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徳川夢声の「うすけぼう譚」を読み、源之助をおもう。

朝の喫茶店でカプチーノを飲む。アーヴィング/齊藤昇訳『ウォルター・スコット邸訪問記』の続きを読む。あともう少しで読了というところで時間になる。


昼、お弁当もそこそこに、コーヒーショップへゆく。『ウォルター・スコット邸訪問記』読了。以前に渡辺保が毎日新聞で書評を書いていた岩波新書のスコットランド文献のことが急に気になり、いてもたってもいられなくなる。スクッと立ち上がり本屋へ突進するも、あいにく見当たらず。がっくりと肩をおとす。


気を取り直して日没後、京橋図書館に向かって、マロニエ通りをゆく。目当ての高橋哲雄『スコットランド 歴史を歩く』(岩波新書、2004年)を無事に借り出してほっとひと安心。毎日新聞書評欄の堀江敏幸と「芸術新潮」の鶴ヶ谷真一による長谷川郁夫『美酒と革嚢 第一書房・長谷川巳之吉』評をそれぞれコピーして、外に出る。


夕食後、『美酒と革嚢』を本棚から取り出して、書評のコピーを挟み込む。スコットランドで急に思い出して、《マッキントッシュとグラスゴースタイル》展の図録を急に見返したくなり、いてもたってもいられなくなったものの、古本屋に売ってしまったようであいにく本棚のどこにも見当たらず。がっくりと肩を落とす。


気を取り直して、古本屋から最近届いていた、寿屋商報「発展」第四巻第三号(昭和17年1月発行)附録、徳川夢声『うすけぼう譚』を眺めてみると、まあ! と急に気分が盛り上がる。清水崑の挿絵がキュートな、夢声によるウィスキー談話。





夢声が初めてウィスキーなるものを飲んだのは《大正二年の晩秋の頃か、大正三年の早春の頃か、どうもあやふやであるが、酷く寒い季節ではなかつたように憶ふ。私は、活動弁士の師匠清水霊山先生に連れられて、宮戸座の芝居を見に行つた。宮戸座そのものも私には初めてだつた。》





《……「またかのお関」といふ毒婦劇で、これも初めて見る澤村源之助丈の「お関」の濃艶さに二十歳の私は身震ひした。房々とした切下げ髪で、紫の被布で、天眼鏡をもつて、ニヤケた若旦那の手相を見る――その手と手がふれる時、私はゾクゾクとなつた事である。また彼女が、尾上菊四郎の扮する悪党に、毒を呑まして、彼が悶死するところを、柱にもたれて冷然と、快げに見下ろして、ヌケヌケと引導を渡す台詞を云ふところなど、刷りたての浮世絵よりも悩ましく、私の脳裏に焼きつけられてゐる。今から考へると、この時の興奮は、たしかにウヰスキーの酔ひも手伝つていたやうだ。》


《身体中が温かくなり、胸のあたりが異様に春めいて、源之助のお関が、この上もなく艶かしく見えて来たのである。今から、ざつと三十年前の事だが、お関の悩ましき美しさは宮戸座の薄暗くじめじめした客席や舞台の間に、これだけはスポットをあてたやうに、くつきりと今日でも、憶ひ出されるのである。殊に、あの匂ふような、白い頬と、白い手が、歌麿描く浮世絵のやうであつた。》


初めて宮戸座に行き、初めて源之助を見た日に、初めてウィスキーを飲んだという夢声。なんと見事なことだろうと思う。久保田万太郎をはじめとする、戸板康二のお父さん世代の人々が記す源之助体験はいつだって甘美で魅惑的。前々から蒐集したいものだと思っていたのを急に思い出した。夢声がこんなに素敵な源之助体験を記していたことを知ってうれしかった。ますますウィスキー気分が盛り上がる。