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マタイを聴きながら歩いたら鴎が飛んでいた。

観念してムクッと起きて、お弁当と朝食をこしらえて、シオシオと外出。ポケットの中の iPod を取り出して、レオンハルト盤のマタイ第2部の冒頭を再生してテクテクと歩いてゆく。三の酉のころにはじまったマタイ強化月間からいまだ抜け出せないでいるのだった。それにしてもなんと深いことだろう。と、マタイにひたって歩き続け、祝田橋の交差点を過ぎたあたりで向こうのお濠をみやると、鴎が飛んでいて、とてもきれい。大晦日に堂島沿いを歩いたときに飛んでいた鴎とおんなじように、とってもきれい。ここも海の近くなのだなあと、急に気持ちが澄みわたってくるのだった。喫茶店でのんびり本を読む、その前に、年末に届いていた古本数冊の代金支払いのため、郵便局へ行き、次々と払い込み用紙を機械に挿入。思いのほか、時間がかかってしまい、本を読む時間がなくなり、眉間にシワが寄る。鴎で澄んだ気持ちが早くも濁ってしまった。


昼、丸の内カフェで小岩井のビンの牛乳110円を飲む。隣に座っている三人娘が、お正月休みが終わってしまった、今は三連休のことで頭がいっぱいだ、しかし三連休が終わったらいったい何を希望に生きていけばいいのだろう、というようなことをしゃべっている。まったくだ、まったくだとうなづくことしきり。そんなこんなしたあと、本屋に立ち寄る。なんとはなしに岩波文庫の棚を眺め、なんとはなしに青木正児『酒の肴・抱樽酒話』を買う。


夜、近所へ焼酎を飲みにゆく。心持ちウカウカと帰宅し、入浴後、コントレックスを飲んでのんびり。そのへんにおきっぱなしだった「日本古書通信」を眺める。さきほど話題に出た、扶桑書房さんが編集協力の夏冬年2回発行の古本雑誌のことが書いてあって「おっ」となる。3月号に広告掲載予定、とある。これはたのしみだ、と生きる希望がわいてきた。今月の古通も尾崎宏次編『秋田雨雀日記』のこととか、永井龍男の戯曲のこととか、野口冨士男の「ツンドク礼讃」なる一文のことや、足助素一にからめて岩波文庫で改版になったばかりの池田健太郎訳『オネーギン』について言及があったりとか、なにかとツボであった。いろいろと心に刻む。いつかの古書展で300円で購った池田健太郎『わが読書雑記』(中央公論社、昭和55年)はすばらしい本だった。読み返すべく本棚を発掘せねばと思う。そんなことをしているうちにいつのまにか寝てしまい、おっとこんなところで寝てはいけないと、目を覚まして、寝床に入る。