広津桃子作品集『春の音』のページを繰る

早くに目が覚めてしまった。寝床でしばしヌクヌク。イヤホンでムターの新譜、モーツァルトの K364 に耳をすませた。この曲を聴くのはずいぶんひさしぶり。何年か前、大岡昇平がモーツァルトに開眼するきっかけになった曲だと(たしか)記しているのを目にして、あらためてじっくりと耳を傾けたものだった。それにしても、嬉しい2枚組ディスク。ムターに開眼するきっかけになったベートヴェンのソナタ全集のときとおなじように、これからしばらく、あたらしい気持ちでモーツァルト、ひいてはムターに接していくことになるのは確実。と、モーツァルト生誕250年の年(ムターの音楽生活三十年)を意気揚々と迎えることができた。たいへんよろこばしい。

イソイソと外出して、本日の朝の読書タイムは、広津桃子さんの『春の音』。最初の一篇、『山の見える窓』をじっくりとじっくりと読んだ。生前残した著書は3冊しかない広津桃子さんの文章は、その寡作さがいかにもな、じっくりと熟成させて、記憶をろ過してろ過して、そしてまた熟成させたふうな、遠くから過去を思うとなにもかもが美しくなってしまうという感じの、まさしく結晶のようなうつくしさ。ただ、じっくりとじっくりと黙って読むだけなのだった。それにしても、すばらしい文章。

昼休み、寒さにひるんで地下道をつたってあちこちお出かけ。地下道で行ける範囲のところに限ったせいで、かえっていつもよりも歩行距離は長く、いつもよりもずっと活動的だった。

夜、とうとう日本酒を飲めない体質になってしまったらしい、ということが判明して、肩をおとす。