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川島雄三の『お嬢さん社長』は極私的に嬉しい映画だった。

夕刻イソイソと外に出る。ねっとりと蒸していて、いまにも雨が降りそう。並木通りをズンズン歩いて、HOUSE OF SHISEIDO(http://www.shiseido.co.jp/house-of-shiseido/)へ。時間が限られているので展覧会の方はまたの機会とし、今日は二階のライブラリーに直進。ちょいと気になっていた軽い調べものをしつつ、カリカリとメモをとる。一通り終わったところで、そうだ、東哉(http://www.to-sai.com/index.html)へ行こうと急に思い立った。東哉の店内にえいっと足を踏み入れると、壁面に小村雪岱(たしか《春雨》だったかな?)が飾ってあるのを間近に見ることができて、器を見るのをあいまって、それはそれは至福。資生堂で調べものをしていたら急に雪岱が見たくなってしまった。と、ソワソワと東哉の軒先へ行ってみたら、あら、今は全商品二割引セールの真っ最中でお店のなかは大賑わい、いつもと店内の陳列が違っていて、雪岱の木版画は片付けられてしまっているようだった。まあ、今日はもともとあんまり時間がないことだしと、またの機会とする。東哉へ初めて出かけたのは、原田治さんのブログ(id:osamuharada:20061123)で小津安二郎の湯飲茶碗のことを知ったのがきっかけだった(ミーハー)。いざ出かけてみると思いがけず小村雪岱を目の当たりにしてこんなに嬉しいことはなかった。縞のお茶碗を買った。雪岱の木版画のなかの着物の柄となんとなく似ているような気がする。以来、家で夕食を食べるときはいつもこのお茶碗なのだった。



時間が迫ってしまった。ポツポツと雨が降るなかを、息も絶え絶えにフィルムセンターに向かって早歩き。ゼエゼエとそんなにまでして見るほどの映画だろうかという気もしてくるのだったが、なんとか時間に間に合って、川島雄三『お嬢さん社長』(昭和28年・松竹大船)を見る。《映画監督 川島雄三》特集のフィルムセンターに来るのは結局今日が最初で最後になりそう。


美空ひばり主演の『お嬢さん社長』は、先月浅草から東武鉄道にのって鳩の街に出かけた折に参照した、川本三郎『銀幕の東京』(中公新書)の「浅草」の項を見て、並んで紹介されていた『夢を召しませ』(昭和25年・松竹大船)と一緒に今回の川島雄三特集でフツフツと見たくなった映画だった。「おっ」とすぐさま手帳にメモしたものの、『夢を召しませ』は見逃してしまって残念なことであった。と、松竹少女歌劇総出演の浅草レヴュウ映画はまたの機会となったものの(次なる機会はあるかな)、美空ひばりの浅草歌謡映画の方は無事に見ることができて、やれ嬉しや。と、タイトルバックでさっそく、美空ひばりの唄声とともに隅田川の東武の鉄橋を見ることができたのだから、それだけで大満足だったけれども、「お嬢さん社長」であるところの美空ひばりは製菓会社社長の孫娘! ということで、このところ製菓会社あれこれに心ときめかしていた身としては、極私的にたいへん嬉しい映画であった。(銀幕の製菓会社という点で、増村保造の『巨人と玩具』ととともに記憶にとどめておきたい。そして、これを機に、銀幕のなかの製菓会社を探索せねばと目には炎がメラメラ。)


美空ひばりの浅草歌謡映画。江利チエミが主演だったらもっと嬉しかった。と、それはさておき、脇がよく固まっていて、製菓会社社長の頑固爺は市川小太夫で風格あふれる顔面が嬉しく、浅草の長屋の面々、レヴュウの舞台監督の佐田啓二や看板かきの大坂志郎や、桂小金治 や桜むつ子などなど、スミズミまで顔ぶれが嬉しい。そして何よりも、浅草にレビュウに製菓会社と、舞台装置がなんとも嬉しいのだった。美空ひばりの家庭教師の物理の先生の名前が「湯川」だったり、大坂志郎が美空ひばりの製菓会社のインダストリアルデザインはなってないねとレイモンド・ローウィの名前を持ち出したりとか、同年の昭和28年に設置されたばかりの銀座の「森永キャラメル」のネオンサインを髣髴させることがしっかり言及されていたりと、何かと気が利いていて、あちらこちらでニンマリだった。今までなんとなく月丘夢路が苦手だったけれど、有島一郎の娘で社長秘書役の今回の役柄がとてもよく合っていて、いかにも宝塚の男役出身といった風情がなかなかよかった。今まで苦手だった役者を思いがけなく「あれ、なかなかいいぞ」と思う映画に出会ったときはいつも嬉しい。などなど、いろいろと嬉しかった映画、「銀幕の東京」の名手たる川島雄三の面目躍如の浅草映画、映画のなかの風俗描写が冴えているという川島雄三の典型がそのまんま当てはまる映画なのがよかった。結構ハズレも多い川島映画、未見の川島雄三が思いがけなく自分好みだったときはそれだけでいつも嬉しいのだった。


機嫌よくフィルムセンターの外に出てみると、雨が上がっている。森永キャラメルのネオンサインを思い出しつつ、今日も夜空に回るアサヒペンを見上げる。いつなくなってもおかしくないアサヒペン、いつまでもそこでまわっていてほしい! と今日も切に願うのだった。




6月最後の土曜日に出かけた展覧会より、大辻清司《黒い傘がやっと見える暗い部屋》1975年。早起きして国会図書館に出かけて、ずいぶんくたびれた昼下がり、永田町から半蔵門線にのって松涛美術館へ出かけた。渋谷の雑踏をゼエゼエとたどり着いた、ひさしぶりの松濤美術館。《大辻清司の写真 出会いとコラボレーション》はたいへんすばらしく何度も会場を行ったり来たり。「フォトタイムス」など戦前の写真雑誌のこと、前々から好きだった斉藤義重のことなど、なにかと目を開かされつつ、モノそのものが屹立する大辻清司の1950年代の写真にハッとなったり、それから60年代、70年代と変化してゆく、大辻清司の変化具合にもハッとなったり、大辻清司そのものがとてもよかった。「アサヒカメラ」に1975年の一年間にわたって連載していた「大辻清司実験室」を大きなパネルで目の当たりにしたひとときが一番の至福。上の写真は「大辻清司実験室」に登場する写真。大辻清司は昭和28年、「実験工房」に参加したり「グラフィック集団」を結成したりしている。そのあとさきの、商業美術の隆盛のようなものもたいへん興味ぶかく、山名文夫展のことを思い出したりもした。大辻らによる明治製菓の広告作品が見られたのも極私的に嬉しかった。