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庄野潤三の『自分の羽根』の講談社文芸文庫が嬉しい。

週明け早々早起きするも、週明け早々意気があがらない。時間だけはたっぷりあるので、ひとまず喫茶店でコーヒーを飲むことにする。週末に買ったばかりの、庄野潤三『自分の羽根』(講談社文芸文庫)を取り出す。

自分の羽根 庄野潤三随筆集 (講談社文芸文庫)

去年の秋くらいから庄野潤三の随筆集をちょくちょく買うようになった。ある日のマロニエ通りでなんとはなしに買った『クロッカスの花』(冬樹社、1970年)がきっかけだった。さっそく繰ってさっそくホクホクとなっていたら、ほどなくして、同じく冬樹社刊の庄野潤三の随筆集『庭の山の木』(1973年)を見かけて、まあ! と、リズムにのるようにして、買った。この2冊を読んでしみじみ幸せな気持ちになった。こんなひとときをたびたび持てるとしたら嬉しいことだ。講談社文芸文庫の巻末の年譜からひろって、庄野潤三の随筆集のおおまかなリストをこしらえて、手帳にメモして、以来、庄野潤三の随筆集、というか庄野潤三がいろいろな媒体に書いた短文を収録した切り抜き帳のような本というのを意識的に買うのが古本のたのしみのひとつになった。きっかけとなった冬樹社のエッセイ集は全部で3冊あって、最後の『イソップとひよどり』(1976年)もほどなくして見つけた。

去年の秋くらいからちょくちょく庄野潤三のエッセイ集を買っていたけど(たいてい1000円以下)、庄野潤三の執筆時期としては今のところ一番愛着のある時期に書かれた短文を収録している『自分の羽根』が気になりつつも今まで未入手だった。小説以外の庄野潤三の著書は『ガンビア滞在記』(1959年)が最初になるのかな。『ガンビア滞在記』は中公文庫で既読だった。いろいろな媒体に発表した短文を収録した切り抜き帳のような本としては、1968年に講談社より刊行の『自分の羽根』が最初で、その次に前記の冬樹社本が3冊続くことになる。冬樹社本が3冊に愛着たっぷりの身としては、『自分の羽根』を未入手なのがひどく気にかかる。

とかなんとか、前置きがくどすぎる。一言でいうと、このたびの講談社文芸文庫の『自分の羽根』の刊行はドンピシャリと嬉しい出来事だった。カヴァーの「名作『夕べの雲』と表裏をなす第一随筆集」云々という説明書きが嬉しい。のみならず、解説が高橋英夫というのが嬉しい。現在の著者によるあとがきで、チャールズ・ラムと福原麟太郎の名前が言及されているのが嬉しい。日頃の本読みの嗜好とリンクする本が新刊文庫として刊行されたのが嬉しい。たまたま『自分の羽根』は今まで未入手だったらから、迷うことなくパッと講談社文芸文庫を買えたのが嬉しい。

……とここまでタラタラと書き連ねたことを思いながら、『自分の羽根』をツラツラと繰って、一言、うれしい。表題の「自分の羽根」の一節にはっとなっているうちに、時間になった。