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三好達治『萩原朔太郎』を買い、グリル・スイスで野上弥生子を思う。

読みさしの青柳いづみこ『青柳瑞穂の生涯』(平凡社ライブラリー、2006年)を読了すべく、今日は電車で出かけ、早々に喫茶店にゆく。『青柳瑞穂の生涯』をズンズンと読み進め、あともう少しというところで時間になる。おわりの方は今日の夜、ゆっくり読もうかと思う。


昼、本屋へゆく。『青柳瑞穂の生涯』を読んでいたら、講談社文芸文庫になったばかりの、三好達治『萩原朔太郎』が急に欲しくなった。ので、買いにゆく。無事手中に収め、残り時間、コーヒーショップでペラペラ眺める。萩原朔太郎は十代の頃もっとも夢中になった文学者で、都立図書館で勉強をさぼって筑摩の全集(黄色い本)を丹念に少しずつ繰っていたものだった。三好達治の『萩原朔太郎』は当時、筑摩叢書として新刊書店で買って、ずいぶん愛読していたものだった。なつかしいなあ。と、このところ朔太郎にはとんとごぶさただけど、さてどうだろうと、ペラペラと繰って、十何年ぶりかで「萩原さんという人」という一文に対面し、当時この文章が大好きで何度も読み返したものだった。いつまでも「萩原さんという人」は美しい文章だ。…などと、ひとり懐旧の念で胸がいっぱいになる。この文章を読んで軽い気持ちで当時、バスター・キートンの無声映画を見てみたら、しばし夢中になったのもなつかしい。


萩原朔太郎 (講談社文芸文庫)


この「萩原さんという人」と「仮幻」について、杉本秀太郎が解説で、《三好達治の散文は、この二篇で最上の透度を見せている。散文は透明であるほどよろしく、詩は濁らぬ厚みをそなえてるほどいい。》と書いていて、またまた胸がいっぱいになる。残りは、今日の夜、ゆっくり読もうと思う。


夕刻、イソイソと外に出る。メゾン・エルメスで《木村伊兵衛のパリ》展を見物したあと、あちらこちら、買い物へ。最後に教文館で「図書」をもらったところで、さて、今日のご飯はどうしよう、もうちょっと外にいたい気がする、そうだ、と思いつき、早足でグリル・スイスへ。南陀楼綾繁『路上派遊書日記』(右文書院、2006年)を読んで行きたくなった数多い場所のうちのひとつがグリル・スイスだった。念願かなって、やれ嬉しやと、扉を押して店内へ。「図書」をペラペラと繰り、岩橋邦枝の「彌生子と百合子」という一文を読み、静かに感激。《〈大切なのは、美しいのは、貴重なのは知性のみである〉と、彌生子は六十代の日記にしるしている。その知性第一主義は、彼女の性格もあるが、彼女が生きて書いた明治からの時代を抜きにしては考えられない。》という最後の一節にしみじみ感じ入っているうちに、注文のオムライスが到着。


思い出したことがあったので、最後は、閉店間際の八重洲ブックセンターへゆく。エレベーターで最上階へ行き、朝日新聞社刊の『木村伊兵衛のパリ』が欲しい! ともだえたあと、下の階へくだり、世界文化社の「日本の古典に親しむ」なるシリーズの新刊、戸板康二が現代語訳している『仮名手本忠臣蔵』が一冊だけひっそりと売っていたので、購入。戸板康二の名前がクレジットされているので買わざるを得ないのであった。


仮名手本忠臣蔵―江戸を熱狂させた仇討ちと悲恋 (ビジュアル版 日本の古典に親しむ11)


と、「ちっとも嬉しくない」「余計なことをしてくれた」という点で、近年では、隅田川文庫『歌舞伎十八番』、学陽書房人物文庫『ぜいたく列伝』に続く三冊目の復刊であった。ちょっとこれはあまりにも……。


帰宅後の夜ふけ、青柳いづみこ『青柳瑞穂の生涯』読了。杉本秀太郎の文章を読み返すべく「CABIN」を発掘していたら、積んであった本が崩れた。