西村晋一『演劇明暗』を買い、和木清三郎の『新文明』が届く。

バタバタとお弁当を作り、ソソクサと朝食を済ませて、イソイソと外出。今日もずいぶん早くにたどりついた。喫茶店でコーヒーを飲む。今朝はひさしぶりの、「神吉拓郎を週末に入手→月曜日の朝にさっそく繰る」なのだった。神吉拓郎『芝の上のライオンたち』(旺文社文庫、1984年)を途中まで読んで、そのあとはひたすら、トルストイ/藤沼貴訳『戦争と平和』第二巻(岩波文庫、2006年)の続きを読み続ける。アウステルリッツ戦のまっただ中。ゾクゾクとひたすら読み続けているうちに、アウステルリッツ戦は終了し、そこには高い空……、あ、いつのまにか時間になっている。


日中、ちょいと抜け出して、銀座松坂屋の古本市へ出かける。先週末、尾崎雅嘉『百人一首一夕話』上下(岩波文庫)が欲しい! の一念でワラをもつかむ思いで勇んで出かけた銀座松坂屋の古本市はかつて見たことのないような閑散さで、棚をめぐる分には快適であった。尾崎雅嘉は見つからなかったけど、500円だったら買ってもいいなというような演劇書を3冊見つけて、それなりに収穫があって、よかった。帰宅後さっそく、そのうちの1冊、三宅周太郎『俳優対談記』(東宝書店、昭和17年)をホクホクと繰って、奥付の発行者のところに「西村晋一」の名前を見たとき、そうだ、前々から気になっていた、西村晋一の『演劇明暗』、散々迷ったあげく今日は見送ったのだったけど、ああ、やっぱり買っておけばよかったなあ、と軽くため息だった。で、週が明けても、『演劇明暗』が心から離れない。と、そんなわけで、往生際悪く、閑散とした銀座松坂屋の古本市を再訪し、無事、西村晋一著『演劇明暗』(沙羅書店、昭和12年)を購入。足取り軽く、外に出る。


  


この装幀がなんとも素敵で、人目見ただけで惚れ惚れなのだったけど、装幀者はなんと寺崎浩。気分は一気に野口冨士男の『感触的昭和文壇史』だった。


帰宅すると、注文していた、和木清三郎の雑誌『新文明』昭和30年10月号が届いていた。わーい! と乱暴に梱包をひきちぎる。「新文明」は図書館で一通りは閲覧をしているのだけど、手に入れたのは今回が初めて。うれしい。和木清三郎の「戦前」が「三田文学」で「水上瀧太郎」だとしたら、『新文明』は和木清三郎の「戦後」で「小泉信三」ということになる。戸板康二の登場する誌面という点において両極的に大変な見もので、戸板康二以外でもなにかとおもしろくて、もう何年もおんなじところでクルクルと興奮してばかりいる。和木清三郎の戦前の『三田文学』と戦後の『新文明』、表紙は両方とも鈴木信太郎によるもの。



  

戸板康二の劇評が初めて掲載された、『三田文学』昭和10年5月号。


裏表紙の明治製菓の広告にも「す」の字!



『新文明』昭和30年10月号、創刊五周年記念号。この号は戸板康二の名前がなくて、ちょいと残念。しかーし、古川緑波の「読書ノート」には戸板康二著『日本の俳優』評が! ロッパの劇書ノートファンにとって、こんなに嬉しいことはないのだった。



…などと、ひとりで興奮して、そうこうしているうちに、ほんの気散じにふと三宅周太郎の『続演劇巡礼』(中央公論社、昭和16年)を取り出して、つい夢中。和木清三郎編集長の『三田文学』初出の「四日間の日記」と題した文章に、

一月十九日/日曜日。午前十一時、私用のため外出しようとすると三田の学生雑誌「歌舞伎研究」の戸板康二君外一名が、わざわざ訪ねてくれた。その新年号へ原稿を書いたのでそのお礼のためだ。折角来てくれたのに、生憎時間の先約があるため、上がっても貰えず、玄関で少しばかり話をしたのみで別れる。あいそがなくてすまぬ気がしたが何とも仕方がない。併し、戸板君の話によると、歌舞伎研究会々員の学生は目下二十五名だという。文科より経済科その他の科の人がぐっと多いらしい。が、一時は数名しかなかったのに、二十五名は沢山になったものと思う。皆で会費を出し、雑誌を出したり、会をしたりしているわけで、本当の熱情がなくては全く出来ぬ仕事だと思う。序に、戸板君は、冬の休みに神戸地方の家へ帰っていたと云う。同地方は小生の郷里に近い。流石に自分も故郷へは何年帰らぬことだろうとしんみりする。やがてからっ風に吹かれつつ外へ出る。自分の郷里の地方にこんな冷たい風はない。…住み難い東京で、このからっ風以上の風に吹きまくられつつ、長年暮らしている自分の俤を考えたりする。戸板君との会話で、実に何年かぶりで「故郷」というようなことを思い出した。センチ自嘲。

というのを見つけて、「あ!」となった。いままで、うっかり見逃していた。昭和11年1月のある日曜日。次の月は二・二六だ。