中村登『我が家は楽し』と銀幕の製菓会社。「森永広告学校」文献。

調べものはちっともはかどらず、今日もあっという間に閉館時間。どんよりとぶあつい曇り空の下、駅へ向かって歩く。今にも降りそうな気配だけれど、雪はまだ降っていない。渋谷の裏道でコーヒーを飲んでひとやすみして、日没後、神保町へ。神保町シアターで、中村登『我が家は楽し』を数年ぶりに再見して外に出てみると、みぞれまじりの雪がモコモコ降っていた。傘をさして大急ぎで地下鉄にもぐりこんで、自宅近くのワインバーへ。窓からボタボタ降る雪を見ながらワインをグビグビ飲んで、「降る雪を見よ」というロジェ・グルニエの言葉をぼんやりと思い出す。いい気分になって、うっかりいつもの倍飲んでしまった。



小村雪岱『日本橋檜物町』(高見沢木版社、昭和17年)より、団扇絵《雪兎》。



去年6月、特に深い考えもなくフィルムセンターへ、川島雄三の『お嬢さん社長』(昭和28年・松竹大船)の見物に出かけてみたら、思いがけなく、「銀幕のなかの製菓会社」の系譜(のようなもの)ににわかに心躍らせた、ということがあった(id:foujita:20070712)。これを機に、日本映画における製菓会社を追求せねばならぬとメラメラと決意し、その一環でとりあえず川本三郎の「映画の昭和雑貨店」シリーズ全5冊を借り出して、「製菓会社」の文字を探してみた。西河克己の『春の夜の出来事』(昭和30年・日活)という映画を知ったのは収穫だった。

西河克己監督『春の夜の出来事』(昭和30年)の “日本のシャルル・ボワイエ” こと若原雅夫は製菓会社の社長。田園調布あたりのお屋敷に住んでいる。他にもいくつかの会社を持っている大実業家である。ところが彼の道楽は、そうした社会的な顔とは裏腹に実は子どもっぽいもので、なんと、自社製品のキャラメルの箱を廃物利用しては、創作玩具を作ること。
 今日も、キャラメルの空箱で宇宙船を作って、ひとり屋敷で遊ぶ。それだけでは物足りずに、自分の会社が消費者相手に募集している “空箱玩具コンクール”に、匿名で応募してみごと入選してしまう。

【川本三郎『続々・映画の昭和雑貨店』(小学館、1996年)より「男の道楽」】

おお! これぞまさしく森永製菓の「キャラメル芸術」! 「キャラメル芸術」というのは昭和7年から12年まで森永製菓が催していた工作コンクールのことで、『森永製菓五十五年史』(昭和29年発行)によると、対象は「小学児童」と「一般大衆」、「キャラメル、チョコレートなどの空箱を用い、作品は平面立体何れも自由」だったとのこと。ただし、森永製菓の空箱以外は使ってはいけないのがルール。たとえば、昭和十年前後のユリコ嬢ちゃんは、《去年、作った景色の模型は、森の中に是非とも人間を混ぜたくて、明治キャラメルの函の坊ちゃんと嬢ちゃんを切り抜いていれたため、先生からボツといわれた》から、今年の夏休みは《グリコや新高ドロップなどよして、森永だけ買っているけれど、空函はそれほど溜っていない。》のが気がかりだったという。



武田百合子「キャラメル」 - 『ことばの食卓』(ちくま文庫)より、野中ユリによる挿画。「エンゼルマーク」のビスケット箱があしらってある。と、戦前の森永製菓 PR 企画の「キャラメル芸術」当時のことを、武田百合子が「キャラメル」という名の文章でキラキラと活写していたことに気づいたのは(初出は「草月」昭和56年10月)、「コレクション・モダン都市文化」『グルメ案内記』巻末の近藤裕子さんによる素敵なエッセイをランランと読んだときのこと。「あっ」と何年ぶりかで『こどばの食卓』を読み返して、武田百合子を読み返す時間ならではの、切なさが入り混じった甘美なひとときに胸がかきむしられる。湘南の海岸での閑雅な日々と兵隊さん、軍事色が日に日に強くなってくる、モダン都市時代の終焉が迫りつつあったある夏のひととき。そう、「キャラメル芸術」の時代は武田百合子の少女時代にあたるのだった。

九月一日、ロボットを風呂敷に包んで登校。主にコーヒーキャラメルとチョコレートの銀紙で作った。木綿糸を使って手や足が動く仕掛けにしたのだ。糸が森永のものでないところだけ心配である。夏のことなど忘れかけた頃、先生によばれて桐の小箱を貰った。薄紙にくるまった、バラの花籠の形の銅製メダルが入っていた。一等賞ではなく、佳作ぐらいだったと思う。


昭和14年から18年まで森永のライヴァル、明治製菓の宣伝部に在籍していた戸板康二も後年、「キャラメル芸術」を題材にした短篇小説を書いている(「紙の竜宮」)。南陀楼綾繁さんの指摘(id:kawasusu:20050208)で知ったときはたいそう胸が躍ったものだった(上記の武田百合子同様、既読の小説だったのに当時まったく記憶に残っていなかった)。登場する辣腕宣伝部長の姿には内田誠の記憶が反映しているかも。戸板康二には明治製菓宣伝部を題材にした小説をもっと書いてほしかった、と最近とみに思う。


そんなには収穫がなかったものの、川本三郎の『映画の昭和雑貨店』で発見した「銀幕の製菓会社」はあともうひとつ。中村登の『我が家は楽し』(昭和26年・松竹大船)のお父さん、笠智衆の勤め先はなんと森永製菓なのだという、と、このくだりにも「おお!」だった。『我が家は楽し』はもう何年も前に見たことがあったけど(なつかしき三百人劇場!)、森永云々についてはまったく記憶に残っていなかった。 まあ、当時は企業タイアップという側面から映画を見るなんていう悪癖はもちあわせていなかったのでいたしかたあるまい。しかーし、「銀幕の製菓会社」探索に燃える今となっては、ぜひとも再見せねばならぬと、中村登『我が家は楽し』をクッキリと心に刻んだ。


などと、例によって前置きが長いのであったが、クッキリと心に刻んで約半年の歳月が過ぎ、神保町シアターで中村登の特集上映があると知ったとき、まっさきに探したのは言うまでもなく『我が家は楽し』の文字。というわけで、張り切って手帳に大きくメモして、ズンズンと見物にやってきた次第だった。


数年ぶりに再見してみると、いつものとおりに細部の記憶がごっそり抜けおちていて、初めて見るかのようにあちらこちらで「おっ」となる。舗装されていない道路のぬかるみ、呉服売場が今よりもずっと日常づかいの日本橋高島屋(←もちろんタイアップ)などなど、あちらこちらに映し出される「1950年代東京」が目にたのしい。川本三郎によると一家が住むのは井の頭線の東松原あたりとのことで、去年5月に阿佐ヶ谷の SP 特集で見た筧正典『新しい背広』(昭和32年・東宝)とおなじように、往時の井の頭線の車両が映し出されているのもたのしい。岸恵子のデビュウ映画であり佐田啓二はまだ脇役であり(『君の名は』は昭和28年)、同年の『麦秋』でおなじみの老人(高堂国典)が存在感ある役どころだったり(一言も台詞がないという演出術がよかった)、松竹大船の映画史という点でもなかなか興味深かった。絶品だったのが画家役の青山杉作。新劇人が客演することで映画にちょっとした「文化人」的香気が添えられる、その典型であるのみならず、その演技がなんとも絶妙で唸った。……と好きな映画を再見するのはいつもたのしいのだったけれども、肝心の「銀幕の製菓会社」という点ではどうだったかというと、森永製菓は勤続二十五年の笠智衆の表彰式でチラリと登場しただけで、だいぶ肩すかしだった。「銀幕の製菓会社」観察者としては、明治製菓タイアップの『ジャンケン娘』(昭和30年)をはじめとする東宝の三人娘映画みたいに、下品なまでにあざといタイアップシーン大連発をやってもらいたかった! 人事課長笠智衆とその妻山田五十鈴が待ち合わせをしているのは、鶴見の工場の門前、かな? 


というふうに、戦前の明治製菓宣伝部あれこれを追う身としては、おのずとライヴァルの森永製菓にも興味津々なのだった。明菓よりも森永の方がずっとずっと顔ぶれが豪華で、文献もずっとずっとおもしろいものが多い。というわけで、最後に、森永文献で最近届いた本。



藤本倫夫『アイデア時代』(オリオン社、昭和33年11月)。装釘:亀倉雄策。藤本倫夫(ふじもと・みちお)は1907年生まれ、太平洋美術学校を経て昭和3年に森永製菓に図案家として入社。この本の刊行時は森永製菓広報部長という役職にある。……というわけで、内容は実業家の手すさびというか社内報めいていて、文章そのものはそうおもしろいというわけではないけれども、戦前からの広告人による広告文献、という点ではなにかと魅惑的。戸板康二が昭和14年4月から18年まで明治製菓に勤めていた一方で、昭和10年秋から昭和16年の宣伝部廃止時まで森永製菓に在籍していた十返肇は、《寝坊で出勤簿のきらいな方だったがその頃の古いパンフレットなどを見ると、いまでも通用する新しいセンスの美文家だった。》という。


 イラスト:山名文夫、『アイデア時代』所収。


 イラスト:大橋正、『アイデア時代』所収。


『アイデア時代』は藤本倫夫の文章のみならず、冒頭ではサトウ ハチローが挿絵をそえて序詩を寄せ、以下、早川良雄、山名文夫、中井幸一、山城隆一、装釘も担当した亀倉雄策、大橋正、氏原忠夫、伊藤憲治、斎藤太郎、三井由之助の計10名によるイラストが文章の合間合間に別紙で挿入されているという、たいへん豪華なつくりで、造本も嬉しい1冊。届いたばかりの『アイデア時代』は『日本デザイン小史』(ダヴィッド社、1970年)の隣りに並べて、悦に入っている。