神西清『水を聴きつつ』が届き、『縮図』の内田巌の挿絵を眺める。

今日もずいぶん早くに外出。喫茶店でじっくりと腰をすえて秋声『縮図』を読み終える予定でいたのだけれど、うっかり持ってくるのを忘れていた。なんということだろう。しょうがないので、『デイヴィッド・コパフィールド』最終巻を読むことにする。が、ひとたび読みはじめると、とたんに夢中。一気にズンズンと読んで、あっという間に時間になる。ちょうど今月いっぱいで読み終わるようにうまく配分できてよかった。

部屋に忘れたと思っていた岩波文庫の秋声『縮図』は、昨日うっかり持ち帰るのを忘れていたのであった。これ幸いと、いてもたってもいられず、昼休み、コーヒーショップに駆け込み、ズンズンと『縮図』のページを繰る。あともう数頁というところで時間になる。残りのもう数頁と巻末の解説は明日の朝にとっておこうとスクッと立ち上がる。


帰宅すると、石神井書林から神西清『水を聴きつつ』(風信社、1978年)が届いていた。またもや買うほどでもない本を買ってしまったのかもとうなだれつつ、払込み用紙に住所氏名を記入したあと、気を取り直して書棚から徳田秋声『縮図』(小山書店、昭和21年11月第2刷)を取り出し、夕食までの時間、昨日と今日で読んだところをピンポイント式に読み返す、というよりも、ところどころに挿入されている内田巌の挿絵をじっと眺める。秋声の文章ともども胸がいっぱいになる。


岩波文庫の表紙で小さくだけど見ることができる都新聞連載第2回の切り抜き、人力車3台を描いた絵(均平と銀子のいる資生堂パーラーの二階の窓からの眺め)がとても好きだ。同じく岩波文庫の、荷風『墨東綺譚』の木村荘八や谷崎『蓼喰ふ虫』の小出楢重のように、秋声『縮図』の内田巌も、挿絵が全部掲載されていたらどんなに素晴らしかったことだろうと思う。



画像は、いつかの古書展で472円で買った、徳田秋声『縮図』(小山書店、昭和21年11月第2刷)の裸本。樽見博『内田巌−「岩が歌ふ」』(「BOOKISH」第8号《画家のポルトレ》所収)によると、昭和21年7月の初版に9点挿入された挿絵は、11月の再版ではすべて差し換えられているという。となると、初版も欲しいのであった。『現代日本文学館8 徳田秋声集』(文藝春秋、1969年)には20点収録されているとのこと。…などなど、またもや本を欲しがっているのであった。