店が! としょうこりもなく興奮しつつも、かつて明治製菓売店があった場所に行くことで、わたしの頭のなかはいっぱいなのだった。先週一週間は、夜寝る前は、橋爪節也著『モダン心斎橋コレクション』国書刊行会(asin:433604726X)を何度も何度も眺めていたものだった。愛用の「でっか字まっぷ 大阪24区 昭文社」に、心斎橋筋の森永製菓のキャンデーストア、不二家(こちらだけ現在も健在)、丹平薬局、明治製菓売店のあった場所をメモして、悦に入っていた。というわけで、初めて歩いた心斎橋筋で、このあたりにかつて「森永キャンデーストア」があった、不二家のちょっと先が「丹平薬局」だった、その向かいあたりが「をぐらや」だった、そしてもうすぐ戎橋というところ左手少し前あたりが「明治製菓売店」だった……と、群集のなかで立ちすくみ、「まぼろしの大阪」的よろこびにうちひしがれる。こうして実際に歩いてみると、1930年代のモダン都市の銀座の森永キャンデーストア、不二家、明治製菓売店とおなじような距離感で、モダン心斎橋にもこれらの店舗があったのだなあということが、実感できたのが一番の収穫だった。かつて明治製菓売店があった場所のちょっと先に「エクセルシオールカフェ」があった。戦前のチェーン店であるところの明治製菓売店をしのぶには、おあつらえ向きだ。吸い込まれるように中に入り、二階の窓際の席に座ってひと休み。心斎橋を歩く人々をみおろしつつ、通りがかりの中尾書店の均一台で購ったばかりの、カラーブックスの『新しい大阪』(昭和44年12月発行)をフムフムと繰った。




久板栄二郎『神聖家族』(新潮社、昭和14年6月25日発行)。装幀:吉田謙吉。『神聖家族』の初演は昭和14年4月18日より5月7日まで築地小劇場にて、新協劇団が上演。同月に明治製菓の宣伝部に入社したばかりの戸板康二はこの公演を観劇していて、劇中の会話に「心斎橋の明菓の売店で会おう」という台詞があったので、さっそく上司に報告すると、「お礼に行って来てくれ」と命を受け、角砂糖と瓶詰を持って四谷坂町の久板栄二郎のアパートを訪れたという。




『三十五年史 明治商事株式会社』(明治商事株式会社、昭和32年5月2日発行)より、心斎橋の明治製菓売店の旧店舗。昭和3年11月25日開店。昭和5年11月11日、火事で喫茶部を焼失。



『明治製糖三十五周年記念 伸び行く明治』(明治製糖株式会社、昭和15年12月10日発行)より、心斎橋の明治製菓売店の新店舗。上の店舗が火事で焼失後、昭和7年3月10日、新築開店。昭和20年3月14日、空襲で全焼。『モダン心斎橋コレクション』に、「食通」第2巻8号(喫茶店とフルーツパーラー号)に掲載の明治製心斎橋筋売店の挿絵が! 1934年10月発行号とのことなので、新店舗の挿絵だ。



ついでに、『森永五十五年史』(森永製菓株式会社、昭和29年12月発行)より、森永キャンデーストア、大阪心斎橋売店。《日本で初めてステージを設け音楽・映画の提供。上:店内。右:前景》。昭和4年3月1日開業。舞踊、音楽をステージよりサービス。『モダン心斎橋コレクション』には、《キャンデーストアも夜になると大人ばかり》とある。




心斎橋の森永キャンデーストアってこんな感じだったのかなということで、木村荘十二『純情の都』(昭和8年11月封切、P.C.L.)より、「明治スヰートショップ」という名のキャバレー。ステージの奥に明治チョコレートの大きな看板。上は、堤真佐子以下、レヴュウガールの面々。下は、山田五郎と宮野照子の華麗な舞踊。



『純情の都』に登場のキャバレー「明治スヰートショップ」の支配人古川緑波と通りがかりの丸山定夫。この画像では暗くてよく見えないけれども、あちらこちらに明治製菓のお菓子が陳列してある。



コーヒーを飲んでひと休みしたところで、このあともひたすら大阪の町中を歩き続けた。いつも、大阪に来るとむやみやたらに興奮してしまう。いつまでも、糸の切れた凧のように、あちらこちら歩き続けて、膿むところを知らないのだった。明治製菓売店跡地の直後、道頓堀川をわたった戎橋筋沿いの「をぐら屋(http://www.ogurakonbu.co.jp/)」で佃煮を買ったのも、嬉しかったこと。『モダン心斎橋コレクション』で、かつて「丹平薬局」の向かいにあった「をぐらや」は、落語の『三十石』でおなじみの「勘六さんえ〜、をぐらやの鬢付けこおてきてや〜」のあのお店だと知って、「ワオ!」と興奮だった。『三十石』が日頃から大好きなので、それだけで嬉しい。《昆布の老舗、「をぐら屋」は嘉永元年、鬢付け油の「をぐらや」から暖簾わけしたもの》と『モダン心斎橋コレクション』にあるのを見て、ふつふつと「をぐら屋」でお土産を買いたいなと思っていたので、念願かなって嬉しい(「をぐらや」が健在だったら椿油を買いたかった!)。とにかくも『モダン心斎橋コレクション』でたどる「まぼろしの大阪」は格別だった。