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平井呈一訳のサッカレーを読み、青山光二『食べない人』を買う。

朝の喫茶店で、サッカレー、ではなく、サッカレ/平井呈一訳『床屋コックスの日記 馬丁粋語録』(岩波文庫)を読み始める。『虚栄の市』の中島賢二みたいに気鋭の新訳を次々と刊行している一方で、今回の平井呈一を典型とするような、往年の文人気質の高雅な名翻訳者の伝統といったようなものが、岩波文庫にはある。べらんめえ調の平井呈一翻訳が見事、見事。ブリリアントな中島賢二と古き佳き平井呈一、両極的にすばらしいのだった。

『床屋コックスの日記』を読み終えたところで、訳者解説を見てみると、『床屋コックスの日記』は1840年「コミック・アルマナック」誌上に発表されたとのことで、同誌を主宰していたのは当時諷刺画家として名をとどろかせていたジョージ・クルックシャンクなのだという。ワオ! クルックシャンクといえばディケンズの『ボズのスケッチ』の挿絵画家としておなじみで、よくよく見てみると、『床屋コックスの日記』の挿絵ももちろん当のクルックシャンクだ。とかなんとかはしゃいでいるうちに、同時代のイギリス出版界の諸相のようなものにワクワクしてしまって、ずいぶん愉しい。『虚栄の市』の次は『戦争と平和』を読もうと思っていたけれど、この時代(ヴィクトリア朝)の英文学にもうちょっとひたっていたい気もする。どうしたものだろうと思う。


今日はちょいと出るのが遅くなってしまった。マロニエ通りを歩いて、京橋図書館へゆく。本を返して、また借りたあと、銀座方面へ戻り、教文館で本を見る。発売まなしの頃からたいそう胸躍らせていた、青山光二『食べない人』(筑摩書房、2006年)が欲しいッの一念で店内に足を踏み入れ、無事購入。

ヘトヘトと帰宅すると、扶桑書房の目録が届いていて、疲れが吹っ飛ぶ。今、わたしは扶桑書房の目録だけをたのしみに生きているといっても過言ではない(過言だけど)、というような心境になり、乾いた喉が潤おう心地す。二、三度眺めて、今回は2冊注文することに決め、さっそくファックスを送信する。前回かなりの散財をしたので、金銭感覚がすっかり麻痺していて、今回はずいぶん安価で助かった、とさえ思うのだった。


寝床で、買ったばかりの青山光二『食べない人』を繰る。最初の章の文士回想録の文章を数篇、なめるように読んで、さっそくメロメロになる。なんてすばらしいのだろう。そして、昭和16年発行の『青年芸術派・新作短篇集1』を読んだ直後にこの本を新刊として繰ることになったのはなんて幸福なことだろう。『食べない人』は雑誌「四季の味」が初出の文章を収録している。「四季の味」は去年発行の号が2冊書棚にあるので、いてもたってもいられず確認してみると、さきほど読んだばかりの文章を今度は三井永一の挿絵つきで見ることができるのだった。なんてすばらしいのだろう。