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文化生活一週間 #14

今週のおぼえ帳

  • 葉桜の谷中霊園を歩いて朝倉彫塑館へ

日曜日の午後、上野駅におりたって、青い空の下、テクテクと谷中霊園へ。上野界隈は建築見物がひときわおもしろい。ひさしぶりに歩いてみると、以前とは違った目線で見ることができてオツなのだった。前々から存在は知っていたけれど、これは「博物館動物園駅」の跡地であったのかとあらたに知ったりなどなど。京成の日暮里と上野間に存在していたものの現在は廃止された駅としてはもうひとつ、博物館動物園前と日暮里の間に「寛永寺坂駅」があったというのも初めて知った。寛永寺坂駅の跡地はなにかの倉庫のような感じで、博物館動物園のような風格はないけれども、しっかりと往時の姿をしのぶことはできて、博物館動物園みたいに「遺跡」的な表示がついていない分(たしか)、そのいかにも忘れ去られた感じが味わい深いのだった(参考:http://www2.famille.ne.jp/~masa-tee/haieki/teki3.html)。京成にはほとんど乗ったことがないので、急に乗ってみたくなった。近いうちに、日暮里・上野間に乗って車窓から地下駅の跡地が見えるかどうか、目をこらしてみようと思う。

とかなんとか、思いがけなく廃駅見物を満喫したあと、谷中霊園へ。先週は桜が散り始める頃で青山霊園を通りかかり、今週は葉桜の下を谷中霊園と、なぜか立て続けに霊園を歩いているのだった。前々からの懸案、とある戸板康二の関係人物の墓地調査をいざ、と手帳に残っていたずいぶん前のメモ書きを参照しながらお墓探索、明快な区画整理のおかげですぐに発見できて、よかった。最後は串田孫一のお父さんの串田萬蔵のお墓(甲4−8)。当たり前だけど、ここは去年亡くなられた串田孫一のお墓でもあるのだった。合掌。

霊園を抜けて、長年の懸案の、朝倉彫塑館(http://www.taitocity.net/taito/asakura/)へ。戸板康二のエッセイで、獅子文六の一周忌の法要のあと飯沢匡らと朝倉彫塑館で松井須磨子の像を見た、というくだりを目にしてからというもの数年来、朝倉彫塑館に出かけるのはぜひとも12月中旬にしたいと思い続けて毎年果たせず、12月中旬に固執するばかりにずっと行き損ねていたのだった。いざ行ってみると、びっくりするくらい素敵な空間で、逸翁美術館に匹敵する感じ。しみじみ和む日曜日の午後であった。

せっかくの谷中霊園、広津家三代のお墓を見損ねてしまったのが痛恨だったので、9月下旬くらいの残暑が和らいだころ、行けたらいいなと思う。

我が家の墓所の筋向かいに、二本の古い欅がある。父の好きな木であり、墓参の度に、真っすぐな木を見あげては、
「僕はこの木を、八歳の時からみているが、幹の太さがさほど変わったとも思えない。どのくらいたったものだろう。木の寿命はたいしたものだな」
と言っていた。八歳は、父が実母を失った年である。亡くなる年の春の彼岸、それが父の最後の墓参であったが、二本の木に眼を向けながら、
「やっぱり、年をとってきたね」
と、約七十年間、ながめてきた樹木に対する愛着の思いを、眼に浮かべていたが、欅も道路の舗装や、車の往来などで、根が一層痛められるのだろう。父の歿後は又とみに老樹の面影をみせはじめた。墓地内で、無縁になった墓石の整理などがおこなわれているのを眼にすると、道端のこの木も、邪魔ものとして、切りのぞかれてしまいはしないかと、その運命が気になり、急ぎ足に小道を来て、この木のすがたが目にはいると、私はほっとした思いをおぼえる。墓地の歴史を語る古い木々がなくなってしまうとしたら、なんと味気ない風景になることだろう……。


【広津桃子『父 広津和郎』「墓参」より】