濱田研吾『三國一朗の放送室』を読了し、『同級生交歓』を買う。

今日も雨が降っていて涼しい。早々に外出して喫茶店でコーヒーを飲む。読みさしだった濱田研吾『三國一朗の放送室』(私家版、平成18年7月30日発行)を読み終える。



濱田研吾さんのミニコミは、夢声三十三回忌の2003年春に彗星のごとく登場した『職業“雑”の男・徳川夢声百話』以来、毎年1年に1冊のペースで刊行されていて、毎年たのしみに愛読している。今回の『三國一朗の放送室』も大変な力作なのは言うまでもないのだけれども、2003年の『夢声百話』から3年の歳月が経過して、著者なりの成熟が本全体に通底しているのが、同世代の本読み人間の身としてはまばゆいばかりなのだった。『三國一朗の放送室』もいつもながら付け入るスキがないくらいに用意周到な仕事ぶりで、たくさんの資料をうまくさばいてそれを随所に織り込んで三國一朗の詳細な一評伝を書き上げていながらも、キツキツにならずに文章はあくまで簡潔で読みやすく余裕すら感じさせるほど。なので、濱田さんのミニコミは単に読み物としてもいつもとてもおもしろいのだけれども、そういった文筆家としての冴えと合わせて、濱田さんは「一冊の本」を制作する編集者としても秀逸な仕事ぶりを発揮しており、自ら文章を綴ると同時に(それだけでもすごいのに!)、制作者としてつねに客観的に「一冊の本」を編集している。なので、濱田さんのミニコミを手にとるといつも、本全体のつくりがすばらしいなアと惚れ惚れすることとなる。早くも次回作が待ち遠しい!

とかなんとか、『三國一朗の放送室』に見とれているうちに、時間になる。こんな本を作ってしまう濱田さんがとってもうらやましいので、あった。


昼、傘をさして、本屋へ出かける。文春新書の新刊がこれほどまでに気になったことはかつてない。新書コーナーに突進してみると、文春新書の今月の新刊、『同級生交歓』が積んであるので、ガバッと手にとる。坪内祐三のまえがきはとばして、戸板康二は載っているかをまっさきにチェック。すると! 暁星小学校三人衆(戸板康二・串田孫一・七代目梅幸)がきちんと載っているので、狂喜乱舞。これでもう迷うことはなくお会計、こうしてはいられないとコーヒーショップへゆき、時間いっぱいまで『同級生交歓』をランランと眺める。

『同級生交歓』のアンソロジーは3年近く前にあすなろ社版3冊セットを買っていて(当時の記録:id:foujita:20031012#p1)、以来古本屋に売ることなく大切に架蔵している。今回の文春新書版はあすなろ社と比べると格段に写真がきれいで、見開き1ページというつくりも目にたのしい。あすなろ社版は「文藝春秋」初出のままではなく単行本化にあたって文章をあらたに依頼しているので、掲載の文章はすべて書き下ろしという豪華なつくりで文章がメイン。なので、初出誌の雰囲気を味わえる文春新書版と相互に補完、となって、めでたしめでたし。坪内祐三が前書きで暁星小学校三人衆のことを《この三人の写真を眺めているだけで、説明がなくても、暁星学園という学校の校風がありありと伝わってくる。》と書いていて、うんうんとにっこり。

とかなんとか、写真を眺めているだけで実にたのしい文春新書の『同級生交歓』なのだった。自分内三大男前を挙げろと言われると、今まっさきに思いつくのは神吉拓郎と内藤法美なのだけど、そのふたりの写真を続けて見ることができて、極私的にフツフツとうれしい。奇しくもふたりとも麻布なので、自分内三大男前の探索中の残り一人も麻布出身者にした方がまとまりがいいかなと、どうでもいいことを思ったりしながら、『同級生交歓』を眺める。