モダン都市の雑誌「スヰート」に胸を躍らせ、長谷川りん二郎。

先週図書館で借り出して以来、ゆまに書房の「コレクションモダン都市文化」の『グルメ案内記』を夜な夜な繰っては、そのたびにあれこれ胸を躍らせてばかり。本編のみならず、編者の近藤裕子さんによる巻末年表が尽きないおもしろさなのだった。その、1920年から1939年までの年表をくまなく眺めてゆくうちに、数年来緩慢に追っている明治製菓の PR 誌「スヰート」にまつわるあれこれがあらためておもしろくなってきたのが、たいへん嬉しくたいへん楽しいことだった。解説によると、「スヰート」の創刊は1926年10月、森永に先を越されていたチョコレートの製造販売がようやく実現し明治ミルクチョコレートを大々的に販売するのと連動するようにして、「チョコレート号」と銘打って創刊されたという(『明治製菓40年小史』には大正12年6月創刊とあるが…。「新創刊」なのだろうか)。


「スヰート」の刊行は震災後の東京にいわゆる都市モダニズムが開花するのと同時期、そのモダン都市で大流行したのが「食べある記」というわけで、この巻末年表がその時代の食べ物、外食にまつわるあれこれ、雑誌や書物あれこれを列挙しているのを眺めるだけでモクモクと刺激的、類推が尽きないのだった(「スヰート」に登場の顔ぶれと記事タイトルと松崎天民主宰の「食道楽」の顔ぶれを連動して垣間見られてクラクラ。松崎天民の「食道楽」をぜひとも近々見てみたい!)。戸板康二が明治製菓に就職して内田誠のもとで「スヰート」の編集に携わるようになったのは昭和14年4月以降、ここで言うところの「モダン都市文化」の終焉とほぼ時を同じくしている。戸板康二を追求するようになって以来ずっと、戸板康二が青年時代を送った時代として1930年の都市文化あれこれ、いわゆる「日中戦争前の小春日和のような東京」に対する関心というのがあるのだけれども、今回の『グルメ案内記』でひさびさに目を開かされた感じ。


……とかなんとか、全然まとまっていないけれども、とにかくも『コレクションモダン都市文化 グルメ案内記』は「スヰート」あれこれ、戸板康二あれこれを考える上で大いに刺激になった。巻末年表をコピーしてわが明治製菓ファイルに綴じたところで、水曜日は京橋図書館の日、さア、返却するといたしましょう! と、日没後、マロニエ通りをズンズン歩いて本を数冊返して、また数冊借りて、帰宅。


ブルーベリージャムを添えたブリアサヴァランを食べて、アールグレーを飲んだところで、借りたばかりの本を次々に繰る。長谷川郁夫『藝文往来』(平凡社、2007年)を途中まで読んで、金井美恵子『切りぬき美術館 スクラップ・ギャラリー』(平凡社、2005年)を繰る。以前立ち読みしたとき長谷川りん二郎が載っていたのを思い出して軽い気持ちで借りてきたのだったけれど、ひとたびページを繰ると陶然、こんな気分の本読みはひさしぶり。読んで眺めて、眺めて読んで……を繰り返して、寝る時簡になる。



尾をひく長谷川りん二郎、ということで、本日の画像は、長谷川りん二郎《薔薇》1938年、なり。洲之内徹『芸術随想 おいてけぼり』(世界文化社、2004年)より。この絵が「スヰート」の表紙絵だったことを知ったときは狂喜だった。第14巻第5号で昭和14年後半発刊の号なので、戸板康二入社以後の「スヰート」表紙絵だ。明治製菓宣伝部の内田誠の脇に香取任平という人がいた。香取任平の妹が長谷川海太郎(谷譲次・牧逸馬・林不忘)夫人の長谷川和子だったという縁で、内田誠は長谷川りん二郎と交流を持つこととなったのかな、どうなのだろう。この絵に関して、洲之内徹は《この『薔薇』の清潔な詩情を私は愛している。一種、十九世紀ふうの典雅さがある。水を満たしたガラスの器の中で屈折して見えるバラの枝が克明に描かれて、水と光のたわむれを如実に見せてくれるのも楽しい。》というふうに書いている。1930年代に内田誠のもとにあった《薔薇》がめぐりめぐって昭和30年代の洲之内徹の手にわたったという機縁。今は宮城県美術館に収蔵されている。