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「中村雅楽全集」第三巻『目黒の狂女』を買いに、書泉グランデへ。

夕刻、イソイソと外に出て、神保町に向かってズンズン歩く。まずは書泉に突進して、創元推理文庫の新刊、戸板康二『中村雅楽全集3 目黒の狂女』(asin:4488458033)を買ってほっと安心したあと、あちらこちら寄り道し、あれこれ立ち読みし、とっぷりと日が暮れて、帰宅。



2月に「待ちかねたわやい」とめでたく、創元推理文庫の《中村雅楽全集》全5巻の刊行がはじまって以来、偶数月の月末が近づくとにわかにソワソワ、東京創元社のサイト(http://www.tsogen.co.jp/np/index.do)に記載のある「発売日」の前日になると、「待ってましたッ」と神保町に突進するのが毎回のパターン。神保町では、書泉と日本特価書籍に限っては、発売日の前日に創元推理文庫が並んでいる。


思い出づるは2月中旬のある日のこと。伊藤大輔の『下郎の首』(新東宝・昭和30年)を見に出かけた折、フィルムセンターのロビーでバッタリ、「まあ!」と金子さんに遭遇してびっくり、開口一番、「雅楽全集がいよいよ出るようですね! 今度こそ本当に出るみたいですよ!」と大いに盛り上がった。なんて大いに盛り上がりつつも、わたしは内心、金子さんには先を越されたくないと闘志がメラメラと沸いていたのだった。一刻も早く入手して一刻も早く悦に入るのだ。


と、そんなわけで、2007年2月27日火曜日。「中村雅楽全集」第1巻、『團十郎切腹事件』の発売日は「2月28日」と表示が出ていたのだったけど、神保町に行けば前日に出ているやもしれぬ、こうしてはいられないと、神保町に突進。まずは東京堂を見たけれども、まだ売っていない。しょうがないから三省堂で買うとするかと三省堂へ走ってみたけれど、やっぱりまだ売っていない。何をそんなにあせっているのだろうか、わたしは……とよろけつつも、そうそう、ハヤカワ文庫や創元推理文庫はいつも書泉で買うのがかねてからの自分内ルールであった、うっかりしていたと気を取り直して、書泉に足を踏み入れてドキドキと創元推理文庫の棚が近づいてみたら、『團十郎切腹事件』が見事なまでにうず高く積まれている! 本当に出たんだ! 「中村雅楽全集」全5巻の刊行がいよいよ始まったんだ! と、その『團十郎切腹事件』がうず高く積まれている光景を眼前に心のなかで「!」を連発、ジーンと感極まるあまりにツーンと立ちすくむよりほかなすすべがないのだった。


などと、さっさと手にとって中身を確認するなりレジに直行するなりなんなりすればよいものを、うず高く積まれてある『團十郎切腹事件』の前でジッと立ちすくむという挙動不審者と化していたところ、背後からわが名を呼ぶ声が聞こえたような気がしたので、なんとはなしに振り向いてみると、なんと、そこには金子さんが! 先週のフィルムセンターに引き続いて、またもや遭遇するとはなんというという奇遇であろうか。しかも、うず高く積まれてある『團十郎切腹事件』のまん前で遭遇するとは! 金子さんよりも先に購入せねばとメラメラと闘志をわかせていたことなどおくびにもださず、しばし『團十郎切腹事件』刊行の歓びをわかちあい、いつまでも歓喜にむせぶのだった。そんなこんなで、仲よく並んでお会計を済ませ、数年来待ちかねていた日下三蔵編纂による「中村雅楽全集」全5巻の第1巻、『團十郎切腹事件』を手中に収めたという次第。【→ 金子さんの「新・読前読後」id:kanetaku:20070320】



今回の『目黒の狂女』で「中村雅楽全集」は早くも3冊目、このまま順調に刊行が続けば10月の月末に全集が完結する。帯には「全巻ご購入の方にプレゼント実施」なる応募券が用意されていて、いったい何をいただけるのかしら! と想像するのもたのしく、刊行のたんびに、書誌的に完璧で間然とするところのない編集ぶりに感嘆し、ホクホクと読み始めて、ちょっとずつのつもりがあっという間に1冊読み終わってしまう。今まで単行本化されているものはすべて読んでいたので大部分は再読になるわけだけれども、実のところ、わたしは中村雅楽シリーズにそんなには親しんでいたわけではなかったのかもしれない。今回、めでたく「中村雅楽全集」となってあらためて読み進めることで、初めて心から「雅楽シリーズが好きだ!」という気持ちになった気がしている。初めて読むかのようにウキウキと読み進めている。


これまでも探偵小説そのものとしてというよりも、戸板康二の筆のあとさきに思いを馳せて、ふんわりと読むのがいつも楽しかったのだけれど、今回「中村雅楽全集」を手にしたことで、雅楽シリーズに通底する「ことば・しぐさ・心持ち」というようなものが、これまで以上に深くグイグイと浸透してきて、じつにいい心持ち。雅楽のちょっとした言葉づかいとか、人とのつきあいにおけるちょっとしたマナー(この場合は誰がお会計を持つのか、とか)といったディテールをホクホクと観察してはたのしい。それから、「宝石」にデビュウの昭和33年以来、戸板康二が生涯にわたって書き続けた「中村雅楽シリーズ」を、今回全集という形であらためて時系列に読んでゆくと、小説に描かれている「現代風俗」のようなものがひときわおもしろいのだった。戸板康二が生涯にわたって書き続けたシリーズを時系列に読み進めることで、戸板康二の視線のあとさきが垣間見られるのがファンとしてはたのしくて、ここでモデルになっているであろう東京や酒場などの描写も戸板さんの見てきた光景の反映なのかなと思う。松井今朝子が『目黒の狂女』の解説で、《本筋とは少し離れたところの楽しみ方》として《いったい誰が、何がモデルかという読み解き》といったことを書いていたけれど、まさにその通り! 


「中村雅楽全集」に通底する「戸板康二の歳月」のようなものにじんわりとひたっている2007年の日々なのだった。それだけで心がスーッとするという点で、戸板康二の「中村雅楽シリーズ」はわたしの中では、東海林さだおの「漫画文学全集」や小津安二郎の映画などと並ぶ、永遠のスタンダードとなった。早くも次の巻が待ち遠しい。今度、書泉グランデへ突進するのは、8月末。




さて、8月末に手にするであろう第4巻の『劇場の迷子』に、「弁当の照焼」という一篇がある。画像は「小説現代」昭和58年8月号掲載、戸板康二『弁当の照焼』の山本武夫による挿絵。『食卓の微笑』(日本経済新聞社、平成元年)の「焼き魚」という文章に、《このごろの劇場の弁当は、昔と大分、中身が変わり、何となく高尚趣味にかたよっているが、私の子供のころの「弁松」の三重弁当の玉子焼と照焼の味が、なつかしい。私は中村雅楽の推理小説で、「弁当の照焼」というのを書いたが、山本武夫さんが、克明に、昔の弁当の絵を挿画に再生してくださった。》とあるのを見て、いてもたってもいられず、図書館へ初出誌を見に行ったことがあった。『思い出の劇場』(青蛙房、昭和56年)の「歌舞伎座」の項には、《一階に弁松があって、親がかりの日の食事はここの弁当ときまっていたが、今思うのに、どうしてあんなにおいしかったのだろう。玉子焼、照り焼、煮物、みんな乙に気取ってなくて、しかも丹念にこしらえられていた。今あのような弁当がなぜないのだろうと思う。「むかしの光いまいずこ」である。》というくだりがある。ところで、山本武夫といえば、来年2月より目黒美術館で、《山本武夫展 ―小村雪岱の弟子、美人画と舞台美術》が開催されるのだそうで、今からとっても待ち遠しい!