銀座7丁目から京橋まで歩いて、映画のあとは麦酒を飲む。

朝、喫茶店で「サンパン」を送ってくださった方へお礼の葉書を書く。本日の絵葉書は、鈴木信太郎《東京の空(数寄屋橋付近)》昭和6年、なり。



「サンパン」刊行の感激に胸が熱くなっているうちに、今まで EDI 刊行本のおかげでどんなにわが本読みが充実したことだろうというようなことにも思いが及び、ジーンとなりながら書いていたら、字は乱れに乱れ、文章も意味不明、それはそれはひどい紙面になってしまって、眉間にシワが寄る。表の鈴木信太郎がもったいないので、心ならずもこのまま出すことにする。一刻も早くこのことは忘れようと、行きしな早々にポストに投函する。


夕刻、イソイソと外に出て並木通りに出て、銀座7丁目へと向かう。HOUSE OF SHISEIDO へ。本日は2階のライブラリーコーナーに突進。先日、『グルメ案内記』を図書館で借りて胸躍らせた、ゆまに書房の「コレクションモダン都市文化」(第1期全20巻:http://www.yumani.co.jp/detail.php?docid=253 / 第2期全20巻:http://www.yumani.co.jp/detail.php?docid=311)の『資生堂』の巻のことを日中突発的に思い出して、いてもたってもいられず HOUSE OF SHISEIDO のライブラリーに置いてあるかな、置いてあったらいいなとソワソワとここまでやってきたのだったけど、あいにくここには並んでいないようなのだった。ああ、残念。まあ、また次の機会にとすぐに気を取り直して、資生堂ギャラリーのパネルを凝視して先週のおさらい、《椿会の春》展をもう一度見ることができて、よかった。


「コレクションモダン都市文化」の『資生堂』の内容は三須裕『銀座』(1921)、矢部季『資生堂図案集』(1925)、資生堂意匠部編『御婦人手帳』(1928)の復刻、と知ったときは「ワオ!」だった。三須裕編『銀座』(資生堂化粧品部、大正10年)のことは戸板康二が「銀座百点」昭和30年7月号(戸板康二初登場の号)に書いた「銀座の書割」という文章で知ったのが最初だった。

大正十年に資生堂が出版した「銀座」という私家版には、その頃資生堂にいた小村雪岱画伯が、同年八月現在の、京橋から新橋までの銀座通両側の町並見取図を描いている。近年の「銀座界隈」にのった見取図あるいは「銀座百点」に毎号出ている俯瞰図と比べてみると、この町の上に流れた三十余年の歳月が今更のように思われる。


小村画伯はこの「銀座」の出る前後に隅田川両岸図というものを、当時の婦人雑誌「新家庭」に掲げた。僕は芝居の大道具の言葉を借りて、隅田川の遠見、銀座の書割とでもいいたい、この二つの労作に、貴重な資料としての大きな価値を認めたいのである。


【戸板康二「銀座の書割」‐『ハンカチの鼠』所収】

と、そんなわけで、小村雪岱の描いた「銀座通両側の町並見取図」を見たい! のだった。


なにはともあれ資生堂の展覧会を再訪できたのはとてもよかったなア! と上機嫌に外に出て、西五番街を京橋に向かって、歩く。日が暮れたばかりの金曜日の銀座は格別。途中、信濃屋アネックスでワインを物色。夜働く女の人たちに混じってここでワインを買うのがわたしは大好き、今日はサンテミリオンの赤ワインを1本選出、さらに機嫌よく外に出る。よくよく見てみるとこの建物もずいぶん時代がついている、郵便受けの形がなんだかチャーミング、とかなんとか、さらに歩を進め、以前古い建物に惹かれてなんとはなしに入ったバーの場所が更地になっているのを横目にさらにズンズン歩くと、晴海通りに出る。ここの角は池田弥三郎の実家のてんぷら屋の「天金」があった場所。


フィルムセンターで、丸根賛太郎『狐の呉れた赤ん坊』(昭和20年・大映京都)を見る。阪妻目当てで軽い気持ちで見に来たのだったけど、おとぎ話ふうのつくりにずいぶん和んで、監督は丸根賛太郎、丸根賛太郎といえばいつか三百人劇場で見た『春秋一刀流』が大好きなのだった、阪妻大疾走シーンのスラップスティック的場面にクラクラ、走れ、走れ! 『春秋一刀流』をまた見たい! と、ここで突然胸がキューン。はじめの方の羅門光三郎(トあとで確認)の身体の動きにウキウキ、質屋役の見明凡太郎(トあとで確認)がいい味出している! ロッパ日記を読んでいる最中なのでなおのこと「なつかしい芸人たち」というような雰囲気が胸にしみいるのだった。  



映画のあとは、明治屋地下のモルチェでビールを飲む。ここは社員食堂かと見まごうような客層とチープなテーブルと椅子、感じのいい店員さんと明治屋の古い建物、その「東京の昔」感に和みつつ、閉店の10時まで麦酒を飲んで、帰る。