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『如何なる星の下に』とムーラン・ルージュ。『純情の都』と浅草。

先日、高見順の『如何なる星の下に』を読んだあと眺めていた桑原甲子雄の写真のうちの1枚。



桑原甲子雄《浅草公園水族館》(昭和10年)。

――往年の名物も今や廃墟のようになっていた。廃墟といえば、浅草のレヴィウの発生地のような水族館も廃屋のままで、深夜にその屋上のあたりから踊り子のタップの靴音が聞えてくるという怪談さえ出ているほどの惨憺たる有様である。(これはその後間もなく取り壊された。「カジノ・フォーリー」のかつてのファンは夢の跡を失ったのである。)

と、『如何なる星の下に』のこんなくだりが印象に残っていたばかりなので、桑原甲子雄の写真を見た瞬間、「あっ」となった。とにかくも、高見順の「浅草風俗小説」を読んだあとで、桑原甲子雄の写真を眺めるのはたいへんオツなのだった。



かつて銀座といえば「ライオン」というふうに、浅草の古い「カフェー」として「広養軒」があったという。《「ライオン」のなくなった今日、「広養軒」が依然その時分のカフェーらしい感じ》だった。その「広養軒」の向かいにある「聚楽」を経営する「須田町食堂」が今度「花屋敷」を買収するらしい、という会話の直後の路上で、彼らは「広養軒」の女給に遭遇する。

 国際通りを横断して、左角に「聚楽」(ついこの間まで観音劇場)、右角に「広養軒」のある通りを、そのまままっすぎに行こうとすると、
「こっちへ行きましょう」
とドサ貫が「広養軒」の方を指さした。「O館の奴らにお会うと、いやだから……」その通りのさきに、ドサ貫がもといたレヴィウ劇場のO館が見える。
 私たちは、ドサ貫の言うままに、右へそれたが、少し行くと「広養軒」の女給に会って、
「今日は。――この間は」
とあいさつされた。
「シャンですね。女優かなんかですか」重苦しい空気を払いのけようとするように、喫茶店のバーテンダーが言った。
「広養軒の女給さんさ」
「ああ、角の。あすこは古いカフェーですね」うしろを振り返って「カフェーの女給か。綺麗な女だな。女給には見えないな」
「この間までは女優さんだったのだ」
「なアるほど」
 バーテン君は感心したようにうなずいて、(中略)
「あすこはムーラン・ルージュの人がやっているですってね。――倉橋さんは、あのカフェーのおなじみで?」
「いや、一度行ったきり、この間初めて」


【高見順『如何なる星の下に』 - 第十回「酉の日の前後」より】


と、「浅草風俗小説」を読んでいたら、「ムーラン・ルージュ」のことも登場して、このところ、ムーラン・ルージュあれこれに執着しているところだったので、ちょいと興奮だった。「風俗小説」ならではのディテール描写のすばらしさが、高見順の身上。上記の会話のあとで、地の文ではこんなくだりがある。

 私に愛想よくあいさつしたその女給さんは、つい前まで新宿の舞台に立っていた。まだ二十前の娘で、バーテン君が「綺麗な女だな」と嘆声を発したのも無理はない、いかにも、溌剌とした若さに輝いた美しい娘だった。舞台にいた頃、将来が大いに期待されると、その方面の人人に嘱望され、新聞の劇評にもそう幾度か書かれ、やめる前にもそうした賞讃的記事が書かれたところだったのに、どうしてやめたのか、そのレヴィウの舞台からは、すでに何人か映画スターやレコード歌手などが巣立っていて、その劇場はスター養成所だとさえ言われているところだ。舞台に絶望して女給に転向したというのならわかるが、これからというところで将来の望みを捨てたのは、わからない。いや、わからないと言えばわからないが、いわゆる金のために違いない。


島村龍三『恋愛都市東京』新喜劇叢書1(西東書林、昭和11年9月再版)より、小野佐世男による挿絵、「恋愛都市東京 第1景 朝のアパート」。「新喜劇叢書」はムーラン・ルージュの上演脚本集で、第5集まで刊行された。1の島村龍三『恋愛都市東京』は「戀愛都市東京」「ルンペン社會學」「戀愛短篇集」、2の伊馬鵜平『桐の木横町』(昭和11年6月刊)は「桐の木横町」「ネオンの子たち」「猫と税金」「烏と燕尾服」「毛糸風俗」、3の齋藤豐吉『女の世界』(昭和11年8月刊)は「女の世界」「春怨尼」「にんしん」「女・女・女」「拔けうら」、4の仲澤清太郎『裏町感化院』(昭和11年9月刊)は「浮標のない港・都會」「羅針盤のない船・都會」「盲目の深海魚・都會」、5の穗積純太郎『タンポポ女學校』(昭和11年12月刊)は「タンポポ女學校」「失業侍氣質」「大學の答案用紙」「響男爵家の不思議な生活」「風呂屋の煙突はなぜ高い」を収録している。……などと、後日のためにメモ。




木村荘十二『純情の都』(昭和8年11月封切、P.C.L. )より、千葉早智子と竹久千恵子。『純情の都』は、ムーラン・ルージュ文芸部所属、島村竜三作『恋愛都市東京』の映画化で、上の挿絵とおなじ「朝のアパート」の場面。ムーラン・ルージュの舞台でも竹久千恵子は同じ役を演じていた。一人称が「ボク」の男まさり(宝塚の男役ふう)のモダンガール。香取俊介『モダンガール 竹久千恵子という女優がいた』(筑摩書房、1996年9月)によると、昭和8年の夏、竹久千恵子は三ヶ月契約でムーラン・ルージュから P.C.L. へ借り出され、撮影に入ったという。この本によると、たまたま舞台を見ていた菊池寛が竹久千恵子に感激、「モダン日本」昭和8年5月号に島村龍三のシナリオが掲載されるきっかけになったとのこと。まあ、そうだったのね!




『純情の都』の同年のムーラン・ルージュのプログラム(第61号)、昭和8年9月9日発行。1「閣下と桃の木」伊馬鵜平、2「ヴァラエテ 月とむかしの武蔵野 十四曲」、3「青春と堕落」齊藤豊吉、4「ミュージカルファース 靴下止めと操縦士」山田壽夫、という狂言立て。このころ『純情の都』の撮影中だったはずの竹久千恵子の名前が「靴下止めと操縦士」にひっそりと連なっているのが気になるが…。と、それはさておき、『恋愛都市東京』の上演プログラムも欲しい!


とかなんとか、心はムーラン・ルージュ! というわけで、昭和6年の大晦日に開場、17年に時局柄「作文館」と改称させられ、戦後再びもとの名前に返って昭和25年に解散した劇場であるところの、新宿のムーラン・ルージュににわかに心ときめくのだった。

 昭和九年。私は二十歳で、いまから思えば生意気ざかりの青年であった。当時、住んでいたアパートが新宿裏にあったので、毎日新宿をうろつき回っていた。同じアパートに美術評論家の滝口修造氏が住んでおられ、ひっそりと奥さんと二人で絵をかいていたのが、なんともうらやましかった。
 今も昔もそこにある武蔵野館の前、今はビアホールになっているところに、フランス屋敷という喫茶店があったが、私は一日の大半を、そこで十銭のコーヒー一杯でねばっていた。
 そのころ、この店へ集まった人たちは、当時ムーラン・ルージュで活躍していた伊馬春部(そのころは鵜平)、穂積純太郎、小崎政房、俳優では藤尾純、故三国周三、望月優子(そのころは恵美子)、明日待子、そのほか立野信之、田村泰次郎、菊岡久利などで、私たちは窓辺に卓にたむろして、向かい側の武蔵野館へ出入りする女性の観客を、あれこれ品評して採点をつけたりしていた。なんとも失礼な話だが、そんなことでもするほかはないほど、虚しい青春であった。


【十返肇「詩のない生活から」- 『十返肇の文壇白書』(白鳳社、昭和36年10月)より 】

ムーラン・ルージュを思うということは、同時期の紀伊国屋書店、野口冨士男が紀伊国屋出版部の「行動」の編集部に入った昭和8年、「レッエンゾ」の編集を手伝った十返肇との交流が始まったのが昭和9年…というようなことを包括する、紀伊国屋書店の1930年代を思うことでもあるのだ。……という折りも折り、ゆまに書房(http://www.yumani.co.jp/)の「コレクション・モダン都市文化」第37巻『紀伊国屋書店と新宿』(和田博文編)がいよいよ今月に刊行予定だという。なんとストライクゾーン! ということで、何ヶ月も前から刊行をたのしみにしているのだけれど、さて、どんなふうになっているのかな(買う気満々)。 



ところで、先日の懸案だった(id:foujita:20080604)、『純情の都』に出てくる屋内遊技場(のようなところ)の詳細がわかって、大興奮だった。香取俊介『モダンガール 竹久千恵子という女優がいた』(筑摩書房、1996年9月)にて、竹久千恵子が当時のことを、《松屋デパートにあったボーリング場のシーンをいれたり、舞台とはまた違った楽しいものでしたよ》というふうに回想していて、まあ、松屋だったのね! と相成り、心はふたたび、桑原甲子雄の写真と同時代の浅草へと向かうのだった。 



というわけで、木村荘十二『純情の都』(昭和8年11月封切、P.C.L.)より、竹久千恵子と堤真佐子と藤原釜足と岸井明が遊んでいるシーン第二弾。あたらためて見てみると、この場面、これでもかと「スポーツランド」の文字が見えるようになっていて、典型的なタイアップなのだった。上がミッキーマウスの絵がみえる動く歩道で遊んでいるところで、下がボーリング場、後ろに「SPORTLAND」という旗が見える(この映画では堤真佐子がキュートで好きだった。成瀬巳喜男の『乙女ごころ三人姉妹』とはまた違った魅力)。こちらのページ(http://www.ampress.co.jp/archive.htm)にあるPDFファイルで「スポーツランド」にあった遊具の紹介があって、そのいくつかを『純情の都』で実際に見ることができる。単なるタイアップながらも、ドキュメンタリーふうに乗り物とそれに興じる4人組が次々と映し出されて、なかなか洒落ていて、好きなシークエンス。




《一日楽しく遊べる スポーツランド 浅草松屋》の宣伝カード(昭和9年)。さっそく買ってしまった紙モノ。ひとりでホクホクと「紙屑のモダニズム」的よろこびにうちひしがれるのだった。