『青年芸術派・新作短篇集1』の野口冨士男と井上立士を読む。

朝の喫茶店でサッカリー/中島賢二訳『虚栄の市』第1巻(岩波文庫)を読了。まだ時間があったので、本全体にふんだんに掲載されていて目にたのしいサッカリー自身の挿絵を眺めながら、あちらこちらを読み返す。

昼、本屋へ出かける。立ち読みにいそしんで時間になったところで、『虚栄の市』第2巻を手にとってお会計。このお店では『虚栄の市』は依然、第1巻が売り切れたままになっている。これで第2巻も売り切れとなってしまった。続きの巻もこのお店で買おうと思う。


今日もずいぶん蒸していることだと、日没後、力なく銀座の人込みを通り抜けて、京橋図書館へゆく。借りたものを返し、また新たにたくさん借りる。家に帰る力が出ないので、ちょいとタリーズで休憩。いつものことではあるけれども、こんな本まで所蔵していてしかも気前よく貸してくださるとはなんとありがたいことだろう! と、借りたばかりの『青年芸術派・新作短篇集1』(明石書房、昭和16年4月5日発行)を取り出し、まずは野口冨士男の「桃の花の記憶」をシズシズと読む。この人はまぎれもなく徳田秋声を師としていることが身をもって実感できるような佳品で、ジーンと余韻にひたる。『風の系譜』を読むのがたのしみ。

興にのって、次は井上立士の「男女」を読む。野口冨士男の文章で何度か目にするたびに一度読んでみたいものだとかねがね思っていた井上立士(いのうえ・たつお)! と歓喜にむせぶ。いざ読んでみると、京橋図書館と今いるタリーズの築地界隈と銀座を舞台にした男女3人の関係を描いた小説で、臨場感もたっぷり。繊細な心理の描写とその舞台装置との調和がすばらしい。「都会的」とはまさにこのことだなあというような洒落た雰囲気に共鳴して、甘美な読み心地にうっとり。野口冨士男が『しあわせ』(講談社、1990年)のあとがきで「風俗小説」のことを《具体的には娼婦、ホステス、OLなどと男性――あるいはその逆の組み合わせが、主として都会を背景に結ばれたりほぐれたりする模様をえがくもの》というふうに定義づけていたけれども、井上立士の「男女」はまさしく「風俗小説」の逸品であった。

野口冨士男読みのサイドブックとして『青年芸術派・新作短篇集1』は大切に読み進めていきたいものだと、今日は2篇だけにしておく。京橋図書館で借りたこの本には「明石書房寄贈」と書かれてあって、昭和16年のスタンプが押してある。戦災にも合わずによくぞ無事にと思う。明石書房の住所は京橋区小田原町なのだなあと奥付を眺めると、隣のページに青年芸術派同人8人の住所が載っていて、当時明石書房に勤めていた牧屋善三の住所は京橋区西八丁堀。築地界隈のコーヒーショップで初めて読むことになっためぐりあわせが嬉しい。


帰宅後、ちょいと思い出して、高橋輝次『関西古本探検』(右文書院、2006年)を開く。「恋愛か友情か?――井上立士と和田芳恵――」と題された一文を読み返してみると、先ほど読んだばかりの井上立士の「男女」で描かれた三角関係のことが和田芳恵の『ひとすじの心』(毎日新聞社、1979年)で語られている、とあって、うーむと思う。そんなことは抜きにしても、井上立士の「男女」はうつくしいのだけれども。(ちなみに、和田芳恵の遺稿集『ひとすじの心』は帯に「生きざま」の一文字があるというだけで引いてしまって、まだ買っていないのだけど、いずれ読むと思う。それにしても「生きざま」は厭な言葉だ。)

寝床で、野口冨士男の『作家の椅子』(作品社、1981年)を読み返して、とまらなくなりそうになる。続きは明日にして、今夜は早々に寝ることにする。