小林栄子『露伴清談』に胸を躍らせ、ウィスキーのミニボトルを買う。

不覚にも寝坊。バタバタと家事を切り上げて、イソイソと外出。コーヒーを飲んでふうっとひと息、なんとか30分だけ本を繰ることができて、よかった。土曜日、前夜の深酒もなんのその先週の趣味展の雪辱を果たすべく、桜には目もくれず青い空の下をズンズンと早歩きしてたどりついた開場直後の東京古書会館の和洋会はなかなかの充実度だった。その和洋会のお買い物のうちの一冊、小林栄子『露伴清談』(鬼怒書房、昭和24年)を取り出す。今回の古書展で初めて存在を知って、ちょっとだけ「おっ」だった。値段は高くも安くもなかったけど(1500円)、露伴の座談が読める本というのをそこはかとなく蒐集しているので、これも縁かなと思い、なんとなく買ったのだった。さてどうだろうと、今朝30分だけ下見をするとしようと、出がけに突発的に持参した次第。

などと、前置きが長いけれども、いざ見てみると、小林栄子女史の『露伴清談』、なかなか嬉しい買い物であった。こういう思いもかけない本にひょんと出会えるので、やはり古書展には行くものだと思う。幸田文の「おとりつぎ」のあとにつづく著者の「幸田露伴先生」なるまえがきに、内田魯庵、柳田泉といった字面がさっそく登場するのだからたまらない。まえがきだけではなく本文も、小さな本ながら「露伴の座談が読める本」好きとしては本全体がたまらない感じで、朝の喫茶のひととき、ふつふつと嬉しい。饗庭篁村が登場するところを開いてみると、そこには根岸派の典型的よろこびが満ち満ちているのだった。わたしが一番好きなのはこれなのよー、とテーブルをドン! と叩いていると(心の中で)、あら、もう時間なのだった。イソイソと外に出る。


日没後、マロニエ通りをズンズンと歩いて、京橋図書館へ。絲山秋子の『沖で待つ』の順番がやっと回ってきて、「待ちかねたわやい」と大喜び。このままタリーズに直行して読みたいところだったけど、今ならまだ三越の閉店に間に合いそうだと、日本橋室町に向かって、ズンズンと早歩き。なんとか間に合って、三越の受付で「月刊日本橋」をもらう。何度でも言うが、いま面白いのは「銀座百点」ではなくてダンゼン「月刊日本橋」なのだ。今月も無事入手できてよかったよかったと、地下の売場をちょいとひとめぐりする。「マッカラン12年」と「山崎12年」のミニボトルを買う。

あとはもう寝るだけというひととき、豆乳のミルクティを飲みながら「月刊日本橋」をゆるりと繰ったあと、絲山秋子の『勤労感謝の日』を読む。たたみかけるような言葉のリズムによる時間と場所の推移、その立体感といったようなものが、なんて、うまく言葉には出来ないけど、とにかくも絲山秋子の言葉の織り成し具合が実にいいのだった。と、ぼーっとしているうちにいつのまにか寝てしまっていた。