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マタイ受難曲・青柳いづみこ・鈴木信太郎・警視庁物語

朝起きてみると雨が降っていないのでよろこぶ。バタバタと大急ぎで支度を済ませ、今日は歩いて外出。iPod でバッハのマタイ受難曲の1枚目(レオンハルト盤)を聴きながら、ズンズンと歩を進める。iPod を聴きながらズンズンと歩いてゆく、というのが長年のわが宿願(おおげさだが)だった。この瞬間を待ち望んでいた。やれ嬉しやと、はしゃぎながら、ズンズンと歩いてゆく。歩いてゆくうちに、マタイの第一部が進行してゆくうちに、曇天だった空から徐々に太陽が見えはじめ、三宅坂にさしかかったころはすっかり晴天。ああ、なんてよい気分なのでしょう! と、顔面に降り注ぐ直射日光もなんのその、ますます上機嫌。オーボエの旋律がすばらしくうつくしい、第20曲のテノールのアリアの途中、という、えらく中途半端なところで目的地に到着。まだちょいと時間があったので、コーヒーを飲んで、ひとやすみ。読みさしの、青柳いづみこ『青柳瑞穂の生涯』(平凡社ライブラリー、2006年)を読み進める。日中の外出の折の車中でもスイスイと読み進める。青柳いづみこの文章が凛々しくて、ちょっと惚れてしまった。


帰宅後、マタイを聴きなおすたびに熱心に参照しているすばらしき名著、礒山雅『マタイ受難曲』(東京書籍、1994年)を本棚から取り出す。マタイに取り組むべくこの本を買ったのは1995年のことだった。あのときじっくりと聴きこんで、ふたたびマタイに取りかかったのがバッハ歿後250年の2000年。月日が流れ、2006年もあとわずか、iPod 購入を機に、人生三度目のマタイ強化月間としたい。と、『マタイ受難曲』を手に目には炎がメラメラ。無事に発掘できて、よかった。


本棚探索のついでに、鈴木信太郎『阿蘭陀まんざい』(東峰書房、1954年)を取り出して、しばし読み返す。この本の荻窪文士に関するエッセイが大好きだ。



この挿絵を初めて見たときは胸が躍ったものだった。思わずこけし屋(http://www.kokeshiya.com/index.htm)のクッキーを買ってしまったものだった。と、それはさておき、鈴木信太郎展に行き損ねないように気をつけようと『阿蘭陀まんざい』を手に、目には炎がメラメラ、八王子市夢美術館(http://www.yumebi.com/index.html)というところで22日から2月4日まで、とメモ。八王子といえば、10月にちくま文庫になった川本三郎の『東京の空の下、今日も町歩き』に、八王子駅は鉄道ファンにとってはみどころが多い、というようなことが書いてあったのが記憶に新しい。いったいどんな感じなのだろう。たのしみ、の、ような気がする。


あとはもう寝るだけというひととき、まだ時間があったので、東映のシリーズ映画「警視庁物語」の3本目、今日は小沢茂弘『警視庁物語 魔の最終列車』(昭和31年)というのを見ることにする。クレジットに配役が映し出されるとすぐに、あ、今回の犯人は山形勲だな、とわかる。いつものように、冒頭でズドンとピストル強盗発生、容赦なく人が殺されて、犯人を追う警視庁の面々、といったストーリーなのだけれども、今回は冒頭の殺人の舞台が郵便列車だったかな、電車のなかの郵便局というのが目に新しく、昔の電車のサマが面白い。というように、「警視庁物語」はいつも昭和の風物いろいろが目にたのしいのだった。シリーズも3回目ともなると、警視庁の面々に、あ、またこの人が出てると、ちょいと親しみが湧いて、おなじみの顔ぶれがたのしいのだけれども、同時に、初期の感激がだいぶうすらいで、いつものパターンに早くも飽きてきてもいて、わが内なる「親近感と飽きの混在」が味わい深くもある。…とかなんとか、半分寝ながら見ていると、再生時間は50分を経過、そろそろいつものこの展開と、犯人が追い詰められゆく。55分くらいになってくると、逃げる山形勲、追いかける警視庁の人たち、と、追跡シーンが無駄に長いのがお決まりなのだった。今回は神宮外苑を往生際悪く逃げようとする山形勲とその情婦(「レコ」)、これでもかと往生際の悪い山形勲、その往生際の悪さが尋常ではない。うーむ、よいものを見た。余は満足じゃと、吸い込まれるように寝床に入り、就寝。