東京ステーションホテルと旧丸ビルに心ときめかす。黄金週間の観劇。

ベランダのカーテンを開けはなってみると、ひさしぶりの青い青い空。こんなに嬉しいことはない。晴天のサマを目の当たりにし、にわかにハリきり、怒涛の勢いでいつもの家事諸々と合わせて、ふだんはさぼってしまう類の家事諸々をもかたづけてゆく。最後に、えいっと布団を干して、スッキリ。連休中に布団が干せてよかったッ、これで今年の黄金週間を何の悔いもなく締めくくることができるッと、低次元過ぎる歓びで心が満たされたところで、時刻はまだ午前8時前。よい天気なので、かばんに本を何冊か詰めこんで散歩に繰り出すことにする。小一時間ほどぐるっと歩いたところで、自宅近くのコーヒーショップでひとやすみ。読みさしのまま放置されていた南川潤の『風俗十日』をおしまいまで一気に読む。まだまだ時間はたっぷり、連休ならではのこのゆったりとした時間がいいなアと、ふつふつと嬉しい。


先日の「外市」でふらりと買った、江藤淳・蓮實重彦『オールド・ファッション 普通の会話 東京ステーションホテルにて』(中公文庫、1988年12月/親本は1985年10月刊)をパラパラっと読んでゆく。こういう本は細切れ時間に繰るのがぴったりで、こんな感じの思いもしなかった本を何冊かサクサクっとその場のノリで入手するのが古本買いの醍醐味だなアと「外市」のよき記憶にひたる。この連休は「外市」にも行けたことだし、本当にもう何の悔いもない。


この本は、東京ステーションホテルの写真が何枚も挿入されているというつくりだけでも、手元に置いておきたい気にさせられる。

(もう一杯、コーヒーを飲もうではないか、ということになり、両氏、いったんホテルの外に出て、勤め帰りのサラリーマンで賑わうグリルに入る。ほぼ満員の店内は、生ビールを飲みつつ談笑する人々の熱気で溢れかえり、グワーンと店内全体が揺らぐが如く。その喧噪の中、廻廊状にしつらえられた中二階中央の席に。二階からは一階の喧噪がよくみえる。
 テーブルの上には、ランプのようにみえる古風な電灯。水を運んできたウェイターが、傘の下に吊り下げられた輪を引っ張ると、電灯が点る。成程、こういう仕掛けなのか、と感心することしきり。両氏、改めて店内を見わたす……)


江藤  いいねェー。ここはいいですねェー。
蓮實  昭和十年代の感じですね、なんか。
江藤  あした支那事変が始まる、というようなね。(笑)昭和十二年七月六日の晩ですよ、これでは。 


【江藤淳・蓮實重彦『オールド・ファッション』 - 「食後のコーヒー(グリルで)」】

というようなくだりが嬉しい。2年前の春先、改装工事の直前にあわてて、ステーションホテルのレストランへブルゴーニュの赤ワインを飲みに出かけた日のことを思い出して、その折に見物した建物の細部の記憶が、対談集のあちらこちらで喚起される。あのときの経験は格別であったとあらためて思う。


東京ステーションホテルは、2年前の1月、「森茉莉街道をゆく(http://blog.livedoor.jp/chiwami403/)」のちわみさんが日曜日の昼食に誘ってくださったのが足を踏み入れた最初で、あんまり嬉しかったので「5年間の休業」の前にもう一度行きたくなって、3月中旬、新たに晩餐会を敢行したのだった。窓から見える駅のホームには、103系(だったかな)最終日ゆえ大群衆が集っていた。東京ステーションホテルといえば、昭和40年7月に戸板康二と内田百間が対談をした場所で、両者は戦前の「スヰート」以来の20年余年ぶりの対面をした、というわけで、数多い「東京戸板名所」のなかでももっとも魅惑的な名所のひとつなのだった(当の対談は「東京新聞」昭和40年9月17日から23日まで「百鬼園新涼談義」として7回連載され、のち昭和44年11月に三笠書房より刊行の『残夢三昧』に収録された。旺文社文庫の『残夢三昧・日没閉門』もわが書架の「スヰート」コーナーに並んでいる)。当時ちわみさんが誘ってくださったのは、もちろんそのことが念頭にあってのこと。




『百鬼園寫眞帖』(旺文社、1984年6月)より、丸の内の郵船ビル6階の六四三号室(「夢獅山房」)における孫の手を手にする内田百間。明治製菓の宣伝部で PR 誌「スヰート」の編集に従事していた戸板康二が郵船ビルに原稿を取りに訪れた当時の百間の風貌と執務室の資料として。

夢獅山房は七階の二十五畳敷と違つて窓外の見晴らしはない。……私は閉め切つた部屋の中で、家から持つて来た片香を焚き、隣りの丸ビルの花屋に特約して届けさせる花を眺め、竹の棒の先に牛骨だか馬骨だかの小さな手がついてゐる麻姑の手を、頸のカラの間から突つ込んで背中をぼりぼり掻いた。(「夢獅山散章」- 『菊の雨』所収)

数年来、「日本郵船の内田百間」に心ときめかしているうちに、おのずと戦前の丸の内界隈あれこれへと思いが及んでいる。戦前の丸の内を髣髴とさせる文献に出会うたびに大喜びしていて、最近では、杉森久英『大政翼賛会前後』ちくま文庫(asin:4480424075)における、丸ビルの中央公論社描写が嬉しかった。丸ビル文献といえば、なんとはなしに手にとった、梶山季之『ルポ戦後縦断』岩波現代文庫(asin:4006021240)所収の「丸ビル物語」(初出:「文藝春秋」昭和33年5月)にたいへん心がスイングしたものだった(と同時に、すっかり梶山季之のファンに)。




高田保『有閑雑記帳』(改造社、昭和9年9月)。なんてチャーミング! な、高田保のモダン都市文献の表紙に描かれた丸ビル。地階には、森永製菓、千疋屋、明治屋とともに明治製菓の売店もあった(大正15年開店)。




究極の丸ビル文献、『丸ビルの世界』(かのう書房、昭和60年12月)。ある日、ふらりと足を踏み入れたキントト文庫で初めて存在を知って、キャー! と即行買ってしまった本。こんなツボな本があったなんて! というような本に何度も出会う店、それがキントト文庫。上記の梶山季之の「丸ビル物語」は「サラリーマンの故郷」というタイトルでしっかり収録されているし、丸ビルの中央公論社についても、元社員による「中央公論と丸ビル」なる文章がある。




小津安二郎『早春』(昭和31年1月公開・松竹大船)より、東京駅から丸ビルをのぞむ。



『早春』で池部良が勤める会社は丸ビルの7階に事務室があった。その窓から駅前広場を見下ろしたところ。



小津安二郎『彼岸花』(昭和33年9月公開・松竹大船)でも冒頭に『早春』と似たショット。梶山季之の「丸ビル物語」と同年の映像。



『彼岸花』のはじまりは、東京ステーションホテルにおける、中村伸郎の令嬢の結婚披露宴。



江藤淳・蓮實重彦『オールド・ファッション』における、上掲の「食後のコーヒー(グリルで)」のすぐあとのやりとりは、江藤淳が《しゃべりながら、ついと立って一階を見下ろす手摺の傍らに。楽しそうに一階の喧噪をながめながら……》、「小津さんは、こういうショットは撮らないんですか」と言い、「そうですね、俯瞰は避けておられますね、小津さんは」と蓮實が応じると、「(笑いながら)見下ろしちゃいけなんですね」。ここを読んでまっさきに思い出した小津映画として、以上、しつこく貼りつけてしまった次第。



……とかなんとか、戦前丸の内文献として、『オールド・ファッション』もわが書架に並べるとしようと思いつつ、ズンズン読み進めて、江藤淳が二〇五号室で「ブランデーを飲みながら」、『鏡子の家』について「惜しいなあと思って、そのことをあるところに率直に書いた」折に三島由紀夫から届いたぶ厚い手紙、江藤淳が「小説家が批評家に宛てた手紙として、稀有なものだと思っている」というその手紙と、「駆け出しの若い批評家」であるところの江藤淳が書いた『鏡子の家』についての文章の詳細について後日確認せねばと、手帳にメモしたところで、スクッと立ちあがって、いったん帰宅。まだ正午までだいぶ時間がある。早起きすると一日が長い。





夕食後、昨日の歌舞伎座のおみやげ、浦和花見の「白鷺宝」をつまみつつ、ゆっくりとお茶を飲む。「白鷺宝」がすっかり気に入ってしまったので、来月もこれを買うのをたのしみに歌舞伎座へ出かけよう思う。昨日の歌舞伎座では昼の部、海老蔵の『渡海屋』『大物浦』、三津五郎の『喜撰』、團十郎の『幡随長兵衛』を見物したのだったけれども、三津五郎の『喜撰』に陶然となった以外は、淡々と眺めるのに終始してしまい、残念なことであった。と言いつつも、毎年の「團菊祭」の黄金週間の歌舞伎座行きはちょっと非日常で、お正月がもう一度やってきた気分がたのしい。こうなったら今年はお正月みたいに芝居見物の帰りは、東京會舘のカフェテラスに寄り道してのんびり本を読むとするかなと、前々から計画していたのだけれど、いざ当日になってみると、くたびれて早々に帰宅することになってしまって、これまた残念なことであった。東京ステーションホテルは「休業中」だけれど、東京會舘の「オールド・ファッション」なカフェテラスは健在。近々、ひさしぶりに行くのをたのしみに、連休明けを迎えるとしよう。


黄金週間は休日が増えるので、観劇の予定をここに投入することで、他の休日への差しさわりがなくなるのが、毎年嬉しい。憲法記念日には東京宝塚劇場へ出かけた。ここ2年ほど、歌舞伎は巡礼ふう(と自称するにはあまりに不真面目な観劇態度)に一人で観劇、宝塚は母上と大はしゃぎではせ参じて、その帰りは銀座か丸の内でショッピングと喫茶ないし食事、というふうになっている(なんて、実は一人でもちょくちょく行っているけれど。宝塚のない人生なんて!)。東京宝塚劇場に出かけるようになって、ロッパ全盛期の頃の日比谷界隈に思いを馳せながら劇場へゆく、というたのしみを知った。




秘蔵の、「クラブ歯磨」シールで封印の跡が残る(立ち読み防止?)、有楽座プログラム(昭和十五年八月)、《吉本爆笑実演大会 金語楼劇団第二回公演》。出演者は柳家金語楼、徳川夢声、川田義雄、林田十郎、芦の屋雁玉。演目は、全員総出演で『倅は生きている』、川田義雄・芦の屋雁玉・林田十郎のトリオで『ハモニカ小僧』、夢声・川田義雄・金語楼のトリオで『彦左と二人太助』、柳家金語楼主演で『勤労女性』。菊田一夫作演出の『彦左と二人太助』が猛烈に見たい! 




上記の有楽座プログラムは、当時の有楽町・銀座界隈の町並みを髣髴とさせる広告を眺めるだけでも胸が躍る。右下に「立田野」の広告! 宝塚観劇の日は、庄野潤三の真似をして「立田野」で夕食となることが多い。立田野の和やかさよ、永遠なれ! と心から思う。庄野潤三が毎回たのしみにしていたという劇場内の売店で売っていた「ヨーグルトファンシー」280円はいつのまにかなくなってしまったようだけれど。