部屋で戦前松竹ヴィデオ。映画館でマキノ正博『幽霊暁に死す』。

休日の朝のおたのしみは借りものヴィデオの再生だてんで、今日は佐々木康『風の女王』(昭和13年・松竹大船)を見る。原作は片岡鉄兵。佐々木康の戦前松竹映画は、桑野通子が女学生を経ての新人弁護士を演じる『新女性問答』(昭和14年、オリジナル脚本)、川崎弘子が新宿伊勢丹のデパートガールに扮している『女性の戦ひ』(昭和14年、原作は菊池寛)に続いて、今回で3本目だけれども、毎回毎回、これでもかと突っ込みどころ満載の女性向けメロドラマで、微苦笑するしか他にすべがない。当時の婦人雑誌ないし少女雑誌に連載された文士(のサイドビジネスとして)の「通俗小説」が単行本化することなく埋もれているのと同様、映画館で上映されることはたぶんないだろうと思うような脱力ぶり。でありながらも、古書展でひろった古雑誌で読む挿絵つきの女性向け風俗小説を気まぐれに読んでみる感覚とまったくおなじように、女優見物とロケ地の東京見物はやっぱりたのしくて、そこに垣間見られる「モダン都市」的描写をはじめとして、そこはかとなく見る価値は毎回あったと思っているので、ほんの気まぐれに気楽にヴィデオに見るのがいかにもぴったりなのだった(原則、ヴィデオは再見の映画のみにしている)。




今日見た『風の女王』(昭和13年)には日劇を背に数寄屋橋公園が登場して、嬉しかった。笠智衆と三宅邦子が待ち合わせている、その後ろの晴海通りを「市電」が走っているのがかすかに見えた。残り少ない旭屋書店銀座店の日々の折はこの場面を思い出しそう。




ついでに、先日見た『女性の戦ひ』(昭和14年)より、新宿伊勢丹のデパートガール川崎弘子。伊勢丹がロケ地として大々的に使われていて、一種のタイアップと思われるのだけれども、その割にデパートガールの気の毒な境遇のいくつかの描写がプロレタリア小説ふうだったりする。




おなじく『女性の戦ひ』より、回転ドアから喫茶店に入る上原謙に恋するお嬢さん(女優の名前失念)。入口のところだけロケと思われる。店名が「CAPRICE」となっていて、「キャー!」と、十返肇たちが戦前行きつけにしていた「カプリス」かしら! と大興奮したものの、どうやら違ったらしい。残念。

 数寄屋橋の角の鮨屋の二階に、カプリスという喫茶店があり、そこが仲間の溜り場になっていた。昭和十五年頃のことである。
 なんの取柄もない平凡な店で、どうしてそこに集まるようになったのか記憶にないが、南川潤が経営者の親戚だという女の子に岡惚れしていたし、井上立士ももう一人の背のひょろ高い女の子に思召があった。それに、地の利を得ていた。牧屋善三が築地の出版社、私が銀座の地方新聞の支局、そうして十返のいた第一書房の売店はこの店の真向いであった。十返はその頃、第一書房でセルパン(もう横文字の題名はいけなくなって、新文化と改題していたかもしれない)という雑誌を編集していた。


【船山馨「カプリスの頃」 - 『十返肇 その一九六三年夏』(私家版、1969年8月28日発行)より】



ひさしぶりにシネマヴェーラ渋谷へゆく。このたびのマキノ雅弘特集のチラシを入手してまっさきに手帳にメモした、マキノ正博『幽霊暁に死す』(昭和23年・東宝)を見る。これはめずらしい! と、夢声が出ていたりと出演俳優がそこそこ豪華ということもあり、とりあえず見に来たのだったけれども、案外の佳品でにっこり。すぐに忘れてしまいそうと言ってしまえばそれまでだけれども、たまにでも映画館でこういう映画を見られると嬉しいというような味わいだった。だいぶ大柄になりつつも、轟夕起子は『ハナコサン』と同じく明朗で屈託なくて、長谷川一夫は息子と父の幽霊の二役。そのお父さんの弾くピアノで轟夕起子が歌を歌うシーンなど、オールド宝塚ならではのよき雰囲気が品格たっぷりだなあと思った。斎藤達雄、坂本武、飯田蝶子など、戦前小津映画を思い出してしまうような配役が嬉しく、花菱アチャコ出演というのもぜいたく。


おもしろかったのが、長谷川一夫が校長に異議を唱えるところとか、幽霊の出現に驚愕するところとか、斎藤達雄が抵抗するところなどなど、ところどころの演出が大げさで、そこはかとなく新劇ふうだったところ。新劇ふうの最たるところは、幽霊であるところの父。滝沢修が演じたらさぞかし堂に入ってやり過ぎてしまったことだろうと想像してニヤニヤだった。芥川比呂志の『生きている小平次』を思いだしもし、そうか、「幽霊とそれに対峙する人間」というのは多分に芝居的で舞台演劇に似つかわしい題材なのだなあというところになるほどと思って、ついハムレットを思い出したりもした。『四谷怪談』の映画化がちょっとばかしギャグめいてしまうことを思うと、幽霊は演劇には格好の題材だけれども、映画とはどうも相容れないようだ。しかし、『幽霊暁に死す』はギャグになる一歩手前のおかしみになごみもし、幽霊というのは愛する亡き人に会えることなのだというところがハートウォーミング。子供時分に読んだ読み物のような心地だった。長谷川一夫の二役も悪くなかったけれども、『続清水港』の千恵蔵がぴったりだなあと思った。って、轟夕起子が出ているのでなおのこと『続清水港』を思い出したのかも。


……などなど、まとまらないことを書き連ねてしまったけれども、大いに嬉しい映画だった。「特別上映」と銘打った『幽霊暁に死す』、当時のプレスシート(のようなもの)をコピーして配布してくださるという心づかいに大感激。おかげで役者に疎いわたしもバッチリ予習ができて、たいへんありがたいことであった。




と、プレスシートの配役欄の、斎藤達雄、徳川夢声、飯田蝶子、沢村貞子という並びを見て、「あっ!」と架蔵のこのスチール写真を思い出して、たいへん嬉しかった。ワオ!




徳川夢声『親馬鹿十年』(創元社、昭和25年11月)。『幽霊暁に死す』のハートウォーミングぶりを見て短絡的に、直木賞候補にもなったという夢声の短篇小説『幽霊大歓迎』のことを思い出して、帰宅後、読み返すべく取り出した本。装釘については後記に、《装釘は、珍らしく自分でやつた。というと大袈裟だが、あれこれと迷ってる時、偶然手に入った、鎌倉因果経の繪がひどくお誂えのような氣がしたので、ただもうそのまま、カバアの印刷となしたのである》とある。夢声研究家として令名高い濱田研吾さんの『職業“雑”の男 徳川夢声百話』(私家版、2003年2月発行)を5年前に手にしたとき、初めて『幽霊大歓迎』のことを知って猛烈に読みたくなったものだった、と思い出して、懐かしい。夢声の「直木賞候補」については「直木賞のすべて(http://homepage1.nifty.com/naokiaward/index.htm)」にて、「『幽霊大歓迎』を追い求めて(http://homepage1.nifty.com/naokiaward/kenkyu/kenkyu_21TM.htm)」と題した素晴らしい論考を読むことができて、たいへん感激。