『十返肇著作集』をもって近代美術館へ。神保町シアターで鳴滝組。

昨夜、近所のお店で機嫌よくワインを飲んでいたら、同じカウンターに座る常連ふうの人がマスターに、『深夜食堂』(asin:4091817076)という漫画がとってもいいんですよ、ぜひぜひ、というようなことを話しているのが耳に入って「おっ」となった。『深夜食堂』がいかによいかトクトクと語るのを盗み聞きして、うんうんとうなずくことしきり。去年年末に新宿のジュンク堂で『深夜食堂』第1巻を買って、わざわざ時間をかけて歩いて帰る途中(お正月休みで時間たっぷり、というか大掃除をさぼった)、コーヒーを飲んでじっくり読みふけったひとときのことを懐かしく思い出した。第2巻は「初夏発売予定」というような告知がでていたので、刊行のあかつきにはまた新宿のジュンク堂から徒歩数十分の帰路にある、あのコーヒー屋で読みふけろうと思う。


と、機嫌よくうっかりいつもの倍飲んでしまって、一夜明けてみると、最悪の状態はなんとかまぬがれたものの、ズキズキとひどい頭痛でつい朝寝、今週も「音楽の泉」を聞き逃してしまって無念なり。ノソノソと正午前に外出し、竹橋の近代美術館に向かってソロソロと歩きながら、いつもの倍飲んでしまった、って、このところ毎回いつもの倍、飲んでいるような気がする、「いつもの倍」が「いつも」にならぬように今のうちに軌道修正せねばならぬ、というようなことを思っているうちに、早くもくたびれたので、美術館の前にコーヒーショップであたたかいカフェオレを飲んで、ひと休みすることにする。


昨日神保町で数年来の念願だった、『十返肇著作集』(講談社、昭和44年4月)を入手して、嬉しくってたまらない。今まで何度図書館で借りだしたことだろう。満を持してわが書架に収まることとなって、とにかくもこんなに嬉しいことはない。十返肇の七回忌の年に刊行された上下にわたるぶあつい著作集は野口冨士男が編集の実務にあたっているので、十返肇の著作であると同時に、野口冨士男の文学的営為を見るということでもある。その意味で二重に嬉しい1冊。……などと嬉しいあまりに、さっそくコーヒーを飲みながら眺めたいものだと下巻の方を持参していた。おかげで荷物が重くて早々にくたびれることになってしまったのだけれど(アホ)、まだ頭痛が残っていてうっすらとダルイ身体にあたたかいカフェオレがじんわりと浸透、体調が徐々に回復してゆくなかで、かつて読んで好きだったところをピンポイント式に読み返したり(絶筆の「日記」は何度読んでも壮絶に見事な「軽みのままの円熟」の極致)、今まで何度読んだかわからない野口冨士男の解説を読んであらためて胸を熱くしたりして、ゆっくりくつろぐ時間がなんだかよかった。巻末の年譜を見て、いろいろと考えているうちに、ずいぶん長居してしまって、いつのまにか頭痛はすっかり消えていた。えいっと外に出て、生あたたかい春の道をズンズン歩いて、東京国立近代美術館へ。




十返一『意志と情熱』青年芸術派叢書(通文閣、昭和16年7月20日発行)。装釘:斉藤正夫。戦前の名義は本名の「十返一」だった。去年年末に扶桑書房の目録で買った本。野口冨士男を読むようになって以来の念願の《青年芸術派叢書》が初めてわが書架に入って、感激はひとしおだった。このころの十返は宣伝部の廃止にともなって森永製菓を失職して第一書房に入ろうとする頃。十返自身がのちの回想文で、当時の情勢とあいまって青春の終わりの不安な時代だったというふうに書いている。




今回買った『意志と情熱』は「著者校正本」となっていて、中をめくるとこんなふうになっていて、臨場感たっぷり。『十返肇著作集』を編むにあたって、野口冨士男は、『意志と情熱』を全篇収録して、《昭和十六年七月という発表の時期を念頭から切りはなすことはゆるされない》としている。また、別の文章で《若書きの未熟さはあるにしろ、その主題の高さにおいて、また、まとまった評論として彼の代表作の一つだと私は思っている》と書いている(「童顔の毒舌家」『作家の椅子』所収)。と、何年も前から興味津々だった十返肇にこのところさらに執心なのは、去年11月に越谷市立図書館で「野口冨士男文庫」講演会(特に武藤康史がたいへんブラボーだった)を聴いたことで野口冨士男の再読に夢中になったのがきっかけだった。




『野口冨士男文庫 十』(越谷市立図書館、平成20年3月1日発行)。たいへんたのしみにしていた「野口冨士男文庫」の小冊子(毎年年度末に発行)が先日届いた。表紙は、昭和34年の野口冨士男による「永井荷風ノート」。浅草の実地調査の様子が伺える。『わが荷風』の連載がはじまる昭和48年の十年以上も前から荷風探索をしていた野口冨士男。この小冊子は奇しくも今年初の扶桑書房の目録と同日に届いて、「今日はなんたるよき日ぞや」と狂喜だった。その扶桑書房の目録では数年来の探求書を入手し、「野口冨士男文庫」小冊子でまっさきに読んだのは、武藤康史「『わが荷風』同時代評」。たいへんナイスだった当日の講演の抄録はなかったので、当日のノートを大切に保管しておきたい。




特別展の入れ替え期間で、常設展示のみのせいか、近代美術館は理想どおりの静けさで、とってもよかった。思う存分くつろいで、会場を練り歩いた。いつも好きな絵に再会してホクホクしたり、以前はそんなに気にとめなかった絵がいいなあと思ったりと、いつもの常設展示のたのしさを心ゆくまで満喫。今日の気分に特にぴったりだったのは、須田国太郎の《書斎》(1937年)と金山康喜の《アイロンのある静物》(1952年)。室内の絵が好きだった。大辻清司の小展示は、「アサヒカメラ」に昭和50年に連載の《大辻清司実験室》を中心にした展示で、去年の松濤美術館の展覧会を思い出すのが格別だった。去年見た展覧会でもっとも感銘を受けたものを選ぶとすると、大辻清司とともに近代美術館の靉光展もまっさきに入る。去年の展覧会をあれこれ思い出して、いつにもまして、《眼のある風景》(1938年)の前でじっと立ちすくんだ。いつもじっと立ちすくむといえば、その筆頭の長谷川利行は、今回は《新宿風景》(1937年頃)と《岸田國士像》(1930年)が並んで展示してあった。木村東介の寄贈だという《岸田國士像》は初めて見る絵。ふたつの絵をいつまでも眺めた。毎回いつまでも眺めることになる松本竣介の《ニコライ堂と聖橋》(1942年)を見て、先週庭園美術館で見たお茶の水駅のモダンな駅舎のことを思い出した。その鉄筋の残骸が今でも残っているという。今度通りかかったら観察せねばと思う。…などと、立ち止まっては眺めて、眺めつつもいつのまにか違うことを考えたりするのも、またたのし、だった。




長谷川利行《新宿風景》(1937年頃)。昭和8年に紀伊国屋書店出版部に勤務して「行動」の編集に携わった野口冨士男と昭和10年に「レツェンゾ」の編集をしていた十返肇。野口冨士男が十返肇と親しくなったのは昭和9年で、毎夜のように新宿と市ヶ谷を往来していたと自作年譜にあったなあと、長谷川利行の新宿風景はそのちょっとあとだけれど、ふらりと野口冨士男と十返肇のことを思い出してしまった。この画像は、「別冊太陽No.54」『モダン都市風景』(1986年6月発行)より。海野弘『東京風景史の人々』中公文庫(asin:4122049806)を機に「モダン都市風景」気分がひさびさに盛り上がっていたところ。




美術館を出て、イソイソと神保町へ早歩き。昼下がり、《時代劇、罷通る!》特集開催の神保町シアターにて、滝沢英輔『戦国群盗伝』(昭和12年・ P.C.L. )を見る。「鳴滝組」をこよなく慕う身にとっては、スクリーンで見られて大喜びのこの1本! と歓喜にむせんで、手帳に大きくメモをしていた。無事にこの日を迎えることができて感無量(二日酔いが全快してよかったッ)。


先月新文芸坐で東映時代劇の『新選組』を見たとたん、萩原遼『その前夜』(昭和14年・東宝)を再見して口直しをしたくなり、いてもたってもいられず、さっそくヴィデオを借りてみたら、前に見たときよりもずっとずっと胸をしめつけられるものがあって、たまらなかった。特に胸をしめつけるつくりにはなっていないはずなのに、なぜこうもキュンとなるのだろう。と、そんな折に、夢中になって読みふけったのが、竹中労『日本映画縦断』全3冊。そのなかで、

ボクは鳴滝組について一つの考えを持っているんです。八尋・岡島対談で触れていますが、鳴滝組の終焉はあの『血槍富士』だという考え方。“戦前”時代劇の最後の花束は、内田吐夢さんが満州(中国)から帰ってきて撮った、『血槍富士』、これが鳴滝組の終りなんだ、と。
【竹中労『日本映画縦断1 傾向映画の時代』(白川書院、1974年9月) - 「〔あとがき〕にかえて――白井佳夫・キネマ旬報編集長と」より】

と、こんな一節を目にしてしまったら、『血槍富士』が見たくって、たまらない。その八尋不二・岡島艶子対談というのは、

八尋「……阪妻、右太衛門、千恵蔵、アラカンと役者もそろっていたな。マキノの大将が殺陣師に、『五分間続く殺陣をつけたら千円出したる』といった、これも千円でマユツバだが(笑)、殺陣というものはそれほどむずかしいんだ。決まった形で阪妻、さばきでアラカンが第一、真剣を使っている感じは月形と、チャンバラの特色があってね。話はとぶけれど、僕は時代劇最高の立ち廻りは、内田吐夢の『血槍富士』だと思う。」
竹中「千恵さんが、酒樽を槍で突いてダーッと酒がこぼれるでしょう、それで中庭がぬかるみになって。」
八尋「あれは脚本にないんだ、吐夢のやつが勝手に創った(笑)、だが唖然とさせられたね、時代劇の作家たちみんな度肝をぬかれちまった。抑留生活でヤセ衰えた吐夢がね、そのウッ積した怨念をまさにいちどきに吐き尽した、といった感じだった。」
竹中「『道中悲記』でしたね、原作は井上金太郎の……」
八尋「そう、『血槍富士』という題はタマジュンがつけたんだ、いいかげんにさらせ、ゆうべやってきたのがと(笑)、だが妙なものだね、映画がよいと題名も何となくしっくりしてくる。」


【竹中労『日本映画縦断2 異端の映像』(白川書院、1975年9月) - 「墓石が鼾する頃(呂九平・伊太郎の世界)」より】

と、こんな感じなのだけれど、『血槍富士』は長らくスクリーンで見たいと思いつつもなかなか機会がなかった。待ちきれずにヴィデオで見てしまおうかと思っていたけれどずっとがまんしていた。しかしもうがまんできないと、ひとたびヴィデオで見てみたら、すっかりまいってしまった。たとえば初めて『赤西蠣太』を見たときとおなじように、すっかりまいってしまった。それからほどなくして、今回の神保町シアターの《「神田駿河台下」時代劇特集Vol.1時代劇、罷通る!》なる特集のチラシを入手してみたら、しっかり『血槍富士』の上映もあるのだった。ああ、もうちょっと待っていればよかった。


などと、『血槍富士』のことはさておき、『戦国群盗伝』は未見だったので、めでたくスクリーンで見られて大喜び。期待どおりにホクホクと見た。映画全体に横溢するこのいかにも「鳴滝組」な雰囲気がたまらない。帰宅後まっさきに『山中貞雄作品集 全一巻』(実業之日本社、1998年10月)を取り出して、山中貞雄のシナリオをじっくりと読む。解説で、プロットがシラーの『群盗』だったと知って、ワオ! と興奮。もう一度ヴィデオで見直そうと思った(何度でも見たい)。わたしの好きな河野秋武(当時は山崎進蔵)をまたもや見逃してしまったので、今度こそッ。翫右衛門の愛嬌をまた堪能したい。翫右衛門が好きだ。


山中貞雄作品集〈全1巻〉


数年来奥で眠っていた『山中貞雄作品集』を最近はずっと本棚の正面にたてかけてある。毎晩のように繰っている。