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ハイドンを聴いて、映画を見て、図書館へ行って、コーヒーを飲む。

午前8時。NHK ラジオ「音楽の泉」を聴きながら、お弁当をこしらえる。本日はハイドンのピアノトリオなり。遺作の変ホ短調は初めて聴く曲。このところハイドンがとても好きなので、思いがけず聴けて、今日は幸先がいいなアと大いによろこぶ。お弁当のあとは朝食を食べて、新聞の活字を眺める。ラジオの音楽は、ブレンデルの弾くハイドンの変奏曲に変わっている。



午前11時。渋谷のシネマヴェーラへ、清水宏『港の日本娘』(松竹蒲田・昭和8年)を見にゆく。館内はほぼ満席の様子。前方の座席になんとか潜りこんで、仰ぎ見るようにして、清水宏のサイレント映画を見る。いかにも蒲田の、いや清水宏の「モダーン!」があふれんばかりで、ああ、もう大好きだー、とシンと静まり返る映写室でウルウルになってスクリーンを凝視。横浜を捉えるショットがあちらこちらでスタイリッシュでジンジンと感激、野外のショットがすばらしいというのがいかにも清水宏なのだった。


などと、ひさびさにスクリーンで未見の清水宏を見る感激で、井上雪子を見て蓮實重彦著『監督小津安二郎』に思い出し感激で胸を熱くしたりなんかしつつも、いつもの癖で、明治製菓のタイアップ場面は登場するかしら! 登場するといいな! ということが頭から離れず、つい注目。清水宏だと、『港の日本娘』と同年の昭和8年のトーキー第1作、『泣き濡れた春の女よ』が明治製菓タイアップだと確認済みなので、なおのこと、気になってしかたがない。と虎視眈々とスクリーンを凝視していたら、出たー! と登場したのが、「クラブ歯磨」のネオンサイン。路上の絵描き、斎藤達雄の頭上に燦然と輝く「クラブ歯磨」。あら、明治製菓ではなかった。




最近のわが道楽、タイアップ画像コレクションより。小津安二郎『一人息子』(昭和11年・松竹大船)の一場面。『小津安二郎全集』(新書館、2003年)上巻の巻末解題には、《窓外(夜景)に、クラブ白粉のネオンが明滅するが、当時としては斬新で、微かに聞こえてくるジャズが、妙にもの悲しい。元松竹の宣伝部長だった島尾氏によれば、タイアップ第一号で大いに面目をほどこしたと言う。》とある。




わがタイアップ画像コレクションより、もう1枚。こちらは五所平之助『花籠の歌』(昭和12年・松竹大船)。銀座の路地裏のとんかつ屋(看板娘が田中絹代で親父が河村黎吉、妹の高峰秀子は SKD のスターを夢見てレッスン中)の二階の窓辺の風景。内田誠著『緑地帯』(モダン日本社、昭和13年)所収の「うなる」というタイトルの文章で『花籠の歌』のタイアップのことが書かれている。セットのネオンがうなってしまって撮影の折にちょいと難儀したとのこと。実はこの「明治チョコレート」のとなりにはやや小さめの「クラブ白粉」のネオンもあって、「明治チョコレート」と交互に点滅、両者は決して同時に点灯することはないのだった。



午後1時。大きな木の下のベンチで弁当をつかい、しばしぼんやりしたところで、図書館へ移動。閉館時間まで、あれこれ調べものをする、つもりだったけれども、どうも今日は寄り道ばかりしてしまった。銀座通りに立ち並ぶ商店の広告の切り抜き帳みたいな本、松崎天民の『銀座』巻末の「銀ぶらガイド」がそのままスクラップブックになったような、『近代銀座行進曲 一名大銀座記念写真帖』(銀ぶらガイド社、昭和14年)という本を開いて、明治製菓銀座売店(銀座3丁目)の広告を探したりする。巻頭に池田文痴菴の短文があって、麻布龍土町の近隣の友人だった南部修太郎が銀座について素敵な文章を書いている、というようなことが書いてあった。ここで池田文痴菴が紹介している文章は、資生堂化粧品部発行の『銀座』(id:foujita:20070319)に掲載の文章で、うんうん、あの南部修太郎の文章、とてもよかったと思い出して、ジンとなった。



午後6時。ちょいとコーヒーショップでひと休み。本日の図書館のおみやげ、「新潮」大正9年8月号の特集記事、菊池寛、中戸川吉二、小島政二郎、井汲清治、久米正雄、芥川龍之介による《南部修太郎氏の印象》のコピーをフムフムと読む。紀伊国屋書店の「机」で思いがけなく見つけたちょっといい記事を見て、にっこり。一通り目を通したところで、帰ることにする。



午後9時。《南部修太郎氏の印象》のコピーをはさむべく、EDI 叢書『南部修太郎 三篇』(2005年5月)の間を本棚から取り出すと、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)を印刷して製本した、「日曜日から日曜日まで」(http://www.aozora.gr.jp/cards/000048/card4387.html)がハラリと落ちてきた。「三田文学」昭和11年1月号に掲載の日記ふう読み物、夫人が睡眠薬を飲んで死んだ久保田万太郎邸へ弔問にゆく日から始まる一週間(昭和10年11月)。内田誠も登場している。同年6月に南部修太郎は他界。戸板康二の劇評が「三田文学」に載るのは昭和10年5月号が最初だから、三田文学のなにがしかの集まりで、中戸川吉二いうところの、南部修太郎の《苦み走った立派な》顔も見たに違いない。