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『ある人生の門出』を読みバルザックを思い、福原麟太郎を読む。

朝から力が出ないので、早々に外出。喫茶店でコーヒーを飲む。読みさしの、アニータ・ブルックナー/小野寺健訳『ある人生の門出』(晶文社、2004年)を読み続ける。テンションの低いなか、ぼんやりと読むのも悪くないなアと、テンション低くしかし機嫌よく、読み進める。ヒロインがバルザック研究家のこの小説、ウジェニー・グランデの名前が登場して、『谷間の百合』『従兄ポンス』『幻滅』といったタイトルが登場するところでムズムズと、猛烈にバルザックが読みたくなる。最近ごぶさたしているけど、一年に一作ずつ未読のバルザックを読んでゆく、というのはどうだろうと、本読みのたのしみでますます機嫌がよくなる。それにしてもブルックナーはいいなアと、ブルックナーの未読のものも少しずつ読んでゆきたい。

すっかり日が短くなったなアと日没後、マロニエ通りを歩いて、京橋図書館へゆく。本を返してまた借りて、しみじみくたびれてしまって力が出ないので、タリーズでコーヒーを飲んでいくことにする。借りたばかりの絲山秋子『絲的メイソウ』(講談社、2006年)をヒクヒクと卒読。禿頭礼讃、お祭苦手、納豆苦手、というところにたいへん共感を抱いて、よろこぶ。そんなこんなしたあと、残りわずかの『ある人生の門出』を読了。

帰宅後、藤原書店の『バルザック「人間喜劇」ハンドブック』を眺めながら、今日もバッハの《音楽のささげもの》を聴く。

音楽を消して、ふと思い立って、福原麟太郎の『この道を行く』(大和書房、1971年)を気まぐれにペラペラと繰っているうちに、つい夢中になる。福原麟太郎の随筆集は古書展ではせいぜい数百円だけど、どの本を読んでも、しみじみおもしろい、いつ読んでも何度読んでも、好い気分なのだった。と、つい宵っ張り。福原麟太郎を読んでいるうちに急に、福原麟太郎が編んだ、岡倉由三郎のチャールズ・ラム翻訳を収録の『岡倉本・イーリア随筆』(帖面舎、昭和40年)が欲しくてたまらなくなり、スクッと立ち上がり、パソコンのスイッチを入れて、購入手続を済ませる。衝動買い、おそるべし、であった。