尾崎翠を読んで歌舞伎座へ行き、『切られお富』を見て演劇書を繰る。

朝から雨がザアザア降っていて、しみじみ寒い。士気大いに下がる。気を紛らわせるべく、朝っぱらから台所で越路吹雪を聴きながら煮物をこしらえ、それを昼食とする。


昼下がり、傘をさして地下鉄にのって京橋図書館へ。本を何冊か返して、また何冊か借りて、タリーズでのんびり。借りたばかりの『尾崎翠全集』(創樹社、1979年)を取り出す。この本を手にするのは何年ぶりだろう! と、手にしただけで歓喜にむせぶ。このところ、すでに古本屋へ売ってしまった本ばかりを図書館で借りているような気がする。売る本と残す本の選別がうまくできていなかったような気がする。ままならぬことだなあとため息をついたあと、巻末の山田稔の文章を読んで、それから『第七官界彷徨』を読み始める。ひたすら読み続ける。いつのまにか歌舞伎座の開演時間が迫っているのだけど、歌舞伎なんてどうでもいいや、わたしはずっと『第七官界彷徨』を読んでいたい、と、遅刻して『金閣寺』から見物しようかなという考えが脳裏をかすめるも、初芝居早々、そんなことではいかんいかんと邪念を振り払って、えいっと外に出て、ふたたび傘をひろげて、いざ歌舞伎座。


遅刻しないでよかった。幕開けの『廓三番叟』を舞台をぼーっと見ながら、長唄が耳に入ってくる、その心地よい時間といったらなかった。と、さっそく、初芝居の歓びで胸がいっぱい。雀右衛門、富十郎、魁春という並びが常日頃の好みにぴったりで、理屈抜きでただ彼らが舞台にいるだけで嬉しかった。『金閣寺』ではいつもながらに丸本歌舞伎の演出(のようなもの)をクーッと満喫、『鏡獅子』でふたたび長唄に身をまかせて、勘三郎を眺める。春風駘蕩な長唄は初芝居にいかにも似つかわしい、というようなことを書いていたのは三島由紀夫だったかな、ああいい気分だなあと、なんだかもうひたすら理屈抜きで嬉しい。今月の夜の部の狂言立てがなかなかいい感じで、歌舞伎座行きがこんなにたのしみだったのはひさしぶりのような気がする(と言いつつ、来る直前はめんどくさがっていたけど…)。最後は、『切られお富』。これまで『加賀鳶』のお兼や『伊勢音頭』の万野を見た感触だとこんな感じになるのかなと事前に予想していた通りの福助のお富だった。演目そのものが初めてなので、それだけで見る価値ありという感じだったのだけども、実際に見てみると、いかにも幕末の黙阿弥の退廃具合がとても面白かった。ゆすりのところをはじめとするあちこちのセリフの応酬を耳にして、同時代文化としての落語をぼんやり思ったりして、そんなこともたのしかった。


歌舞伎座に通うようになってから(1998年8月から)、去年1年間は歌舞伎に対する熱意がずいぶん低下した一年間であった。残念なことである。あんなに歌舞伎に夢中だった甘美な時間はもう二度と戻ってこないのかなと思うとさびしいかぎりなのだった。しかし、今日の初芝居で心機一転、だいぶ気持ちが上向きになったような気がする。……と気分よく帰宅し、本棚の前に座って毛布にくるまって、手を伸ばして目についた本を次々に取り出して、本日の復習をする。戸板康二『歌舞伎ちょっといい話』(岩波現代文庫)を繰ると、『切られお富』の項に、

昭和八年四月の歌舞伎座で「源氏店」が演じられている中日ごろ、与三郎の十五代目羽左衛門が病気になり、お富の六代目梅幸が急に「切られお富」を翌日から演じた。この時、赤間屋女房のお滝が源之助、私たち学生仲間は、「せっかく源之助がいるのに」と話し合ったのを覚えている。そのお滝を岡鬼太郎が読売の劇評で、「一本ならば言い分なしだよ」のあたり、「アアお富で見たいと思うスッキリさ」とほめている。

とあるのを見て、むやみやたらに興奮。毛布のなかから手を伸ばして、岡鬼太郎の劇評集『歌舞伎と文楽』(三田文学出版部、昭和18年)を取り出し当該箇所をさがし、そんなこんなしたあと、あちらこちらを繰って、夢中になる。それにしても岡鬼太郎の劇評はいつ読んでも素敵におもしろいなとポワンとなる。


そうこうしているうちに、ちょいと気が向いて、毛布のなかから手を伸ばして、三宅周太郎『演劇評話』(新潮社、昭和3年)を取り出してみると、今度は梅幸と往年の源之助のお富とを比較して論じている「『切られお富』の記憶」と題する大正15年筆の文章があって、これまた実にすばらしい文章なのだった。戸板さんもさぞかし胸を躍らせて読んでいたに違いない、というようなことを思うと、さらに嬉しい。今日『切られお富』を見たばかりというタイミングでこの文章に出会ったことがとにかく嬉しくてたまらない。…などと、ひとり興奮。芝居帰りの夜ふけに演劇書を次々と繰るというこんな時間もずいぶんひさしぶり。本当にもう、今日の初芝居で心機一転、気持ちが上向きになったような気がする。などと浮かれている場合ではなく、この『演劇評話』(いつかの古書展で買った西村晋一宛署名本)、ずいぶん痛んでしまって表紙が今にもはずれそうなので、気をつけねばならぬのだった。