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松崎天民を繰り、銀幕の斉藤達雄を見て、銀座のバーを思う。

バタバタとお弁当、朝食を終わらせて、イソイソと身支度……のその前に、伊勢丹の紙袋をペーパーナイフでカットして、図書館で借りっぱなしの松崎天民『四十男の悩み』(新作社、大正13年)にカヴァーをかける。こんな本を所蔵しているだけでなく気前よく貸して下さるとはなんとありがたいことだろう! と毎度おなじみの歓喜に胸を熱くしつつ嬉々と借り出したものの、いざ手にしてみると保存状態にかなりの難があって、うーむ、これは……と、全頁通読はちと無理な様子なのだった。しかーし、こうしてパリッと頑丈にお手製のカヴァーをかけてみるとそこはかとなく愛着、そもそも『四十男の悩み』というタイトルだけでニヤニヤ、そして、目次の字面(「酒から写真へ」「東京その折々」「東京の十五年」「東京に住む者」…)でますますワクワク。とそんなわけで、おっとこうしてはいられないとイソイソと身支度を済まして、ソソクサと外出。いつもの喫茶店でコーヒーをすすりながら、『四十男の悩み』をウキウキと拾い読みする。ずいぶん前にちくま学芸文庫の新刊として『銀座』(ISBN:4480087192)を手にして以来なにかと気になる松崎天民、やっぱりいいなあと、大正当時のヴィヴィッドな東京描写が素敵なのだった。いつか、誠文堂十銭文庫の『京阪食べある記』(昭和5年)や『東京食べある記』(昭和6年)、はたまた『三都喰べある記』(昭和7年)を手にできれたらいいなと、明日の古本の夢は広がる、広がる。


日没後、鍛治橋通りを歩いて、フィルムセンターへ。五所平之助の『人生のお荷物』(昭和10年・松竹蒲田)を見る。このところすっかり時代劇づいていたけれども、戦前松竹のモダーンないわゆる「小市民もの」が日本映画のもっとも好きな系譜であった。ひさびさに見てみると、やっぱり大好き、愛が再燃。つくりはいかにも甘いのだけれども、斉藤達雄が見られればいつだって大満足! と、映画が終わって心持ちよく外に出て、教文館まで早歩き。満を持して読むのが待ち遠しいことだなあと宮下志朗訳の『エセー』第2巻や山田稔訳のグルニエの新刊などを横目に、トルストイ/藤沼貴訳『戦争と平和』第5巻(岩波文庫、2006年)を買う。


帰りの車中で、入手したばかりの「銀座百点」をぼんやり眺める。唯一たのしみにしている太田和彦の連載「銀座の酒場を歩く」のページをまっさきに開いてみると、今月は TARU がとりあげられているので「おっ」となる。数年前に洲之内徹にメロメロになったまなしの頃、現代画廊のあったビルが今も残っていると知ってドキドキしながら、三原通り六丁目のビル銀緑館(大正13年竣工)の前へ立ちすくんだ日の記憶は今でもとっても鮮明だ(当時の記録が臆面もなく残っていた:http://www.on.rim.or.jp/~kaf/days/2001-08.html#14)。その地下にバーがあるのを見て、いつの日かここでウィスキーを飲みたいなと思ったものだった。実現したのは一昨年だったかな、懐かしいなア! ……とかなんとか、「おっ」と読み進めていくと、

昭和九年、松竹の映画俳優・斉藤達雄は銀座交詢社脇にバー“機関車”を始めた。そこに酒を調達していた赤羽猛は人物を見込まれ、四年後に店を任され、斉藤は手を引いた。赤羽は機関車をやりながら、昭和二十八年、銀緑館ビル地下に“TARU”を開店した。(「中央公論」昭和61年5月号)

なる記事が紹介されている! スクリーンで斉藤達雄を見た直後に目にするなんてあまりにも、あまりにも出来すぎ、キャー、斉藤達雄! とはしゃいでいるうちに、最寄り駅に到着。斉藤達雄は鉄道が好きだったのかな。


【追記:枝川公一さんのすばらしい文章を発見してさらに興奮なのだった(→「銀座の街に、昭和モダンの名残りを求めて」:http://www.edagawakoichi.com/TOKYO/to-ginzanomachinishowa.html)。】

ルビッチ『結婚哲学』の戦前松竹への影響?

先月、マキノ正博・池田富保『忠臣蔵 天の巻・地の巻』(昭和13年・日活)にて、阪妻の大石と千恵蔵の立花左近の対面シーンの「勧進帳」にむやみにやたらに胸が躍って、このあたりのことをもっと追及したいなと思った。歌舞伎と映画の関係を論じた文献でまっさきに思い出すのは「歌舞伎 研究と批評31号/特集・歌舞伎と映画」(歌舞伎学会、2003年8月発行)だてんで、本棚から取り出してフムフムと繰ってすっかり宵っ張り、先月買ったばかりの「日本映画史叢書」シリーズ(このシリーズ、なかなか素敵。今は『家族の肖像―ホームドラマとメロドラマ』の刊行がたいへん待ち遠しい。)の『時代劇伝説―チャンバラ映画の輝き』森話社(ISBN:4916087569)もぴったりの文献だ。メラメラと繰って、ますます宵っ張り。もっともっとこのあたり(って、どのあたり?)を追求せねばならぬ、とそんなわけで、ソワソワと図書館へ。前々から気になりつつも手にすることなく今日まで来ていた、橋本治『完本チャンバラ時代劇講座』(徳間書店、1986年)と山本喜久男『日本映画における外国映画の影響』(早稲田大学出版部、1983年)をとりあえず借り出して、帰宅後さっそく繰って、今一番知りたいことがたくさん書いてある! 二冊ともたいへんな呪縛度ですっかりノックアウトされてしまった。こうしてはいられないと、二冊ともすぐさま購入、なのだった。愉しき哉。

山本喜久男の『日本映画における外国映画の影響』で『人生のお荷物』が登場するのは、「『結婚哲学』と日本映画」なる章の「松竹映画への影響」のところ。この本の目次を見たとき「ワオ!」とまっさきに開いたのがこの章だった。ので、記念に抜き書き。夢声も『結婚哲学』のことを大好きだと自伝に書いていて、うんうん、わたしも、わたしもととても嬉しかったのも懐かしい。

クロース・アップやショットの多用によるきめの細かい描写は、小市民映画になると特に顕著な効果を発揮する。例えば、昭和一〇年の『人生のお荷物』では、家庭という室内空間のなかで、ワン・ショット、クロース・アップ、アクション・カット、主観カットが多用されている。その結果、家庭内の父、母、息子の表情の対話、個々の心の世界等がきめ細かに描出される。そのなかで、父は人生のお荷物としての家庭の扶養に耐えがたくなってくる。そういう動揺がミクロ的な家庭空間のなかで、大きな動揺となって、母と子の家出という危機に至る。ところが家出した筈の息子が学校の帰りに。習慣的に家に戻ってしまう。こうして和解が訪れる。家庭の個々の心の世界は、もとの家庭空間に収まる。これが松竹の小市民映画という風俗喜劇のスタイルと精神である。小津作品の結末に示される、娘が嫁いで行ったあとの家庭空間の空虚さも、実はそれ以前にこの家庭空間のなかに娘のワン・ショットがつみ重ねていた個の世界の欠落によってもたらされている。(山本喜久男『日本映画における外国映画の影響』p380)