池田弥三郎の個人誌「ひと」の最終号が届く。

朝から雨がザアザア、ギリギリの時間まで部屋にいる。ムターのディスクでベートーヴェンのソナタ、最初のディスクを流して、ぼんやり。


日没後、鍛冶橋通りをズンズン歩いて、《シナリオ作家 新藤兼人》特集開催中のフィルムセンターへと野村芳太郎『事件』を見にゆく、予定だったけど、身体の奥の方でじんわりと風邪っぴきの気配が感じられたので、早々に家に帰ることにする。火曜日の夜に注文した、神吉拓郎『在る日のエノケン』(新しい芸能研究室、1994年)が早々に届いていて、わーいとよろこんだあと、「待ちかねたわやい」と京都の古本屋さんからの届きものの梱包をそぉーっと引き裂いて、「ひと」という名の古雑誌(昭和12年4月発行:第17号)を取り出す。


「ひと」は池田弥三郎の実家の銀座の天ぷら屋「天金」が発行元のリトルマガジン(昭和9年2月、第1号刊)。天金のお客に無料配付していたものの、いわゆる PR 誌というわけではなく、実体は池田弥三郎による個人誌。池田自身は「三田国文科生による手習い草紙」と称しており、よって、池田弥三郎の一級下の戸板康二も度々寄稿していたという。…というようなことを戸板康二や池田弥三郎の文章で幾度か目にして、実物を見てみたいものだと思い始めて幾年月、長らくわたしのなかでは幻の雑誌だったけど、初めてこうして手にすることができた。ジーン、ジーンといつまでも歓喜にむせぶ。とは言うものの、届いたのが戸板康二の文章が載ってない号だったのは無念だったのだけど。ま、それはさておき、いざ手にしてみると、「ひと」は予想していた以上に風格ただよう素敵な雑誌だった。表紙の「ひと」の配置がなかなかいい感じ。



池田弥三郎と慶應文科で同期だった井筒俊彦も「ひと」に詩を寄せていて、池田弥三郎著『手紙のたのしみ』(文春文庫)でそのことを知ったとき、ますます「ひと」を手にしてみたいものだと思ったものだった。あれからどのくらいたつのだろう。『手紙のたのしみ』は何年も前にささま書店の均一で買って、そのあと西荻の喫茶店で一気読みしたなあと懐かしい。とかなんとか追憶しているうちにいてもたってもいられず、本棚探索。『手紙のたのしみ』を無事発見し、寝床で繰る。朝と同じムターのディスクを低音量で再生。風邪をひかないようにと、早々に寝る。枕元には『在る日のエノケン』と「ひと」と『手紙のたのしみ』が無造作に積んである。