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大岡龍男『なつかしき日々』が届いて「松竹座グラヒック」をおもう。

清水宏特集開催中のシネマヴェーラ渋谷にて、昨日は『恋も忘れて』(松竹大船・昭和12年)と『小原庄助さん』(新東宝・昭和24年)、今日は『花形選手』(松竹大船・昭和12年)と『泣き濡れた春の女よ』(松竹蒲田・昭和8年)と、二日連続で映画館に寄り道してさすがにくたびれたなあとヨロヨロと帰宅すると、当たるかしら、当たるといいな、当たりますようにッ、落選のあかつきには絶望のあまり自暴自棄になってしまいそうだ、ウム気をつけよう云々と、ブツブツと先週「日本古書通信」の目録で注文していた、大岡龍男『なつかしき日々』(三杏書院、昭和18年)が届いていたものだから、疲れが一気に吹っ飛んで、いつまでも歓喜にむせんで、すっかり宵っ張り。


大岡龍男の著書(全4冊)を集めるようになって3年目、その最後の一冊、『なつかしき日々』がわが書棚に並ぶことになって、とにかくもこんなに嬉しいことはない。ジーンとページを開いてみると見返しの蔵書印に「徳永蔵書」とあって、ワオ! となった。これはきっと徳永康元の旧蔵書に違いないッと勝手に確信して、目がランランになる。大岡龍男を読むようになったのは、「こつう豆本」の徳永康元『黒い風呂敷』(平成4年6月発行)所収の大岡龍男に関する小文を読んで、にわかに気になったのがそもそものきっかけだった。ひところ「こつう豆本」蒐集に夢中になっていて、書肆アクセスに足を踏み入れるたびに毎回1、2冊買っては喫茶店でさっそく繰るのが常だった。徳永康元の『黒い風呂敷』を買ったのも「こつう豆本」だからというだけで、実は『黒い風呂敷』を手に取って初めて徳永康元の名前をはっきりと認識したくらい。以降、徳永康元の『黒い風呂敷』は「こつう豆本」のなかでもとびきりのお気に入りとなった。ここまでの過程には、書肆アクセス→こつう豆本→日本古書通信という連関があるのだなあと、明日の朝の喫茶店で読み返すとしようと、ひさしぶりに『黒い風呂敷』を取り出して、机の上に置いて、寝る。




大岡龍男『なつかしき日々』(三杏書院、昭和18年2月18日発行)。題箋:高浜虚子、装幀:山田伸吉。



と、ここで山田伸吉の名前が登場して「おっ!」となって、「sumus」を取り出す。「なつかしき日々」は虚子の題箋だけれども、「大岡龍男」の文字は山田伸吉によるものなのだなと凝視して、にっこり。



「sumus」第3号《特集 関西モダニズム》(2000年5月20日発行)。カヴァー紹介には、《松竹座グラヒック(松竹座編輯部発行)よりピックアップした映画のタイトル。昭和2〜3年に封切られたもの。こういった意匠文字は後にキネマ文字とよばれるようになるが、大阪松竹座には山田伸吉というデザイナーがいた。》とある。林哲夫さんによる「『松竹座グラヒック』と文字」を読み返す。



ついでに、大岡龍男関連で、最近届いた本。戦前銀座をおもう。


『続銀座探勝』(銀座探勝会、昭和17年6月15日発行)。装幀:坂田虎一。「銀座探勝会」というのは、銀座に縁のあるホトトギス同人が催していた句会のことで、大岡龍男も会員だった。昭和13年10月に会員による句と随筆を収録した『銀座探勝』が出ていて、今回買ったのはその続篇。昭和13年6月の第12回句会から昭和15年6月の第34回句会より虚子選の句を収録している。おのおのの句会の会場はそのまま戦前銀座風景という趣き、きゅうぺる、菊水パーラー、東京パン、煉瓦亭……という文字を見ているだけで、嬉しい。『なつかしき日々』の次なる野望は、『銀座探勝』の一冊目を入手することだ! と、目には炎はメラメラ。



今回『続銀座探勝』が届いて、初めて内田誠も会員だったことを知って、ワオ! だった。というわけで、記念に、内田誠著『銀座』(改造社、昭和15年3月)口絵より「舗道」(磯沼秀夫撮影)。西6丁目の舗道。手前は「高橋ステッキ店」。「ヨシノヤ」の向こう隣がおなじみ「コロンバン」。戸板康二『思い出す顔』(講談社、昭和59年)の「スヰートと三田文学」によると、磯沼秀夫は明治製菓宣伝部にいたカメラマンで、ポスター撮影の際に知り合った梅園龍子と結婚して同僚をうらやましがらせたとのこと。梅園龍子にもつながる「スヰート」人物誌!