福原麟太郎を読み、丸善に寄り道し、『ジェイン・エア』を読む。

朝の喫茶店で、読みさしの福原麟太郎『イギリス文学の輪郭』(研究社出版、昭和29年)を取り出し、「明治の日本」と題された最後の章を読む。タイトルを見ただけでムズムズしつつも、じっくりと読むべくわざわざここだけ最後にとっておいたのだった。いわゆる文明開化期、明治十年代にシェイクスピアが初めて紹介されたときに『ヴェニスの商人』と『ジュリアス・シーザー』がまっさきにもてはやされたのは法廷場面と演説場面が当時の日本人に非常な興味を与えたから、というところになるほどと思う。岩波の新大系明治編の『黙阿弥集』における『人間万事金世中』の注釈を読み返したくなった。


この時間だけをたのしみに今日という日を過ごしてきたのだと、日没後、丸善へゆく。洋書売場をあれこれ偵察、英文学研究書をあれこれ覗き見る。さんざん迷ったあげく、何も買わずに下の階へ。たのしみにしていた、山村修『花のほかには松ばかり 謡曲を読む愉しみ』(檜書店)が積んであったので、ワオ! と手に取る。ちょっと立ち読みしただけで急に背筋が伸びて、気分が清々となる。さらにいい気分で店内をめぐる。


帰宅後、あとはもう寝るだけというひととき、『ブロンテ全集』第2巻を繰る。シャーロット・ブロンテ/小池滋訳『ジェイン・エア』をズンズンと読み進める。みすず書房の『ブロンテ全集』は手に取っただけでそのたたずまいに気持ちが清々となり、本読みの気分がさらに高まるのであった。


『ジェイン・エア』をキリのよいところまで読んで、本棚からあれこれ本を取り出して、いろいろ眺める。野上弥生子が「はじめてオースティンを読んだ話」という文章で(『一隅の記』所収)、漱石に自分の書いたものを見てもらうようになった頃、外国の女性作家がどんなものを書いているか勉強したくなった、その際に漱石がまず貸してくれたのが『ジェイン・エア』と『自負と偏見』とジョージ・エリオット一冊であった、と書いているのを見て、前々から気になりつつも未読のジョージ・エリオットを読むのが急にたのしみになる。