読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

東急で遊覧:世田谷美術館、電車とバスの博物館、砧撮影所

午前7時。このところ、休日の朝のおたのしみは借りものヴィデオの再生だてんで、今日は、五所平之助『木石』(昭和15年・松竹大船)を見る。五所平之助は明菓宣伝部長の内田誠とはいとう句会の句友同士ということもあって、戦前の五所映画にはちょくちょく、明治製菓タイアップシーンが登場している。戦前の明治製菓宣伝部あれこれを追う身としては可能なかぎり、見ておかねばならぬのだった。と、タイトルバックが終わったところでさっそくキッと目を光らせると、冒頭でさっそく、登山に向かう夏川大二郎(藤井貢とともに「どこが二枚目?」といつも怒りが…)一行が立ち寄る山のふもとの休憩所ののれんに「明治製菓」の4文字が! 場面はすすんで小林十九二が電話をかけている喫茶店は、うむ、おそらくロケ地は明治製菓売店だな。……などと、朝っぱらから、大いによろこぶ。(映画そのものはストーリーがあまりにも……。原作は舟橋聖一。)


 

いずれも、五所平之助『伊豆の踊子』(昭和8年・松竹蒲田)より。通りがかりの広告板には、「クラブ白粉」の文字とともに「明治チョコレート」の文字が並んでいて、しみじみいい眺めなのだった。「やってる、やってる。」とフツフツと嬉しい。右は、学生大日向伝が旅館でチョコレートを食べながら絵葉書を書いているところ。戦前の五所平之助でもとりわけ、『伊豆の踊子』ではこれでもかと明治製菓タイアップシーンが登場して、見る者を飽きさせない。と、明治製菓目当てで見た『伊豆の踊子』だったけれども、いざ見てみると、ショットの数々がたいへんすばらしく、小原譲治の撮影がとても冴えていて、絶品だった。「通俗小説」でなくて「純文学」作品の映画化の嚆矢だったという。映画史的にもたいへん興味深い。と、あとで、佐藤忠男の文章(『日本映画史 第1巻』、『お化け煙突の世界 映画監督五所平之助の人と仕事』)を読んで、思った。



午前11時。用賀駅からテクテクと世田谷美術館へ向かう。三週間ほど前に青山二郎展に出かけた折の灼熱の舗道を思うと、今日はなんと快適な行程であることであることだろう。足どり軽く、世田谷美術館にたどり着き、《福原信三と美術と資生堂》展を見物。


資生堂をとりまく大規模な展覧会が催されるなんて! と、開催を知った瞬間はたいそう心が躍ったものだった。たのしみなあまり、ソワソワと早くも開始二日目に見物に来てしまったくらい。そして、もちろん、展示の数々はとてもすばらしく数々の眼福に見とれっぱなし、なんといっても、資生堂をとりまく「素敵」あれこれが遺漏なく一堂に会している、稀有な空間、その見事さ。……というような感激の一方で、実のところ、展覧会そのものは「既知との遭遇」に終始してしまったことは否めず、ちょいと肩透かしだったという面がなきにしもあらずだった。


数年来、資生堂関係で局地的に心ときめかしていたいろいろなこと、たとえば、小村雪岱や福原路草(信辰)のこととか、HOUSE OF SHISEIDO が開館してからはその小展示で断片的に見ては「キャー!」とむやみに大感激していたいろいろなこと、そのすべてが一堂に会している展覧会だったわけだけれども、わたしのなかでは、それら心ときめかす諸々のことが広い展覧会場で拡散してしまった感じで、うまくつながらなかったという物足りなさがあった。と言いつつも、「オヒサマ」の表紙をウィンドウ越しに見て、久保田万太郎も登場しているという誌面、福原信辰や水木京太といった「大正の三田」の系譜を追おう! とモクモクとなったり、うむ、信三よりも信辰(路草)の写真をもっと見たかった! とムズムズしたり、資生堂化粧品部発行の『銀座』(id:foujita:20070319)をいつの日か必ずや入手するのだとメラメラと燃えたりとか、「新演芸」に掲載の資生堂の広告を目の当たりにして、あらためて大正・昭和初期の雑誌ジャーナリズムに思いを馳せたり……などなど、書ききれないほどあちらこちらで、十分たのしんでいたのだった。まあ、結局は、ここまでたのしめばもう十分なくらいに、あちらこちらでずいぶんたのしんだ展覧会だったと思う。とどのつまりはモダン都市の企業ジャーナリズムをとりまくあれこれに深く感じ入るものがあったのだった。


展覧会場の外に出てみると、そこはミュージアムショップ。ガバッと図録(2500円)を手にとって、立ち読みを開始する。以前、HOUSE OF SHISEIDO でうっかり買ってしまった『美と知のミーム 資生堂』(asin:4763098365)と内容はほとんど変わらないかなあと眉間にシワを寄せつつ、購入すべきか否か思い悩みつつ、立ち読みを続けていたら、最近とみに愛読している和田博文さんによる「資生堂=モダン都市文化の発信地」という文章が収録されているので、「おっ」となった。戦前の資生堂の PR 誌を読み解きながらモダン都市文化を見るといった感じの内容が、ガツーンとハートに直撃。ずっと手元においておきたい文章だと思った。というわけで、一転、迷わず購入と相成って、めでたし、めでたし。(あとで、巻頭の酒井忠康館長の文章に、今回の資生堂展は、世田谷美術館に着任して初めて提案した企画だった、というようなことが冒頭にあって、いいな、いいな、酒井さん、ブラボー! と大喜びだった。やっぱり買ってよかった図録。)



午後2時半。二階の常設展示もとてもよかったなあと、世田谷美術館での時間は大満喫であったと用賀駅にもどって、急に気が向いて、田園都市線宮崎台駅に隣接の東急電鉄の博物館、「電車とバスの博物館」へ出かける。数ヶ月前に深い考えもなく、浅草駅から東武電車にのって旧玉ノ井の東武博物館に出かけてみたら、思っていた以上にたのしかった。と、これに味をしめて、今度は東急の博物館に行きたいなと思っていたのだ。…ということを急に思い出した次第。



こちらは、小津安二郎『生れてはみたけれど』(昭和7年・松竹蒲田)の一場面。会社へ行くお父さん斎藤達雄と学校へ行く(サボる)兄弟。


わが長年の愛読書、厚田雄春・蓮實重彦『小津安二郎物語』(asin:4480871632)によると、『生れてはみたけれど』のロケ地を行き交う電車は池上線とのこと。この本で読むことができる厚田雄春の鉄道好きぶりが、涙が出るほど大好きだ。フィルムが残っていないナンセンス喜劇『カボチャ』(昭和3年)の物語を読むと郊外電車が登場しているようですね、という蓮實重彦の発言を受けて、厚田雄春は《ええ、あれは池上線じゃないですかな。池上線が蒲田と池上の間に開通した。本門寺様のために開通したわけです。それで車体が新しい。池上電鉄としては宣伝してもらいたい。それで蒲田撮影所に話があって、そんな関係でロケをしたんじゃないかと思います。……》と証言している。『生れてはみたけれど』でも、これも池上電鉄の宣伝映画? というくらいに、池上線の走る場面が頻出しているのだった。(トしつこく、わが道楽、戦前日本映画におけるタイアップ探索は続く。)


戦前の池上線については、もうひとつ好きな話がある。海野弘編『モダン都市文学1 モダン東京案内』(平凡社、平成元年)所収の『省線リレー風景』(「近代生活」昭和4年8月号が初出。林房雄、龍胆寺雄、川端康成ら新興芸術派諸氏による東京案内)で見つけた五反田駅の風景。

五反田駅の上には、接木をしたように、もう一つ池上電鉄の駅が十字架に重り合っていて、僕たちが、窓をのぞけば、高い池上電鉄の鉄橋の横腹みたいなところに、「行楽の洗足池」と大きな活字がぶち抜いてある。
【久野豊彦「新宿より品川まで」 - 『省線リレー風景』(昭和4年8月)より】

と、このくだりを目にしたときは、たいそう胸が躍ったものだった。注釈には「省線の高架の上に池上電鉄の高架が重なるために、見上げ見下ろす視線に新しい感覚があったらしい。」とあって、ますます、いいな、いいなと思った(五反田への池上電鉄全線開通は昭和3年6月とのこと)。古書会館目当てで五反田にはちょくちょく下車するけれど、いままでそんなこと気にとめたことはなかった。今度の古書展のあとは、「行楽の洗足池」めざして、池上線に乗るとするかな。


……などと、つい長々と池上線に熱くなってしまったけれども、昔の東急に心ときめくのはなんといっても、戦前から目蒲線の洗足に居をかまえていた戸板康二にとって一番おなじみの電車とバスだった、というのが一番の理由。


と、そんなこんなで、昔の東急電車を見たい! 東急沿線の今とむかしを概観したい! と、胸躍らせてはるばるやってきた「電車とバスの博物館」だったけれども、たいへん混雑していてゆっくり見学できない上に、東武博物館のように広々としていないので、館内の喧騒がキンキンと耳の奥に響いていて、いつもは行き交う「家族の肖像」に心が洗われるところなのに、そんな余裕などなく、めまいすらしてくるのだった。こ、こんなはずでは……と、ヨロヨロと図書コーナー(別館にある)に向かう。前に神保町の書泉の鉄道コーナーで見つけたものの、ビニールで厳重に包まれていて立ち読みができなかった昔の東急電車の写真集(正確なタイトル失念)のことを急に思い出したのだった。しかし、目当ての本は見つからず、がっくりと肩を落とす。とりあえず、一冊だけ見つけた東急電車の薄い写真集を眺めて、気を紛らわせたところで、早々に退散。こ、こんなはずでは……。



午後3時。東急田園都市線を途中下車して、東急バスにのって、小田急線の駅へ向かう。こんな感じの気まぐれバス移動はずいぶんひさしぶり。二子玉川駅から成城学園前行きのバスを終点のちょっと前で途中下車して、砧撮影所の建物をフェンス越しに見物して、『ほろよひ人生』(昭和8年・P.C.L.)のタイトルバックを思い出して、フツフツと嬉しい。藤本真澄の推薦で、戸板康二は昭和31年より十返肇、筈見恒夫とともに東宝の砧撮影所でプロデューサー会議に参加していた、というわけで、砧撮影所は「戸板康二散歩」でもあるのだった。目蒲線の洗足駅が最寄りの自宅から戸板さんはどの経路で砧まで通っていたのかなと気になって、あとで『思い出す顔』(講談社、昭和59年)の「砧撮影所」の項を参照してみたら、行きは「渋谷(のちには田園調布)から、東急バスで、成城にある撮影所の門をはいり……」とあった(帰りは、藤本眞澄の車で有楽町の東宝本社まで行くのがお決まりだったという)。フムフム、渋谷か田園調布へも洗足からバスで行っていたと思われるで、砧行きの日の戸板さんはずいぶん長く東急バスに揺られていたのだなあ。



午後4時。成城学園駅前の成城アルプスの2階の喫茶室で、チーズケーキを食べて、コーヒーをすする。ノリタケの陶器でサーヴのお店はいつも居心地がいい、ような気がする。《福原信三と美術と資生堂》展の図録をくまなく繰って、のんびり。


午後5時半。新宿のジュンク堂で、『アルプ 串田孫一特集』(山と渓谷社、2007年7月)を買って、ホクホク。


アルプ―特集 串田孫一


遅ればせながら発売を知って以来、欲しくて欲しくてムズムズしていた本をやっと買えて、よかった、よかった。さて、今日の夕食はどうしようかなとモンモンとなりながら、地下鉄に乗り込んで、家に帰る。