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広津和郎を読み、「栄養と料理」を買い、成瀬巳喜男を見る。

なんとか早起きできたことだし、さア、喫茶店で本を読むといたしましょうと外出しようとしたまさにそのとき、今日から読もうと思っていた、入手したままそれっきりになっていた広津桃子著『父広津和郎』を探すのを忘れていたことに気づいた。しょうがないので、今日のところは、すぐに出てくる、広津和郎の『年月のあしおと』を持っていくことにする。と、ほんの「つなぎ」のつもりで持参した『年月のあしおと』、前回読んだときとおんなじように、いざ繰り始めると、おもしろくておもしろくて、ページを繰る指がとまらない。このおもしろさはいったいどこから来るのだろう。とにもかくにも、『父広津和郎』の絶好の序奏。

3年ほど前に、広津柳浪と広津和郎にしばし夢中で、その折にタイミングよく、神奈川県立近代文学館で過去の展示図録《広津柳浪・和郎・桃子展》を買ってホクホクだった。あのときの感激ふたたび、という感じで嬉しい。と、このところ、新刊古本を問わず本を買おうという気が全然わかず、自分の部屋の書棚がおもしろく、今年に入ってから1冊も買っていない(まだ10日だけど)。抑制していた方が自分の本読みが深まるような気がする(←10日だけでなにやら偉そう)。そんなこんなで、これからしばらく、読んだり再読したりして、本棚の整理を進めていきたいものである。であるからして、しばらく本は買わない。買わないと決めたのだ。買わないったら買わないッ(と、自分に言い聞かせる……)。


なにも考えずに惰性で、昼休み、いつもの本屋さんへ。今日は10日。心になにかひっかかるものがあるような気がするのだけど、なにかしらと雑誌売場に行き、とりあえず「文藝春秋」を立ち読みしたところで「あっ」と思い出した。

「栄養と料理」の新しい号が出ていると気づいたときのよろこびをいったいなににたとえよう。こうしてはいられないと、「文藝春秋」を放り出して料理雑誌コーナーへ突進。今月は「栄養と料理」を買うことに決めていたので(実用本は「本」に計上しないのが自分内ルール)、中身も見ずにお会計。こんなところでぼんやりしている場合ではない、一刻も早く「栄養と料理」を眺めたいッと、コーヒーショップへ移動して、眺めてフツフツと嬉しい。「花粉症にならない食事学」とはあたかもわたしのためにあるような特集、いつまでもふつふつと嬉しい。毎年毎年、不機嫌で不如意このうえない季節、不便ななかでも少しでも快適に過ごせるように気を引き締めることでかえって精神の自律性を保てればいいなと思う。…と、いつもとは打って変わって「栄養と料理」の見ているときだけはいたって前向きになる。680円でたしかな満足。でも、毎月買っているとキリがないので、来月は図書館でがまんしないといけない。


日没後、マロニエ通りを早歩きして、京橋図書館へ。本を返してまた借りて、大急ぎでフィルムセンターへ。《シネマの冒険 闇と音楽:生誕百年の監督たち》特集にて、成瀬巳喜男のサイレント映画『限りなき鋪道』(昭和9年)を柳下美恵さんのピアノ伴奏付きで見るという至福の時間。はじまりからしてスクリーンは銀座の町並みを映し出していて、その画面が桑原甲子雄の写真そのまんまでウルウルだった。


いい気分で帰宅して、部屋でミルクティを飲みながら、図書館で借りてきた『宮脇俊三鉄道紀行全集第一巻』を繰る。きまじめさがユーモラスで、その底にはたしかな品性があって、「いいなあ」とすぐに思ってしまう文章。『時刻表2万キロ』の鶴見線の項を読み、鶴見線に乗りに行こう! と思う。急にウキウキ。

寝床では東洋文庫の山中共古の『共古随筆』を繰る。早く買いたいこの本。しばらく本を買わないと決めたばっかりに買いに行けなくて、しょんぼり。