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車谷弘の『わが俳句交遊記』を取り出して、「雑談」を思う。

台風接近で朝から雨降り。イソイソと外出して、喫茶店で『ジェイン・エア』の続きを読む。


夕食のあと、車谷弘の文章がいかにすばらしいかということをひさしぶりに思い、何年かぶりに『銀座の柳』(文藝春秋、昭和55年)を取り出てみると、中にコピーが挟んであった。高橋輝次による「古きよき時代の編集者と文士たち――車谷弘の二冊の随筆集から」という文章で(『古本が古本を呼ぶ』所収)、図書館で見つけて、とりあえずコピーしておいたものであった。車谷弘は大の名著の二冊の随筆集(『わが俳句交遊記』『銀座の柳』)と句集のほかに、『算盤の歌』(明石書房、昭和17年)と『草の葉日記』(京屋出版社、昭和21年)という小説集を二冊出している。それぞれの版元がそれぞれに非常に興味深い。『草の葉日記』は古書展で一度見たことがあった。今度見たら買おうと思う。…というようなことを思いつつ、コピーの高橋輝次を読み続けていると、『わが俳句交遊記』に中戸川吉二夫人の中戸川富枝の遺稿句集『春日』(砂子屋書房、昭和14年)のことがかなり詳しく書いてあると知り、「えー!」と大興奮。さっそく、『わが俳句交遊記』を取り出して、くだんのくだりを読んでみると、中戸川富枝の俳句を大絶賛した坂口安吾の文章の初出誌が、いとう句会による雑誌「雑談」だというので(昭和21年9・10月合併号)、いつまでも興奮。

「雑談」の総目次(昭和21年5月創刊。その年の12月号、全7冊で終刊)が載っている「彷書月刊」創刊号(1985年10月)を以前とある古本屋さんからちょうだいしたことがあって、そのとき、目次に中戸川富枝による「ひとりごと」というのがあるのを見つけて、ハテなんだろうと思いつつも深く追求することなく今日まできていた。『わが俳句交遊記』によると、それは、中戸川吉二と親しかった佐々木茂索が中戸川富枝の遺稿集(一人息子の中戸川宗一が整理して「ひとりごと」と題して100部プリント)を車谷弘に見せた際に、感心した車谷が「雑談」に載せたものであった(安吾の文章はその「ひとりごと」を受けての文章とのこと)。そもそも「雑談」の版元の白鴎社は車谷弘の友人で彼が紹介したという。あんまり素敵なので「雑談」の書影は過去の日用帳に載せたことがあったのだけれども(id:foujita:20050822)、初期の「銀座百点」とおんなじように、「雑談」は車谷弘が暗躍していた雑誌なのだった。

と、一通り興奮したあと、それにしても車谷弘の文章はなんとすばらしいことだろうと、静かに思うのだった。今度、神奈川近代文学館へ出かけるとき、また中戸川富枝の句集を見てみようと思う。

この句をよんで、これが果して坂口安吾のいう「これは俳句などというケチなものではなく、文学であり、人間の魂の声である」かどうかは議論のあるところだが、はじめて「春日」をよんだときの、『春日』をよんだときの、『春日』論をかいたときの、坂口さんの境涯の背景がわかったら、もっと興味がわくかもしれない。これは坂口さんが、「堕落論」をかく少しばかり前のことである。瀧井さんは、富枝さんの禀賦にふれ、この一巻を残したことで富枝さんがいまなおかたわらにみえるような気がするといい、「人の天分の才能というものは、何かの形で生涯のうちには必らず表現されるものだということも考えられた」といっているが、句の巧拙を超越して、坂口さんの意識と富枝さんの禀賦に、何かひびきあるものがあったのは確かだろう。

【車谷弘「月あかり」-『わが俳句交遊記』(角川書店、昭和51年)より】