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古書展で「読書感興」を買い、内田魯庵と加藤美侖をおもう。

正午。昨日はうっかりいつもの倍飲んでしまった、「いつもの倍」が着実に「いつも」になっている、このへんで料簡を入れ替えないといけない……と、生あたたかい初夏の道を神保町に向かって、ノロノロと歩くその途上のコーヒーショップでぼんやりと一人で昨日の反省会。iPod に入っているバーンスタイン指揮ウィーンフィルのハイドンを聴いて陶然となっているうちに、なんとなく気持ちが晴れてきて、かすかに残っていた頭痛もすっかり消えた。こうしてはいられないと、《オックスフォード》の最終楽章が終わったところでスクッと立ち上がり、ズンズンと古書会館へと向かう。今週は日頃の御贔屓「趣味展」なり。スミからスミまで棚を眺めて、何度か「おっ」、幸か不幸か購入に至らないものが多かったものの(裏表紙が明治製菓の広告の、松本竣介の雑誌「雑記帳」が記事の並びと全体のたたずまいに見とれ、とても欲しかったのだけれど予算の都合上やむなく見送ったりとか)、あちらこちらで戦前の紙モノ探索が今日はとりわけ充実していて、古書展はなんとたのしいのだろう! と、なかなか立ち去りがたく、すっかり長居してしまった。




「読書感興」第3号(双雅房、昭和11年7月10日発行)。表紙:鈴木信太郎。本日の買い物より、扶桑書房にて400円。「双雅房勉強」を緩慢に続けて幾年月、「文体」(昭和8年7月から昭和9年8月まで全11冊)→「随筆趣味」(昭和9年11月から昭和10年9月まで全6号)→「読書感興」(昭和11年2月から昭和13年3月まで全8号)というふうに最終的には斎藤昌三と袂を分って書物展望をとびだして双雅房(前身が書物展望社時代の文体社)の社主となった岩本和三郎が出していた雑誌をカリカリと調べていたのだったが、本誌はなんやかやで入手しそこねていた。今日はこの1点だけでも古書展に来た甲斐があったッと、心のなかで小躍り。




「読書感興」第3号より、内田巌「父 魯庵をめぐる 二 叱り方戦術」。挿絵も内田巌。書き出しは、

加藤美倫氏の告別式を活動写真に撮った中に父魯庵の酒を飲む光景がある。それは甘茶と称して会葬者に茶碗で酒を勧めたのを、父自身は酒だと知らずに飲んで、口に含んでニヤリとすると云う場面だった。これは一度父の一周忌に借りて来て、魯庵会の席上で映写された事があって、今では父の面影をマザマザと眺め得る唯一の品なのだが、元来下戸であった父が酒を飲む姿を活動写真の中に残した事は甚だ皮肉で、「どうも驚いたよ、茶だと思って飲んだら酒なんで」とその葬式の後で、笑いながら人に語ったそうだ。

というふうになっていて、加藤美倫といえば、「sumus」第11号《特集・実用を超えた実用本》(2003年1月31日発行)掲載の、南陀楼綾繁さんの「大正の何でも博士 加藤美侖のこと」! というわけで、帰宅後まっさきに読み返した。初めて「sumus」を手にしたのは2001年の夏のこと、以来ずっと「sumus」のまわりをグルグルまわってばかりいて、今日に至っているのだった。




「sumus」第11号《特集・実用を超えた実用本》(2003年1月31日発行)。南陀楼さんによるカヴァー解説に、《加藤美侖が一人で写っている写真は、目下のところこの一枚しか見つけられていない。収録された追悼文集『水菴集』(昭和3年)のずさんな編集ぶりには本文中にも触れているが、この写真がいつ撮影されたかいっさい書かれていない》とある。


南陀楼さんの「大正の何でも博士 加藤美侖のこと」によると、誠文堂(昭和10年に「誠文堂新光社」に)の小川菊松は、《「商売は宣伝である」という信念を持ち、新聞や雑誌に大量の広告をだしていた》とのことで、加藤美侖の「大正年間の大ベストセラー」であった『社交要訣 是丈は心得おくべし』(大正7年12月初版)の新聞広告は《実用本広告のツボを見事に押さえている》という。と、ここで魯庵が「広告の現在と近い未来」という一文を寄せている、『広告文化』(正路喜社、大正14年5月)のことを思い出すのだった。山口昌男『内田魯庵山脈』晶文社(asin:4794964633)で知ったのが最初で、同書に「正路喜社」が《大正十三年、広告文化講演会を行い、三人の講師に講演を依頼した。『広告文化』という書物を刊行するに際して、その講演に加え、十三人の諸家に依頼した「意見」を併載》したもので、《内田魯庵と奥野他見男が目次の同頁に名を連ねた》というふうに紹介がある。……とかなんとか、古書展でふらりと入手した「読書感興」を機に、明治製菓の「スヰート」の時代前史の、明治大正の広告あれこれに思いが及んで、いろいろと尽きないのだった。



双雅房からは内田魯庵の著書として、柳田泉・木村毅編『魯庵随筆 気紛れ日記』(昭和11年6月)と『随筆問答』(昭和12年9月)が出ているのだったが、書物展望社刊行本から引き続いて5冊目(『紙魚繁昌記』、『読書放浪』、『続紙魚繁昌記』、『紫煙の人々』に次ぐ)となり、双雅房としては初めての魯庵本となる『気紛れ日記』の宣伝文は岩本和三郎自身によるもので、《書物関係のものが主であった既刊の魯庵随筆とはいささか趣きを変えて、極めて多方面に亘る魯庵翁一流の随筆を網羅》したとし、装釘に関しては《既刊四書の下手物趣味のものとは、がらり変って極めて清新》というふうに書いてあって、斎藤昌三への対抗意識むき出しで、つい笑ってしまう。「魯庵随筆」の初版本はいずれも未入手、ずらりと書棚に並べるのが、目下の夢。魯庵にますます興味津々になったというのが、「双雅房勉強」の大きな収穫のひとつなのだった。「双雅房勉強」はまだまだ道半ばなのだけれども。



古書展のあとは、地下鉄のなかで買ったばかりの「読書感興」を繰って、とある図書館へ。地下室の閲覧机にて、古雑誌を何冊も積み上げて、カリカリとノートをとって、最後に、最小限度のコピーをとって外に出ると、午後7時。とっぷりと日が暮れて、シトシトと雨が降っている。今日入手したコピーのことを思うと、すぐに家に帰るのがもったいない。気もそぞろに通りがかりのコーヒーショップに寄り道して、入手したばかりのコピーをいつまでも眺めて、ジーンと感激にひたる。それにしても、朝寝をすると、一日が短いのだった。明日は早起きしたい。