大岡龍男『不孝者』が届き、徳永康元を読み返す。

朝起きると、もわっといかにも湿度が高い。朝から意気あがらず、いつもより動きが鈍く、外出が遅くなるものの、まだ少し時間があるので、コーヒーを飲んでひと休みする。中戸川吉二『北村十吉』読みがちょっとだけダレてきたので気分転換をすべく、いつも持ち歩いてはいた『デイヴィッド・コパフィールド』最終巻の再読に着手。と、持ち歩いて3日目にようやく繰ることになったディケンズ、いつもと同じく、ひとたび繰ると、とたんにウキウキ。いつもと同じく、胸のうちにはフツフツと「ディケンズ讃!」なのだった。


今日はずいぶんくたびれた。丸の内カフェに立ち寄り、小岩井のビンの牛乳110円を飲み干し、中戸川吉二『北村十吉』の続きを読む。ダレきてきたとは思っていてもひとたび読みはじめると、ついズンズンとページを繰ってしまう。ちょうど明日の朝に読み終わりそうなところでうまく配分をして、ちょうどよいところで切り上げ、家に帰ることにする。


帰宅したとたんに、ピンポーンと古本屋から荷物が届く。「ああ、やはり届いてしまったか……」と力なく梱包を引き裂いて出て来たのは、大岡龍男『不孝者』(天青堂、昭和2年)。また高い本を買ってしまった……。「日本古書通信」の目録で見つけてすぐさま注文していたのを、扶桑書房の狂騒で忘れかけていた。おそろしいことである。

1年ほど前に急に大岡龍男に燃えてしまい、全著書(計4冊)を揃えたいものだとメラメラと思い、以来、最初の著書『不孝者』はひときわ念願の一冊だった。大岡龍男が気になったのは徳永康元の文章(こつう豆本『黒い風呂敷』所収)がきっかけで、戸板康二の文章で目にしたこともあった名前だったこともあり、徳永康元が讃えるがままに、徳永康元が「忘れがたい感銘を受けた」と紹介していた『妻を描く』(春陽堂、昭和14年)をネットで見つけてすぐさま購入したのがはじまりだった。

以来、ごにゃごにゃといろいろあって、大岡龍男についてはとても一言では語り尽くせない。ひとまず、これもなにかの縁ということにしておこう。『不孝者』は今まで買った古本で一冊の単価ではおそらく最高値の買い物だと思う。しかし、「日本の古本屋」で検索できる「あきつ書店」の価格(函なし、函あり両方あり)よりは格段に(…でもないけど)安価なのだ。などと、あきつ書店のおかげですっかり金銭感覚が狂っている。おそろしいことである。

思えば、中戸川吉二が気になったのも、徳永康元が愛読書として挙げていたのがきっかけだった。胸のうちにはフツフツと徳永康元、というわけで、寝床で『黒い風呂敷』を繰って、今日のところは早々に寝る。