京都の古き洋食店で古川ロッパを思い、阪急電車にのって大阪へ。

春休み二日目。新幹線にのって、正午、京都。まずは、嵐電にのって、なにを間違ったのか、東映太秦映画村へ。このところ東映時代劇に凝っていたので、その勢いにのってなにか面白い展示はあるのだろうかと「映画文化館」なる施設だけを目当てに出かけたのであったが、時代劇セットが林立する野外では、行き交う遊覧の人びと(ほとんど家族連れ)の春休み気分がこちらにも心地よく伝わってくる。わるくはなかった、気がする。目当ての「演劇文化館」もわるくはなかった。特に二階は映画人ひとりひとりのブースにゆかりの品が展示されてあるという方式で、次々にめぐって、なかなかたのしい。山中貞雄のブースにある昭和15年刊の『山中貞雄シナリオ集』は小津安二郎の装幀なのだ、ガラスケース越しに物欲がにえたぎる。その一方、藤本真澄のブースには『プロデューサー人生』が。こちらはつい先日入手したばかり、フッとほくそ笑む。徳川夢声のブース、せっかくの生原稿なのに日焼けしていてあわれをそそられる。……というようなことを幾度か繰り返し、あっという間に全部見終わってしまった。一番嬉しかった展示はダントツで片岡千恵蔵の特製麻雀牌。現在目下チマチマと読書中の『古川ロッパ昭和日記』で、京都を訪れるたびにロッパが千恵蔵とマージャンに興じている様子を何度も読むことができる。そのロッパ日記のことを思い出してジーン。京都の地で千恵蔵の麻雀牌を目の当たりにする、その愉悦。これだけでもはるばる来た甲斐があった(ということにしておこう)! と自らに言い聞かせて、ふたたび、嵐電にのる。


さあ、これからが京都町歩きの本番。と、有次で眉間にシワを寄せながら日用品をみつくろう。無事にお買い物が済んで肩の荷を降ろしたところで、足取りかるく寺町通りを歩いて、三月書房へ。足を踏み入れてさっそく、ここ三ヶ月の念願だった、尾崎雅嘉/古川久校訂『百人一首一夕話』上下(岩波文庫、2004年11月重版)が売っているのを見つけて、ジーン。ちょうど三ヶ月前、年末の三月書房で購入して年明けさっそく読みふけった、加藤一雄『雪月花の近代』(京都新聞社、1992年)に『百人一首一夕話』のことを綴ったとびきり素敵な文章がある。この文章を読めば誰だって、『百人一首一夕話』が欲しくなってしまうのは確実。岩波文庫で出ていたと知ったときはたいそうよろこんだものだった。しかし、買おうと思ったら品切れているのが岩波文庫の常。図書館で期限いっぱい借りて気を紛らわせて、近日の邂逅を願っていたのであったが、そもそものきっかけの『雪月花の近代』とおなじく、三月書房で買うめぐりあわせとなり、こんなに嬉しいことはない。

著者の蘿月庵に較べて、むしろ、挿絵家の方がエスプリはいきいきと動いている。そのエスプリが(渡辺清の弟子としての)精細的確な風景・殿舎・風俗・器物の描写の中にとじこめられているところ、見ていて愉快である。登場人物は全て、云うまでもなく、遠く王朝時代の貴族及びその従者である筈だが、真虎の筆にかかると、どうも室町時代も末近いお公卿さまという感じがする。これは徳川時代晩期の人たちの一般的な心象であったが、また実を云うと、私ら現代の小市民の王朝に対する心象でもある。真虎は時として、からりと筆致をかえて、彼自身の住む化政・天保の世の風俗を描くことがある――これがまた実にこの本に合っているのだ。名優のレパトリイは何も王朝物に限っている訳もあるまい。彼は衣冠束帯をすてて、さっぱりと浴衣姿となり、真世話狂言に出ることもありだろう――この心意気、特に徳川期晩期の人びとを嬉しがらせた心意気を、真虎もまた嬉しがって示すのである。尤も、彼は気の毒にも、少し名古屋風の、緞帳芝居の立役者という感じがしないでもないが……。


【加藤一雄「百人一首一夕話」 - 『雪月花の近代』(京都新聞社、1992年)所収】


『百人一首一夕話』を買って胸がいっぱい。いつまでもジーンと感激しつつ、三月書房のあとはいつものとおりに村上開新堂でロシアケーキを買う。ちょこまかと歩き回ってくたびれたところで、六曜社でコーヒーを飲んで、休息。三月書房と村上開新堂と六曜社。来る機会はそんなには多くないのに京都に来ると、いつもおんなじコースをたどっている。そんなこんなで、あっという間に日が暮れた。夕食は、先斗町の「一養軒」にて、古きよき洋食何品かと赤ワイン。大正の創業時から変わらない内装なのだという。その内装と愛らしい小ぶりのグラスとによく映えるサンテミリオンのワインは、むしろ「ぶどう酒」と呼んだ方がいかにも似つかわしい。古風で控えめだけどじんわりと滋味あふれる古きよき洋食のたたずまいは、村上開新堂のロシアケーキが洋食になったらこうなった、という感じの、極私的「京のあじ」となった。古き内装ともどもほかでは味わえないような、瀟洒ではないけれどもハイカラ。オールドニッポンのハイカラさのようなものがそこはかとなくただよっている。目下読書中の、『古川ロッパ昭和日記』のことを思い出して、戦前ニッポンでロッパが食していた洋食ってこんな感じなのかなと勝手に実感して、ホクホク。映画村の千恵蔵の麻雀牌に引き続いて、京都で昼夜立て続けに古川緑波を思うこととなった。


(追記:『古川ロッパ読書日記』において、「戦後篇」に本当に一養軒が登場していて、ワオ! 初登場は昭和23年9月5日、「…こゝはうまくなし」。しかし、3回目登場の昭和24年9月1日では「此処のは量が少し、でも前より美味しくなったようだ」とある。ロッパが食べた当時とメニュウはほとんど変わっていないらしい、ということがロッパ日記で推察できるのが、また嬉しい。)


古きバーというたたずまいの一養軒、今度はオードブルとともにウィスキーを飲みに来たいなあと未来の京都旅行に思いを馳せつつ、四条河原町から阪急列車の特急にのって、大阪梅田へ。三ヶ月ぶりの、四条河原発の阪急列車の特急! 普通料金なのにボックス席なのが嬉しい、…と言いたいところであったが、ホームに降りたところで停車中だった車両は特急なのにごく普通の車両でガーンと、往生際悪くボックス車両が来るのを待っていたのであった。ハテ恐るべき執念。その甲斐があって、無事にボックス車両に乗って、ごきげん。真っ暗の車窓をみやりつつ、近々京都から阪急列車にのって宝塚大劇場に出かけたいものだなあ! といつも思うことを今日も思って、それだけでワクワク。いつまでも嬉しい。と言いつつも、ダイヤ改正で特急の停車駅が増えていた(と同時に特急のボックス車両が減っていた)のが旅行者としてはちと不満であった。


そんなこんなで、無事に大阪に到着。阪急梅田の壮観なホームにいつもどおりに胸躍らせる。明日は阪急にのるのがたのしみである、と、新地でハイボールを飲んで、夜がふける。夜中、雷鳴と閃光。春の嵐。



高木四郎『京のあじ』(六月社、昭和31年5月)。いつかの古書展で200円で買った本。高木四郎といえば、京都の和敬書店にて昭和21年に創刊の演劇雑誌「幕間」の表紙絵を描いている人、ということでわたしのなかでは長らくおなじみだった。「幕間」の表紙絵(特に初期)が大好きなのだった。その高木四郎が自らの挿絵でこんなチャーミングな本を出していたなんて! と見つけたときは大喜びだった。カヴァーの著者紹介には《明治四十二年(1909)京都に生る。京都府立第三中学校卒業。津田青楓氏に師事。二科展出品後、須田國太郎に指示。独立後美術展出品。戦後公募展に出品せず。現在、京都に居住す。》とある。ところで、山田稔の『北園町九十三番地』によると、天野忠の限定版詩集のひとつに《翌七一年九月には高木四郎の絵で『人嫌いの唄抄』(文童社、限定三百部、頒価三五〇円)》というのがあるらしい。同一人物の高木四郎と思っていいのかな。ここではどんな絵を描いているのだろう。というようなことを思い出してひとたび『北園町九十三番地』を繰るとつい読みふけってしまうのが常で、いつまでも京都の追憶にひたるのだった。