鈴木地蔵を読み返し、川崎長太郎を買い、山村修を読む。

朝の喫茶店で、鈴木地蔵著『市井作家列伝』(右文書院、2005年)を繰る。徳田秋声の項を読み返すべく持参していたのだったけど、目当てのところを読み返したあとも、ついあちらこちら読み返して、しみじみいい文章だなあとあらためてじんわりと感激する。これらの文章よりあとに書かれた里見とん論と勝本清一郎論を収録した本が編まれるのが待ち遠しい。そろそろ時間になるところで、最後は「野口冨士男の志操」を読む。あるパーティーで野口冨士男を見かけたときの描写として、《博打うちのような精悍な顔には、妙な色気すら感じられ、小柄な身体を包むネクタイをつけぬ背広姿には凄みがただよっていた。》とある。野口冨士男とすれ違ったことを記した文章として思い出すのは、早稲田通りですれ違ったことを書いた坪内祐三による回想なのだけど、なんて書いてあったかな、家に帰ってもう一度確認してみようと思ったところで時間になる。ほかにも「野口冨士男と偶然すれ違ったことを回想した文章」コレクションをしてみたい。

日中の外出の折に、川崎長太郎『もぐら随筆』(講談社文芸文庫)を買い、細切れの時間に宇野浩二と広津和郎と牧野信一に関するところを読む。

力が出ないまま一日が終わる。早々に外に出る。返さねばならぬ本があったので京橋図書館まで歩く。家に帰る力が出ないのでタリーズでコーヒーを飲んでいくことにする。借りたばかりの山村修『遅読のすすめ』(新潮社、2002年)を読む。一気に読んでしまったけど、なにやら妙に感動して敬虔な気持ちにすらなる。閉館している図書館のポストにコトンと読んだばかりの本を返して、ふたたび銀座方面へ。教文館で山村修の文庫本2冊を探すもあいにく2冊とも在庫がなかった。

寝床で、坪内祐三『ストリートワイズ』(晶文社、1997年)所収の「街を歩く一人」を読む。明治通りを横切り古本屋街が始まるあたりの早稲田通りですれ違った野口冨士男は「厳しい顔つき」の「文学者の表情」だったという。