小林正樹の『化石』を見て、東京會舘の空間へ行きたしと思う。

本日中にやるべきことをすべて済ませてスッキリしたところで正午、目黒線にゆられてトロトロと武蔵小杉からバスにのって、川崎市民ミュージアムへゆき、午後1時半より5時過ぎまで3時間半、小林正樹『化石』(昭和50年・東宝)を見た。佐分利信ファンとしてはぜひとも見なければと思いつつ、ここ数年、何度か上映があったのにそのたんびに見逃してしまって無念だった、小林正樹の『化石』。今度こそは絶対に見たい! と一ヶ月以上も前から気合を入れていた甲斐あって、やっと見ることができた。こんなに嬉しいことはない。そして、はるばる川崎まで出かけた甲斐がありすぎるほど、小林正樹の『化石』はその重厚なつくりがクーッと五臓六腑にしみわたり、佐分利ファンのよろこび、ここに極まれりという感じ。ああ、おもしろかった! 


加藤剛のその顔面と同様にクドいナレーションとともにスクリーンにひたる3時間半は「佐分利信鑑賞」という様相を呈する3時間半。岡崎宏三による撮影で、パリの町並みやブルゴーニュの石造りの建物を捉える映像など、全体の映像がたいへんすばらしかった。冒頭、日本家屋の自宅でくつろく佐分利信、手にしている湯呑が小津安二郎の『彼岸花』に登場するあの湯呑とおんなじ湯呑なので、さっそく「おっ」だった。その、東哉(http://www.to-sai.com/index.html)の湯呑はもしかしたら佐分利信の私物なのかも。『彼岸花』の小道具で使われているのを見て、きっと小津の真似をして買ったに違いないッ、と勝手に決めつけて、にんまり。そのあとも、映画のところどころの小道具や室内の様子、ロケーションなど、スクリーンに映し出されるあれこれがそこはかとなく洗練されている。前半の舞台はフランスで、後半は東京になる。それぞれが目にたのしかった。全体もよかったし、レストランの様子とかそのあとのバーの様子とか、細部もいろいろと観察してたのしかった。後半でも、佐分利信の純和風の邸宅のみならず、病院の特別室の椅子の感じとか、会社の会議室の調度といったものが、すみずみまで行き届いていて、視覚的になかなか堪能だった。


圧巻は、タイトルにもなっている「化石」の場面。宇野重吉演じる友人が、待ち合わせ場所に指定したとある建物の壁面を佐分利信に示して、この大理石の柱の表面に浮き出ている渦巻き状の模様が実は珊瑚の化石なのだと言う場面。知らぬ間に何千万年も前の化石に囲まれていると知った佐分利信が、余命いくばくもない己がスーッと解き放たれたような気持ちになるという、とても印象的な場面なのだけれども、スクリーンを見つめるこちら側としては、この建物はどこなのかしらッ、と気になってしかたがなかった。


後日、図書館で井上靖の原作をあたってみたら、「T会館」となっていて、まあ、明らかに東京會舘! 映画のロケ地も実際に東京會舘でなのかな、どうかな。佐分利信演じる「一鬼」と宇野重吉演じる「矢吹」の「T会館」での場面は、《一鬼がT会館へ出掛けて、そこのロビーへはいって行くと、まん中のソファに腰かけている矢吹辰平の姿が見えた。》というふうにはじまり、矢吹はなぜ一鬼をT会館に呼んだかというと、そこの大理石の柱を彼に見せたかったからだと言う。……と、原作においても映画とほぼ同じ展開となり、そのあとの会話は、《中国産の大理石です。この建物は大正十一年に建てたんだそうですが、かなり贅沢なものです。震災も経ているわけですが、びくともしていない。四階には日本産の大理石も使ってあります。》、《東京の街にも、かなりの化石があると思います。最近のビルにはありませんが、戦前のビルは本物の大理石を使っているので、時々、珍しい化石にぶつかりますよ。》、《Mビルにもある。M百貨店にもある。偶然にも見つけたんですが、M百貨店の大理石にはいっているのと同じのが、ブエノスアイレスのオペラ劇場の大理石のてすりの中にありましてね。》、《M百貨店の石も、ブエノスアイレスの石も、全く同じですから、恐らく、同じところから掘り出した石が一つはブエノスアイレスに、一つは日本へと分かれたんだろうと思いますね。そしてそのどちらにも、カタツムリのお化けが入っている。》。……などと、つい長々と抜き書きしてしまったけれども、また近いうちに、東京會舘へマロンシャンテリーを食べにいこう! そして、出来うるかぎりの建物見物をしたい! というようなことを思って、映画を見たあともフツフツと嬉しいのだった。


宮口精二と杉村春子と宇野重吉、と脇にいるベテランの新劇人の抑えた演技がとてもよかった。その一方、どこかに滝沢修もいてほしかった! と、つい思ってしまう。 



映画が終わって、バスにのって武蔵小杉にもどり、ふたたび目黒線に乗る。『化石』のなかで佐分利信たちが、パリやブルゴーニュでワインを飲む場面がとってもうらやましく、ついムラムラとワインが飲みたくなってしまって、ふらふらっと洗足駅で下車。洗足は戸板康二が戦前から生涯にわたって住んでいた町で、今もたぶんその邸宅は残っているはず。目黒線に乗る機会があると、たまにふらっと降りて、コーヒーを飲んだりしている。なんでもないような私鉄沿線をひょいと途中下車してコーヒーを飲むのが好きだ(お気に入りのひとつは宮脇俊三が住んでいた東松原)。しかし、今日は長年の懸案を実行に移すまたとない機会。駅のまん前のイタリア料理店でワインを飲みたいとずっと思っていたのだ。というわけで、もくろみどおりワインをグビグビ飲んで、すっかり日が暮れて、窓の外では雷鳴と閃光。『ミドルマーチ』のクライマックスの雷鳴のシーンのことを思い出した。ワインも料理もとてもおいしかった。夜空の色がとてもきれい。



『GHQカメラマンが撮った戦後ニッポン−カラーで蘇る敗戦から復興への記録』(asin:490387012X)より、昭和27年頃の洗足駅。戸板康二が見ていた風景! と涙滂沱。