週末日記:内田誠『海彼岸』、文学館の「レツェンゾ」、洗足の床屋。

土曜日。早起きして家事諸々を片づけてイソイソと外出。山手線にのりかえて、五反田で下車。古書展会場の棚を隅から隅まで偵察した結果、200円の本を3冊と500円の本を2冊、2000円の本を1冊買うこととなった。さて最後に、今回の目録注文の結果やいかにと、ハズれていても気を落とさぬように気を引き締めつつ確認してみると、念願の本がめでたく当選していて、狂喜乱舞。おそらく他に注文した人がいなかったのであろう。こんなに嬉しいことはない。ホクホクとお会計をすませて、1階会場で200円の本を1冊買って、重たい荷物もなんのその、背中から羽根がはえてパタパタと地上を飛んでいるような心持ちになって、フラフラと駅方面へ向かう。目黒川をわたった先のドトールで休息する。五反田古書展のあとは、ちょっと足をのばして、ここでひと休みするのがいつものおたのしみなのだった。


このたび五反田で買うことができた念願の本というのは、内田誠の『海彼岸』という本。現在確認しているなかでもっとも古い内田誠の著書。入手したといってもまったくの裸本で奥付もとれてしまっている代物。しかし、国会図書館で閲覧したときのノートが手元にあるので、奥付には発行日(昭和4年6月15日)と内田誠の自宅住所(市外荏原郡入新井町不入斗一四七五)が記されているということをわたしは知っている。



内田誠『海彼岸』(私家版、昭和4年6月15日発行)。裸本で映えないものの、せめてもの記念に、ここではタイトルページを掲示。活字の書体がいかにも小村雪岱という気がするがどうなのだろう。天金装のこの本、さぞかし瀟洒な函入りだったのだろうなと思う。図録『企画展 文と絵との出合い―装釘と挿絵―』(さいたま文学館、平成13年9月発行)所収の岩城邦男氏作成の「小村雪岱 作品目録」(←雪岱ファン必携のたいへんな労作。)のリストには『海彼岸』の書名は入っていないのだけれど……。


『海彼岸』は欧米旅行での見聞をまとめた小ぶりの文章集(107ページ)。「煙草雑談」「Candy Store」「飾り窓の感想」……といった感じの目次の字面ににっこり。《ショウ・ウヰンドは伴奏をする。私は飾窓の色の音楽につれてその国々と共に漫歩する。》という「飾り窓の感想」の一節や、《店内の見える様に菓子を飾ったウヰンド、入口近くのレヂスター、レヂスター近くに菓子の売り声、前に据え付けの腰かけのあるカンター、それから椅子、卓子……》という「Candy Store」の一節を目にすると、おのずと1930年代の銀座の町並みが髣髴とする。三味線がジャズに、芝居がシネマにとってかわる勢いだった、アメリカナイズされてゆく「モダン都市」の姿。1920年代末の欧米をみた内田誠のもとで制作された明治製菓のPR誌「スヰート」は、1930年代がその全盛時代だった。そんな「スヰート」のにおいもポワーンとただよってくる、気がする。



上山草人著『素顔のハリウツド』(実業之日本社、昭和5年7月)の函。『海彼岸』には「草人及び撮影場附近」というタイトルの文章がある。ハリウッドへ上山草人を訪ねた内田誠は、翌年の帰国直後の上山草人の著書、『素顔のハリウツド』には「装釘者」として名前がクレジットされている。函のチャーミングな似顔絵は草人自身によるものなので、内田誠はどうやら題箋を担当したようだ。



五反田でのよろこびを胸に、正午過ぎ、意気揚々と駒場へ。日本近代文学館へゆく。昭和8年に「行動」編集部に就職したことで紀伊国屋書店と関わった野口冨士男。ここ2ヶ月の野口冨士男精読のあおりで戦前の紀伊国屋書店あれこれを思うと気もそぞろ。こうしてはいられないと紀伊国屋書店の新刊情報誌「レツェンゾ」をじっくりと閲覧することにしたのであったが、ひとたび閲覧してみると、大興奮。一度も席を立つことなくランランとページを繰っているうちに、いつのまにか閉館時間の4時半になってしまっていた。


昭和9年と昭和10年の「レツェンゾ」を通して閲覧してみると、出版社の広告がなんとも目にたのしくて、日頃の古本買いの愉しみが想起されるのもまたオツだった。双雅房や作品社、白水社、ボン書店の広告にはっと目をこらす(ちなみに裏表紙は常に第一書房の広告)。そして、広告を次々と見ているうちに、いろいろなことを思う。余波はいつまでも続きそう。(ちなみに、「レツェンゾ」の広告を見て、作品社より刊行の佐野繁次郎装の井伏鱒二の随筆集『田園記』が欲しくなった。しかし、あとで確認したら、だいぶ高価であった…。)



「レツェンゾ」と同時代の書物として、十一谷義三郎『ちりがみ文章』(厚生閣、昭和9年4月)。今月の浅草松屋の古本市で買った本。高くも安くもなかったけれども、浅草来訪の記念に前から読みたかった本を買った。画像の「夫二男装」とある函も本体の感じもとってもチャーミング! 「夫二男」というのは岡村夫二のことに違いない。岡村夫二は戸板康二の『街の背番号』の装幀者として名を知って以来、ずっと興味津々の装幀者だったので、十一谷義三郎というだけでも嬉しいのに装釘も嬉しくて、よろこび2倍だった。「レツェンゾ」には『ちりがみ文章』の広告もあった。《烈々たる作家の芸術的気概にあふかと思へば、忽ち縮緬のやうな肌ざわりのする芸術的香気の中に連れ去られる。―彫琢無韻の神品!》という惹句ににっこり。



午後4時半。ジャリジャリと駒場公園を出て、渋谷に向かって、テクテク歩く。キンキンと刺すように寒いけれども、ずっと閲覧室にいたので、かえって気持ちがすっきりしてよい。駒場の文学館のあとで渋谷に出たら、珈琲店トップでひと休みするのがいつものおたのしみ。駒場の文学館の帰りなどで、野口冨士男は和田芳恵と渋谷に出た折には二人で「道玄坂下のビルの地階にあるコーヒー店」に立ち寄るのが決まりだったという(『私のなかの東京』)。「珈琲店トップ」のことに違いないと勝手に思いこんで、駒場の文学館の帰りはいつもここでひと休みしている。コーヒーの味はちっとも好みではないけれども、いかにも野口冨士男と和田芳恵が談笑してそうな感じの空間なのが、ただただ嬉しい。



日曜日。ラジオ「音楽の泉」はメンデルスゾーンの《スコットランド》。お弁当をつくって、バタバタと朝食を済ませて、今日もイソイソと外出。京浜東北線にのりかえて、石川町で下車。神奈川県立近代文学館へゆく。「レツェンゾ」に興奮してしまっていてもたってもいられず、続きは「かなぶん」で閲覧しようと、急遽思い立って、横浜へ出かけた。予定していたフィルムセンターのマキノ雅弘は今日は諦めねばならぬ。無念である。


あっという間に閉館時間が近づいている。大急ぎで村井弦斎展を見物にゆき、午後5時、東横線直通みなとみらい線に乗りこむ。今日はずいぶんくたびれた。自由が丘に寄りたいなと思っていたけれどももう力が出ないと、へなへなと車窓を眺める。急に思い立って武蔵小杉で目黒線に乗り換えて、洗足で途中下車。ドトールでひと休みする。すっかり疲労回復したところで外に出て心持ちよくウカウカと、戸板康二が生前行きつけにしていた駅前の「谷口理容室」の前へ行ってみたら、床屋さんは跡形もなく消えていて、更地の前で呆然とたちすくむ。古色蒼然という言葉がぴったりの「谷口理容室」のたたずまいが大好きだった。このお店を外から見物するだけでも洗足に来る価値があったものだった。がっくりと肩を落として、ヨロヨロとふたたび目黒線に乗りこむのだった。

はじめて行ったころは、大きな鏡に向って、設置されていた椅子も、いまのように自在に傾斜したり上下したりする精巧な仕掛けではなく、洗髪に流しまでゆくと、汲みおきの水を片手桶で頭にかけるといった、明治以来のいわゆる「髪床」のおもかげを残していた。ヒゲを剃るのが小柄の少年店員(まだ小僧と呼ばれた)の分担で、背が高い客に対しては、高い歯の下駄を履いて、のび上がって、カミソリを使っていた。タタキをその下駄で歩く音が、妙に反響したが、そんなノイズが、ラッパのついたラジオの国民歌謡と呼応したりして、なつかしい昔の「床屋風物誌」である。

【戸板康二「行きつけの床屋さん」- 『おととしの恋人』(三月書房、昭和60年)所収】