読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

高見順の「都会風俗小説」に製菓会社が登場。十返肇の高見順論。

一ヶ月ほど前の「高見順全集を繰って、戦前『都会小説』の宣伝部描写に心躍らせる。」(id:foujita:20080323)の続き。「森茉莉街道をゆく(http://blog.livedoor.jp/chiwami403/)」のちわみさんが、川崎のコロムビア・レコードの工場と明治製菓の川崎工場のことを教えてくださって、大感激だった、のでメモ。いつもありがとうございます!


戦前の明治製菓宣伝部にまつわるあれこれ(名づけて "スヰートの時代" )を追う身にとっては、高見順が宣伝部員としてコロムビア・レコードに勤務していた当時(昭和5年秋から昭和11年6月まで)の見聞を多分に反映させている「都会小説」の短篇を何本か書いていたという事実はたいへん魅惑的で、興奮はまだまだ続いている。小説ならではの「実感的」な資料となっているというのが、まずはたいへんありがたいのだった。荒川洋治がチラリと紹介してくれたおかげで読むことになった『外資会社』(「新潮」昭和12年7月初出)がそもそものきっかけだった。南川潤を読んだときもしみじみ思ったことだったけれども、戦前の明治製菓宣伝部、すなわち「スヰート」と同時代の事象としての、1930年代「都会小説」ないし「風俗小説」が好きだ! と、あらためて目が見開かされた感じ。そして、思いはおのずと、野口冨士男や十返肇の文章を通して前々から夢中の「昭和文学盛衰史」的なものへと及ぶのだった。


そんなこんなで、短篇集としては1冊目となる『高見順全集 第八巻』(勁草書房、昭和45年8月)と2冊目となる『高見順全集 第九巻』(勁草書房、昭和46年8月)をあらためてじっくりと繰るのだった。短篇集1冊目となる『高見順全集 第八巻』は一高在学中から昭和12年の三十歳までの作品を収めていて、昭和8年以前はほとんどが単行本未収録とのこと。この時期は高見順のコロムビア・レコード勤務時と重なっている。宣伝部が舞台の「都会小説」があらたに見つかるに違いない! と胸躍らせて繰ってゆくと、目論見通り以下の3篇が見つかった(単行本は最初の刊行本をメモ)。

  • 『とつての友だち』(「作品」昭和11年3月、単行本未収録)
  • 『晴れない日』(「日本評論」昭和11年4月→『起承轉々』改造社・昭和11年7月)
  • 『生理』(「文藝春秋」昭和12年2月→『虚実』竹村書房・昭和12年7月)

最初に確認できる宣伝部勤務が反映されている短篇、『とっての友だち』の主人公は「K化粧品会社宣伝部」勤務で、タイアップシーンを確認すべく映画館でスクリーンを凝視しているところが小説の冒頭、というところに、さっそく心がスイングだった。しかし、これで驚いてはいけなかった。次の『晴れない日』の主人公はなんと「N製菓会社」の元宣伝部長! 歓喜のあまり、朝の喫茶店で「キャー! キャー!」としばしひとりで大騒ぎだった(心のなかで)。とにかく、製菓会社が登場する戦前の「都会小説」ないし「風俗小説」をまたひとつ発見できて嬉しくってしかたがない。しかも、さすがは宣伝部にいた高見順、南川潤の『人形の座』(id:foujita:20080227)以上に、宣伝部をとりまく描写の微細ぶりがすばらしかった。広告写真のモデルを斡旋する「マネキン・クラブ」のこととか、その撮影の様子とか。「N製菓」の猛烈な商売仇は「S製菓」なのだそうで、「森永対明治」に当てはめたくなってしまうのが人情というものだろうと思いつつ読みすすめてゆくと、

N製菓で新製品のグランド・セールに際し発表しようとしていた「紙函(サック)芸術」(御存知であろうが紙函で種々な玩具を作るのである。)の懸賞募集のプランが、膨大な新聞広告費の計上まで済んだところで、ポカッと一足先にS製菓にやられてしまった。

なんていうくだりがあって、明らかに森永製菓の「キャラメル藝術」をモデルにしていて、にんまりだった。主人公の元宣伝部長は、S製菓に出し抜かれた責任を負わされ退社、「外資会社」の写真器メーカーへ転職する。露悪的な文体という点でも興味深く、これについては、全集第八巻に所収の渋川驍による解説にある、『序』という作品に対する鋭い指摘が、『晴れない日』にもそのまま当てはまる。

全体の進行は、記述的でなく、むしろ映画的である。非常にテンポの早い書き方である。しかも、意識的に露悪的なところがあり、都会の地回り的な雰囲気がある。「いやな感じ」の書き方に通ずるものがあるようだ。このことが、気質的なものであり、それは山手育ちとはいえ、市井のなかに育った環境によるところが多いように思われる。


高見順『晴れない日』(昭森社、昭和21年1月20日発行)、装釘:児島善三郎。『晴れない日』は高見順の初の著書、『起承轉々』(改造社、昭和11年7月)に収録されていて、このたびの「高見順の都会小説」ブームを記念するのと、南川潤の『人形の座』(日本文学社、昭和14年6月20日発行)の隣りに「戦前の製菓会社が登場する小説」コレクションとして並べたいのとで、猛烈に欲しくなってしまうのだけれども、こちらは時節を待つこととする。その代わり、佃煮にするくらいたくさん売っていて安価な仙花紙本の方を、版元に惹かれたこともあって、購入。




高見順『虚実』(昭森社、昭和21年12月20日発行)、装釘:児島善三郎。上の『晴れない日』が改題され『虚実』として、同年年末に刊行されている。装釘が異なるだけで、中はまったく同じ。収録作は、『虚実』『地下室』『起承転々』『路地』『私生児』『嗚呼いやなことだ』『晴れない日』。著者あとがきを付す(昭和20年12月15日付)。

紅野「……この昭森社、それは昭和十年代では忘れられない出版社ですね。戦後もそうなんですけど、森谷さんが亡くなられて、「本の手帖」の別冊で、昭森社の目録が出ましたが、それがすばらしい目録で、昭和文学史と切っても切れない関係がよくわかります。われわれ今日から見ると、刺激を受ける本がずいぶん出ていますね。」
野口「あのころ小さな出版社が多かったですね。」
紅野「紀伊国屋といい、大観堂といい、赤塚書房といい……。」
野口「竹村書房、砂子屋書房、これは絶対に忘れられない。昭森社という本屋さんは、中でも非常におもしろい本屋でしてね。稲垣足穂さんなんかのも出している。森谷均に知恵をつけていたのが倉橋弥一なんです。」
紅野「高見順さんの本には倉橋さんの話がちらちら出てまいりますね。」
野口「倉橋弥一が非常な稲垣足穂びいきで、稲垣さんの本を出せ出せというわけですよ。ほかのジャーナリズムじゃ稲垣足穂さんが全然忘れられていた時代に、その本が出るということはマイナー出版社でなきゃならないし、またマイナー出版社には倉橋弥一みたいな男がついていたということです。砂子屋の山崎の剛平さんには尾崎一雄さんとか。ですから、文壇の表面に現れたところと、蔭の部分でいいますと、竹村書房なんか参謀は知りませんけど、たとえば平野謙さんがあそこで校正をやっていたということがあるわけです。」


【野口冨士男・紅野敏郎「昭和十年代文学の見かた」(「風景」昭和48年1・2月号) - 野口冨士男編『座談会 昭和文壇史』(講談社、1976年3月)】

先に手にしていた『高見順全集 第九巻』は「短篇小説集 二」は、昭和12年3月から15年9月までの33篇を収める(この時期の短篇としては約50篇が全集未収とのこと)。宣伝部での見聞が反映している作品として、

  • 『外資会社』(「新潮」昭和12年7月→『虚実』竹村書房・昭和12年7月)
  • 『前後』(「自由」昭和12年8月→『流木』竹村書房・昭和12年12月)
  • 『机上生活者』(「中央公論」昭和13年2月→『流れ藻』丹頂書房・昭和21年3月)
  • 『通俗』(「改造」昭和14年6月→『花さまざま』実業之日本社・昭和16年2月)


高見順は、昭和10年6月の第一回芥川賞選考会に『故旧忘れ得べき』がノミネートされたのを機に「流行作家」となった(瀧井孝作が選評で、雄弁な文体が宇野浩二のようだというようなことを書いているのが興味深かった)。上記の短篇はまさしくそんな「流行作家」になりたての時期に書かれたもので、コロムビア・レコードを退社したのは昭和11年6月ころ、講談社文芸文庫の『草のいのちを 高見順短篇名作集』(asin:406198294X)の巻末年譜(宮内淳子編)によると、国民新聞に『三色菫』を連載したのがきっかけだったという。


この時期の高見順は大森区入新井在住で(昭和18年4月に鎌倉へ転居)、昭和13年はじめに銀座の仕事場を浅草の「五一郎アパート」に移し、浅草時代がはじまる。内田誠や南川潤、そして十返肇が住んでいた大森に思いを馳せるひとときがよかった。そして、堀切直人著『浅草』栞文庫(asin:4990170326)を読み返すのも格別だった。


十返肇が『現代文壇人群像』(六月社、昭和31年6月)という本(←踊ってしまいそうなくらいに面白い本。ちくま文庫の竹中労『芸能人別帳』のようなノリで再刊していいと思う)で、

ほかの鎌倉文士なみに書画、コットウを愛し通人ぶるが、こんなのは高見順らしくないね。彼はやっぱり銀座か浅草のドマン中に仕事部屋を持ってバリバリ都会風俗小説を書くべき作家だ。丹羽文雄や石川達三よりも彼は都会風俗を知っている筈だし、レコード会社などに勤めて都会のサラリーマン気質も知っているのだから妙に浮世離れしたような境地をさまようのは考えものだ。近ごろ中間雑誌に二、三そういうのを書いてはいるが、まだまだ昔の「外資会社」や「如何なる星の下に」の頃のハツラツたる調子を取り戻してはいない。

というふうに書いている。さすがは十返肇の鋭い指摘が、わが意を得たりで、嬉しかった。その高見順が「ハツラツたる調子」だった頃、十返肇は、「三田文学」昭和13年5月号に『高見順について』を寄稿している。『十返肇著作集』(講談社、昭和44年7月)で読むことができるのだけれども、これがまさに「ハツラツたる調子」の見事な文章で、あらためて十返の早熟ぶりにハッとなった。

身を崩したような態度と、したがって崩れたような文章で、ぬらりくらりとのたうっていると見せかけて、実は何時の間にか対象の中にもぐりこんでいるのが高見順の文学的方法である。そしてこのような方法が如何にも行き当りばったりのものであるかのように見えながら、実はすべて作者の最初からの計算にもとづいている点に、私は高見順の並々ならぬ「作家的手腕」を観るものである。人人はこれを形容して「器用」だと言ったりする。私もそれに異存は無いのだが、これが単なる思いつき的器用乃至小器用ではなく、高見順の行き方そのもののあらわれである点に、意味が在るのではなかろうか。高見順にとっては、このような方法こそが対象を把握してそれを可能な限りレアルに表現するための唯一の方法ではないかと私は解釈する。

というふうな書き出し。そんな十返の実感とともに、これからちょっと高見順を追求していきたいと思っているところ。実は、これまで『昭和文学盛衰史』を熟読するくらいで、ほとんど読んだことがなかった。


講談社文芸文庫の『草のいのちを 高見順短篇名作集』(asin:406198294X)は、高見順全集をとるきっかけとなった荒川洋治が解説を書いている。『いやな感じ』(昭和35年1月から昭和38年5月まで「文学界」に連載)のことを「日本文学のなかでぼくがいちばん好きな作品のひとつ」とまで書いている。近々ぜひとも読まねばと思う。