読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

神保町の古書展のあと駒場へ。正午過ぎから閉館まで日本近代文学館。

長年の夢のひとつに、金曜日と土曜日に開催されている神保町か五反田の古書展に初日の午前中に出かける、というのがあった。ひさしぶりに金曜日が祝日となる本日は、日頃のごひいき「趣味展」にあたってる! というわけで、十日ほど前から手帳に大きく「趣味展」とメモしてあった。で、いざ当日。10時ちょっと前に張り切って外出。ズンズンと神保町に向かって、歩く。向かい風がしみじみ冷たく、心が凍る。と、やっとのことで東京古書会館に到着したのだったが、地下室の古書展会場に入場してみたら、予想はしていたものの大混雑。日頃の修行がたりないせいで、とてもじゃないけれど、じっくり探索する余裕などなく、会場の熱気、というか温気、というか臭気にあおられてふらふらになって、早々に外に出る。こ、こんなはずでは……。わたしの場合は土曜日にゆっくりと見るほうが性にあっていたみたいだなあということがよくわかった。と言いつつも、買い物はなかなか充実していて、寒空の下をここまで歩いて来た甲斐があった! と、ふらふらになりながらも大いによろこぶ。短時間でポンポンとちょっとした資料になりそうな安い本(200円か300円)を何冊か買ったりして、まずは、古書展ならではの思いがけないものが買えたのはよかった。


扶桑書房コーナーにいつも並んでいる昭和十年代の「三田文学」のうち、裏表紙が明治製菓の広告になっている号が何冊か見つかるはず、これを機に手元に置いておきたい……というのが、今回の趣味展行きの一番の目的だったのだけれど、結果、4冊買えたので大満足。鈴木信太郎は昭和7年9月に「三田文学」編集長の和木清三郎と知り合い、その年から1949年までほぼ毎号表紙絵を描いている。「三田文学」の裏表紙の明治製菓の広告も鈴木信太郎によるものなので、裏表紙が明治製菓だったら、その「三田文学」は両面が鈴木信太郎ということになる。




「三田文学」昭和13年8月号の裏表紙の「明治チョコレート」の広告。この号は第1回目の「三田劇談会」の掲載号。戸板康二がこの座談会に参加することで初めて久保田万太郎と出会い、以後親炙することになる。当時戸板康二は大学院に在籍して折口信夫の教室にいたのだったけれど、6月に久保田万太郎と対面したあと早くも9月には大学院をやめて、翌年4月に明治製菓宣伝部に入社する。久保田万太郎との出会いが明治製菓の内田誠へとつながっていったわけだ。その戸板さんと万太郎の初対面を記録している「三田文学」の裏表紙は「明治チョコレート」! と、前々から欲しかった号を買えて、たいへん嬉しい。ちなみに、この号は中戸川吉二の『濱茄子』が載っている。あとで『中戸川吉二 三篇』(EDI、2000年5月)所収の矢部登氏作成の年譜を確認して、しんみり。




「三田文学」昭和16年6月号の裏表紙の「明治の海苔」の広告。この頃から砂糖不足で菓子ではなくて、明治紅茶、明治海苔、明治エキスといったものが主要商品になっていた。内田誠の思いつきで久保田万太郎に依頼して、「明治の海苔」の新聞広告に「新海苔の艶はなやげる封を切る」という俳句を作ってもらったのは昭和17年の冬だったという。森永製菓の宣伝部は昭和16年8月に廃止されている。




「三田文学」昭和16年10月号の裏表紙「明治の茶」の広告。この号は《美術特輯》、特別号につき鈴木信太郎の表紙ではないのだけど、裏表紙の明治製菓の広告はいつものとおりに鈴木信太郎。



正午過ぎ、駒場へ。日本近代文学館へゆく。2階の展示室で長谷川時雨と川端康成の展示をみたあと、閉館まで閲覧室で古雑誌をいろいろ繰る。


長谷川春子による時雨姉さんを描いた油彩画ではじまる長谷川時雨展は期待どおりになかなかおもしろかった。戸板康二の『演芸画報・人物誌』の記述をモクモクと思い出す長谷川時雨の展示資料の数々が嬉しかった。三木竹二の「歌舞伎」を思い出して嬉しい。最近明治製菓宣伝部に心が奪われるばかりに忘れかけていた、演劇熱がひさしぶりに燃えあがるひととき。その一方、昭和初期の、「女人芸術」から「輝ク」といった流れが、いざ資料を目の当たりにすると、なにかと尽きないものがあって、ワクワク。もう何年もご執心の佐多稲子(窪川いね子)の戦前小説を読み返したくなった。ちなみに『キャラメル工場から』は明治製菓ではなくて「ホーカー液」の工場が舞台。ところで、「女人芸術」と「輝ク」は明治製菓のPR 誌「スヰート」と同時代なのだなア……。って、いつのまにか、また頭のなかは明治製菓でいっぱいになっているのだった。


閲覧室では、今日も戦前昭和の雑誌をいろいろ繰って、カリカリとノートをとった。



「銀座往来」第2号(帚葉山房、昭和8年4月発行)の表紙は《フロリダのA子》。最近、赤坂溜池のダンスホール「フロリダ」の記述を見つけるたびにちょっと嬉しい。北村小松がフロリダのナンバーワンダンサー、チェリーこと田辺静江と再婚したのも昭和8年のこと。というか、むしろ、明治製菓銀座売店が新装開店した昭和8年ころのモダン東京風俗あれこれに夢中なのだった。「銀座往来」はその昭和8年に、永井荷風の『墨東綺譚』でおなじみの帚葉=神代種亮が出していた個人誌。文字通りの三号雑誌で第1号が1月、第2号が4月、第3号が8月に出ている。この画像は、先日神奈川近代文学館でカラーコピーをとったもので、かなぶんでは第2号のみだけど、駒場には全3冊所蔵されていて、本日の一番の興奮雑誌だった。吹けばとんでしまうような小冊子。第3号に《銀三の喫茶店 Meiji は建物の感じが明るく、一階の間取りも新案である。客扱いが丁寧で、騒々しい所がなく、掃除や手入れも行きとどいてゐる》という記述を発見して、今日も大よろこび。【追記:この「銀座往来」表紙の「フロリダ」はダンスホールではなく銀座東六丁目にあった「グリル・フロリダ」のことかもと後日気づく。】