西村賢太を読み、立川談春を聴き、足立巻一が届く。

朝の喫茶店で、図書館での返却期限が迫っているのでいいかげん読まねばならぬと、西村賢太の小説集、『どうで死ぬ身の一踊り』を取り出す。西村賢太の文章集が刊行されたらよろこびいさんで買うとかねがね思っていたけど、いざ本当に刊行されると結局せこく図書館で調達してるのだった。雑誌掲載時に読んだ、表題作『どうで死ぬ身の一踊り』は省略して、『墓前生活』と『一夜』の2篇を読むことにする。読後感の悪さが予想されて、本を繰る前はちと気が重かったのだけど、『墓前生活』をひとたび読み始めると、急にヒクヒク、おもしろくてたまらない。ところどころの粘性たっぷりの言い回しが妙にユーモラス! 短絡的ではあるけど藤沢清造の文章を読んでひとり突っ込んでニヤニヤしているときと同じようなおかしみが素敵! そして、随所にほどこされる古本薀蓄がたまらない! などなど、なにかと読む価値大ありで、思わず大はしゃぎであった。勢いに乗って、『どうで死ぬ身の一踊り』も再読。こうなったら、「文学界」に載った『けがれなき酒のへど』(久保田万太郎の「清造思ふ」の前書き付きの俳句が冒頭に)ももう一度読みたいと思う。と言いつつ、いざ本になったらまたセコく図書館で調達の予感がヒシヒシなのだけど。

『根津権現裏』における会話描写、西村賢太によると「作者の無比なユーモリストぶりに舌なめずり」という、七尾弁と東京山の手言葉の延々と続くやりとりは、手持ちの「石川近代文学全集」(ISBN:4890100423)所収の「抄」にあったっけかな、帰宅後、確認せねばとメモ。今東光の『東光金蘭帖』における鮮やかな清造描写、その会話の妙を懐かしく思い出し、また、『根津権現裏』の「抄」では幕開け早々、主人公が白山(だったかな)から矢来までお金を借りにいく一連の描写がねちっこくてさっそく大笑いだったことを懐かしく思い出す(しかし、読み進めるうちにだんだん疲れてくる)。『藤沢清造全集』(全五巻+別巻二冊)の、大枚はたいてこしらえたという内容見本をぜひとも見てみたいものだと思う。


夕刻、丸の内線に乗って、イソイソと新宿へ。歌舞伎町のコマ劇場はいずことズンズンと人ごみをぬって、シアターアプルに到着。立川談春独演会を聞いた。『雛鍔』、『崇徳院』、『居残り佐平次』という流れ。談春の独演会は初めてだったけど、評判どおりのすばらしさで、ただただ感嘆。こういうすばらしいものを見たり聴いたりすると、そのジャンルのすばらしさそのものに感動する。よい音楽を聴くと「音楽」そのもののすばらしさが、なにかの絵に感動すると「美術」というジャンルそのもののすばらしさに敬虔な気持ちに、歌舞伎座ですばらしい舞台にせっすると「歌舞伎」そのもののすばらしさに崇高な気持ちになって、シャンと背筋を伸ばしたりする。そんな感じに、談春はすばらしかった。「落語」というものそのものの素晴らしさに嬉しくなった。一度その独演会に居合わせた人はきっとまた行きたくなる。そういう人がどんどん増えるから、いつもチケットは早々に売り切れてしまう。いつになるかわからないけれど、また聴く機会が来るといいなと思う。


帰宅すると、足立巻一の著書2冊、『人の世やちまた』(編集工房ノア、1985年)と『親友記』(新潮社、1984年)が届いていた。さっそくパリッとグラシン紙をかける。