上村以和於著『仮名手本忠臣蔵』、「映画の日」に『鴛鴦歌合戦』

今日も早起き。窓の外は雨がザアザア。ここまでザアザアだと、かえって気持ちよくなってくるくらい。今日はいつもよりもさらに早い時間に外出。

喫茶店でコーヒーを飲んで、上村以和於著『仮名手本忠臣蔵』を一気にダーッと読んだ。図書館の返却期限が迫っているのであわてて読み始めたのだったけど、思っていた以上におもしろく、たいへんウキウキ。これはぜひとも購入してもっとじっくり読まねばと思う。『仮名手本忠臣蔵』全十一段の進行どおりに筆が進み、最後の「十二段目」がつくという構成。上村さんの筆致は軽やかで品があって、読んでいて心地よい。現在の歌舞伎関係の書き手のなかでは随一の文章家だといつも思う。

興味深かったことのひとつが、あちこちに著者の映画好きが垣間見られることで(かなりのマニアとみた)、時代劇の忠臣蔵で吉良を演じたという滝沢修、その臭いながらもハイブロウな演技、柳永二郎とともに、筆者いうところの「忠臣蔵映画における絶妙な悪の枢軸」、というのにワオ! ぜひとも見てみたいッ、……と言いたいところだけど、わたしは、忠臣蔵は『仮名手本忠臣蔵』だけでいいや。

歌舞伎の演技の境界線に位置する四段目の由良之助とか、今日の十一段目の上演形態とか、歌舞伎では上演されない天野屋利兵衛といったくだりで、時代劇と歌舞伎を相対化することで、おのずと「歌舞伎とは何か」ということに思いが及んで、うーむと読後感はたいへん深いものがあった。このことは今後ずっと考えていきたいことだ。そして、歌舞伎的なあまりに歌舞伎的な、お軽勘平と七段目を思って、わたしはやっぱり「歌舞伎が好きだなあ」と胸がキューンとなってくるのが、嬉しかった。先代勘三郎の『落人』は和事師ふうの憂いから所作ダテになるとパーッと明るくなるところが絶妙だったとか(たしか)、昭和40年には勘三郎の勘平に延若の伴内だったとか、その延若の上方版勘平のこととか、随所随所に盛り込まれる「歌舞伎・ちょっといい話」にホクホクだった。当代三津五郎が『落人』で伴内をやったときは三段目と同じ裃から湯文字の浴衣に引き抜くことで時代から世話への転換を視覚化した、というようなくだりも「いいなあ」と思った。

とりあえず、読了後にまっさきに思ったのは鶴屋南北の『菊宴月白浪』の脚本を読みたいッということ。そういえば、最近読んだばかりの堀切直人著『浅草 戦後篇』も南北で締めくくられていた。犬丸治さんの『天保十一年の忠臣蔵』もたいへんおもしろかったことだし、歌舞伎とか江戸・東京を思うと、いつも南北にぶち当たる。


「映画の日」なので、雨にも負けず、夜は渋谷へお出かけ。ブックファーストで本日発売のはずの「みすず」の読書アンケート特集号を発見できず、不満なり。ユーロスペースのレイトショウで、数年ぶりに『鴛鴦歌合戦』を見た。千恵蔵の顔の巨大さに今さらのように驚く。ユーロスペースは長年のおなじみの場所から移転してしまった。十代の頃からひところまで足しげく通っていたものだった。思い出の映画館がまたひとつ消えてしまったなあと、昔好きだった映画を再見し、なにかとノスタルジー。